ルーチョ・チェッキネロ
ルーチョ・チェッキネロ ( Lucio Cecchinello, 1969年11月21日 - ) は、イタリア・ヴェネツィア出身の元モーターサイクル・ロードレースライダー。現在はロードレース世界選手権MotoGPクラスでチーム・LCRを運営している。 ライダーとしての経歴オートバイレースのメカニックとして働いていたが、1989年にライダーとしてレースを開始する。イタリア国内のスポーツ・プロダクション選手権にNSR125を駆って参戦し、3戦目のモンツァで初優勝を果たした。翌1990年にはマックス・ビアッジに次いでシリーズ2位に入った。 1991年にはかつてメカニックとして所属していた Team Italia からロードレースヨーロッパ選手権に参戦を開始する。初年度はシリーズ10位、翌1992年にはシリーズ2位となった。そして1993年に、Gazzaniga Team からロードレース世界選手権125ccクラスにデビューを果たした。翌1994年には GIVI チームに移籍し、プライベーター仕様のホンダ・RS125を駆って初ポイントを獲得した。1995年にはヨーロッパ選手権に戻り、パオロ・ピレリのチームでRS125を駆って11戦中8勝を収め、チャンピオンを獲得した。 1996年はチェッキネロにとってターニングポイントとなった。自らがオーナーとなる、1台体制の小さなチームを立ち上げ、グランプリ125ccクラス復帰を果たした。1996年、1997年とトップ10圏内フィニッシュを何度か記録し、1998年第6戦ハラマでGP初優勝を果たした。 その後も125ccクラスに参戦を続け、2001年には第6戦カタルニアで通算2勝目を記録し、シリーズランキングでは4位に入った。2002年はおそらくチェッキネロのベストシーズンであり、年間3勝を果たし再びシリーズ4位を記録した。現役最後の年となった2003年には、ホームグランプリのムジェロで優勝を果たすという夢を叶えた。 ロードレース世界選手権 戦績
(凡例)(太字はポールポジション、斜体はファステストラップ)
チーム・LCR→詳細は「チーム・LCR」を参照
チェッキネロは1996年に自らがオーナーのレーシングチームを設立した。当初はチェッキネロ自身がライダーとなる1台体制で、ホンダ・RS125を駆って125ccクラスを戦った。1998年にはチーメイトに上田昇を迎えて2台体制に拡大、2001年にはマシンをアプリリアにスイッチした。 2002年には新たに250ccクラスにも参戦を開始し、のちにMotoGPワールドチャンピオンとなるケーシー・ストーナーのデビューチームとなった。チェッキネロは2003年シーズン終了をもって現役を引退するが、LCRはランディ・ド・プニエをエースライダーに参戦を継続した。 2006年にはストーナーをライダーに、ホンダ・RC211VでMotoGPクラスに参戦を開始する。ストーナーの活躍によって、参戦初年度に表彰台とポールポジションを獲得した。翌2007年はストーナーがドゥカティワークスに引き抜かれたためベテランのカルロス・チェカをライダーに迎えた。2008年からはド・プニエがチームに復帰、2011年からはド・プニエからトニ・エリアスに替わり、2015年からカル・クラッチローとジャック・ミラーの2台体制、2016年からカル・クラッチローの1台体制に戻り、2018年からはカル・クラッチローと中上貴晶、2021年からはクラッチローに変わってアレックス・マルケスが加入しての2台体制で最高峰クラスに参戦を続けている。 脚注外部リンク
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