リッキー・マーティン
リッキー・マーティン(Ricky Martin、1971年12月24日 - )は、プエルトリコ出身の歌手及び俳優。本名エンリケ・ホセ・マルティン・モラレス(Enrique José Martín Morales)。 経歴メヌード1984年に、当時スペイン語圏およびアメリカで大人気を誇っていたプエルトリコ出身の少年ボーカルアイドルグループ、メヌードの追加メンバーとしてデビューした。ロッテのカントリーバーのお菓子のCM、NHKのスペイン語講座にも出演したことがある。[要出典]。 ソロ活動1989年に脱退後はメキシコに活動の拠点を移す。舞台やテレノベラで俳優として活躍した後、1991年ソロシンガーとしてデビュー。1997年の『マリア』のフランスでのヒットを受け1998年の1998 FIFAワールドカップでテーマソングである『ザ・カップ・オブ・ライフ』を歌い国際的に人気が高まる。 その後1999年に『リヴィン・ラ・ヴィダ・ロカ』で全米にて英語アルバムデビューを果たし、以後活動拠点をアメリカに移す。1999年に発売したアルバム「Ricky Martin Here I Am」は全世界で1700万枚以上、日本で100万枚以上のセールスとなった。 世界各国でのツアーを行うほか、ユニセフの活動にも積極的に参加。「Ricky Martin Foundation」を設立し、世界中の学校へ行けず働かされている子どもたちや津波などで家をなくした子どもたちに教育の場などを与える活動を続けている。 2017年、テレビドラマ『アメリカン・クライム・ストーリー/ヴェルサーチ暗殺』に出演。劇中では自身初のゲイセックス・シーンを撮影したが、マーティンは「いきなり20人のスタッフ・クルーと当日会ったばかりの相手役の前で裸でベッドに入っていたんだ」「もっと緊張すると思っていたが、緊張しなかった」と語っている[1]。 私生活2008年8月に代理出産にて誕生した双子、マテオとヴァレンティノの父親となる。ソロデビュー以降、幾度となく同性愛の噂が持ち上がっていたところ、子供が誕生し、彼らと自分自身、またファンに正直でありたいとの理由でゲイであることを2010年3月に公式サイトにて公表した[2]。 2010年11月に自叙伝「Yo(私)」を発表。自身のカミングアウトについても記している。 2016年11月に芸術家のジュワン・ヨセフと婚約し[3][4]、2018年に結婚。代理母出産で4人の子供を儲ける[5]。2023年7月、ジュワン・ヨセフとの結婚関係を解消した。 2022年、甥から性的虐待を受けたと告発されるが、逆にこの告発によっていくつかの100万ドル単位の取引きが立ち消えになったとして、甥に2000万ドルの損害賠償を求める訴訟を起こした[6]。 ディスコグラフィー主なヒット曲![]()
アルバム※ベスト・アルバム/◎ライブ・アルバム
映像作品
日本公演
出演舞台脚注
関連項目外部リンク
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