ルネ・ラコステ
ジャン・ルネ・ラコステ (Jean René Lacoste, 1904年7月2日 - 1996年10月12日)は、フランス・パリ10区出身の男子テニス選手。同僚のフランス人選手アンリ・コシェ、ジャン・ボロトラ、ジャック・ブルニョンと共にフランスの「四銃士 (Les Quatre Mousquetaires)」と呼ばれた。 グランドスラム優勝7回を果たした。1976年国際テニス殿堂入り。 経歴彼は今日では、ワニのマークで有名な「ラコステ・ブランド」の創設者としてよく知られている[1] 。 その粘り強いプレースタイルからつけられたニックネーム「ワニ」(The Alligator, または Crocodile) にちなんで友人が描いたワニの絵は、ラコステのトレードマークとなった。娘のカトリーヌ・ラコストはプロゴルファーであり、1967年全米女子オープンではアマチュア選手としての優勝者になった。 ラコステは15歳からテニスを始めたが、富裕な自動車製造業者であった父親から「テニスをするなら、世界チャンピオンになる目標を5年以内に達成しなさい」と言われたという。1923年からデビスカップフランス代表選手となり、コシェ、ボロトラ、ブルニョンに加わって「四銃士」の仲間入りをする。ラコステの4大大会初優勝は、1925年ウィンブルドン選手権であった。この年には全仏選手権 (現在の全仏オープン) でも初優勝を果たしている。この年から全仏選手権は国際大会となり、フランス人以外の選手にも出場資格が与えられるようになった (1924年以前の全仏優勝者の記録は、現在は公認の優勝記録に数えられない)。それからラコステは4大大会のシングルスで、全仏選手権3勝、ウィンブルドン選手権2勝、全米選手権 (現在の全米オープン) 2連覇を達成し、通算「7勝」を挙げた。しかし1929年の全仏選手権決勝で、同僚のジャン・ボロトラを6-3, 2-6, 6-0, 2-6, 8-6で破って3度目の優勝を成し遂げた後、ラコステは結核のため25歳で突然の引退をした。 引退から4年後に、ラコステはポロシャツのデザインに着手する。当時フランス最大のニット衣料品製造会社を経営していた実業家、アンドレ・ジレ(André Giller) の協力を得て、自分の種目であるテニスだけでなく、ゴルフやセーリングなど種々のスポーツ種目を対象にしたポロシャツのデザインを手がけた。ラコステの夫人となったシモーヌ・ティオン・ド・ラ・ショームが全英女子ゴルフ選手権の優勝者であったことから、ゴルフウェアも彼のライフワークとなった。1933年に創業した「ラコステ・ブランド」は、画期的なスポーツ・ウェアとして早くから高い評価を集め、世界のトップブランドに躍進した。 1974年、「四銃士」の物語がアメリカの映画監督リチャード・レスターにより映画化された。レスターは前年の1973年にデュマの小説『三銃士』の映画化を行い、それに続いて1920年代-1930年代前半に活躍した4人のフランス人テニス選手のドキュメンタリーも残したのである。 1976年、「四銃士」のメンバーたちは4人揃って国際テニス殿堂入りを果たす。4人とも長寿に恵まれたが、まずブルニョンが殿堂入りの2年後、1978年に83歳で亡くなり、コシェは1987年に86歳、ボロトラが1994年に96歳で死去した。最後に残されたラコステも1996年10月12日に92年の生涯を閉じた。ラコステのブランドは、今なおファッション業界で高い人気を維持している。 4大大会優勝
脚註
外部リンク
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