ヨナス・イェレブコ
ヨナス・イェレブコ(Jonas Jerebko、1987年3月2日 - )は、スウェーデンのプロバスケットボール選手。ヴェストラ・イェータランド県ボロース出身。ポジションはパワーフォワード。208cm、105kg。スウェーデン人初のNBA選手として9シーズンプレーした。 来歴父親はロシア系アメリカ人で、シラキューズ大学でプレーした後、スウェーデンのプロリーグでプレーした。父親の出身地にあるニューヨーク州立大学バッファロー校へ進学したが、中退し、スウェーデンのバスケットボールチームと契約した。1シーズンプレーした後、スウェーデンリーグのトップチームに加入し、そのシーズンもチームは優勝した。シーズン終了後、セリエAのパッラカネストロ・ビエッラに移籍した。2008年のNBAドラフトへのエントリーを表明したが、後に撤回し、もう1年イタリアで経験を積むことを選んだ。イェレブコの大学時代のコーチで、ESPNのアナリストとなった、Fran Fraschillaは、イェレブコを2009年のNBAドラフトにおけるヨーロッパ出身の優れた5人の選手の1人であると語った[1]。 ドラフトでは2巡目で、デトロイト・ピストンズに指名された。イェレブコはスウェーデン出身選手として、アメリカ人でスウェーデン生まれのマイルズ・サイモンに次いでNBAドラフト史上2人目に指名された選手となった。スウェーデンにゆかりのある選手としては、他に母親がスウェーデン人のジョアキム・ノアや、スウェーデンの市民権を持っているマチェイ・ランペ、ダミール・マルコータがいる。同年8月、ピストンズと2年契約を結んだ。プレシーズンゲームでジャマール・マグロアと乱闘を起こし、1試合の出場停止処分を受けた[2]。 2010年10月5日のマイアミ・ヒートとのプレシーズンゲームで右のアキレス腱を断裂する重傷を負い[3]、シーズンを棒に振った。 2011年12月9日、ピストンズと4年1800万ドルで再契約を果たした[4]。 2015年2月19日、トレードでボストン・セルティックスに移籍。NBA入りして初めてNBAプレーオフを経験。7月9日にはセルティックスと2年間の再契約を結んだ[5]。 2017年7月12日、ユタ・ジャズと2年820万ドルで契約合意した[6]が、1年で契約解除された。 2018年7月、ゴールデンステート・ウォリアーズと契約。2018年12月22日のダラス・マーベリックス戦で自己最多の23得点を記録した[7]。2018-19シーズンはスウェーデン人として初のNBAファイナルに出場したものの、トロント・ラプターズに2勝4敗で敗れた。 ロシアでのキャリア(2019-現在)2019年8月、ロシアのBCヒムキへ2年契約で加入した[8]。VTBユナイテッドリーグでは16試合に出場し、1試合平均22.1分の出場で、10.3得点、4.6リバウンド、1.9アシスト、ユーロリーグでは28試合に出場し、1試合平均23.2分の出場で、11.2得点、4.7リバウンド、1.7アシストという成績を残した[9]。 2020-2021シーズンはVTBユナイテッドリーグでは8試合に出場し、1試合平均22.8分の出場で、9.5得点、5.6リバウンド、1.0アシスト、ユーロリーグでは15試合に出場し、1試合平均25.7分の出場で、11.5得点、5.5リバウンド、1.6アシストという成績を残していた[10]。チームからは給与未払いの状態が続き[11]、2021年1月23日、グレッグ・モンローと共に契約解除となった[12]。 2022年3月30日、VTBユナイテッドリーグに所属するCSKAモスクワとの契約が発表された[13]。しかし、2022年ロシアのウクライナ侵攻から1ヶ月後というタイミングでの契約発表については、母国スウェーデンや世界中から大きな批判を受けることとなり、スウェーデン代表からも追放される羽目になってしまった。因みにイェレブコは父親がロシアにルーツを持つ[14]。 個人成績
NBAレギュラーシーズン
NBAプレーオフ
人物・エピソード
スウェーデン代表2013年のユーロバスケットの代表メンバーに選出され、1次ラウンド全5試合に出場し、1試合平均28.8分の出場で、16.0得点、6.8リバウンド、2.4アシストという成績を残した[19]。 2021年2月20に行われたユーロバスケット2022予選トルコ戦で久しぶりの代表復帰を果たした。 2023年FIBAバスケットボール・ワールドカップの予選にも出場していたが、CSKAモスクワとの契約を発表した[注釈 1]ことにより、スウェーデン代表としてプレーする資格がないと判断され、代表チームから事実上追放処分を受けた[20][21]。 脚注注釈
出典
関連項目外部リンク
|
Portal di Ensiklopedia Dunia