ユージェニア・チャールズ

ユージェニア・チャールズ
Eugenia Charles
1985年、国際連合にて
生年月日 1919年5月15日
出生地 セント・ルーク教区ポワント・ミシェルドミニカ国の旗 ドミニカ国
没年月日 (2005-09-06) 2005年9月6日(86歳没)
死没地 フォール=ド=フランスマルティニークの旗 マルティニーク
出身校 トロント大学
ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス
所属政党 ドミニカ自由党英語版(DFP)
称号 大英帝国勲章

在任期間 1980年7月23日 - 1995年6月14日
大統領 アウレリウス・マリー英語版
クラレンス・セイノーレット英語版
クリスピン・ソーハインド英語版

ドミニカ国の旗 国会議員
選挙区 ロゾー中央選挙区
当選回数 4回
在任期間 1975年3月24日 - 1995年6月14日
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デイムユージェニア・チャールズDame Eugenia Charles, DBE, 1919年5月15日 - 2005年9月6日)は、ドミニカ国政治家セント・ルーク教区ポワント・ミシェル出身[1]。同国第3代首相(1980年7月23日 - 1995年6月14日)を務めた[2]。また、同国史上初の女性弁護士女性首相である。

保守的かつ強気な姿勢はイギリスの女性首相マーガレット・サッチャーを彷彿させ、「カリブの鉄の女 (Iron Lady of the Caribbean)」と呼ばれた[3]

経歴

1986年のチャールズ

1919年、漁村だったポワント・ミシェルで4人兄弟の未子として誕生。父のジョン・パブティストは石工だったが、後に大地主となり、裕福な家庭となった[4]。1947年にカナダのトロント大学で法学学士を取得。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス法学修士を取得。

1968年に政界入りを果たすと、保守政党ドミニカ自由党英語版(DFP)を共同で立ち上げ、初代党首としてドミニカの独立を支持した。1978年の独立後初となる1980年総選挙英語版では同党が勝利し、首相に就任した。チャールズは社会福祉プログラムの開始や経済政策の成功によって人気を獲得し、首相を3期15年務めた。これは女性首相ではシェイク・ハシナバングラデシュ)、インディラ・ガンディーインド)、シリマヴォ・バンダラナイケスリランカ)に次いで長い[5]

チャールズは妥協のない姿勢で汚職を撲滅し、民主主義報道の自由を守る活動を行った。就任当初はこうした活動が周囲から反発を招き、パトリック・ジョン英語版前首相が支援したクーデター未遂に2度もあった。1度目は1981年のレッドドッグ作戦で、アメリカ合衆国およびカナダからクー・クラックス・クランなど白人至上主義者を武装させた上で、ボートで上陸しチャールズを排除、ジョンが復権するというフィリバスターであった。しかしニューオーリンズで準備中に連邦捜査官が実行グループを逮捕したことで実行されることはなかった。2度目はドミニカ国防軍兵士フレデリック・ニュートン英語版らによるもので、こちらも失敗に終わった。一連のクーデター未遂事件を支援したパトリック・ジョンは懲役刑となり、2度目の主犯であったニュートンは死刑判決を受け1986年に処刑された。

また最も議論を呼んだのは1983年のグレナダ侵攻であった。グレナダでは1979年にクーデターが発生し、人民革命政府が成立。人民革命政府は議会を解散し、イギリス式民主主義を否定した。1983年10月13日に人民革命政府内でクーデターが発生し急進派が政権を握ると、チャールズは東カリブ諸国機構の緊急会合で民主主義の危機を訴え、グレナダへの侵攻を参加国およびアメリカに訴えた。アメリカの大統領ロナルド・レーガンと共に侵攻を支持する演説をした映像が残っている。結果的にアメリカ・東カリブ連合軍は10月25日よりグレナダへ侵攻を行い、人民革命政府を転覆させた。

政権末期になると支持率が低下し、1995年の総選挙英語版で敗北したことを受けて政界引退。2005年、フォール=ド=フランスの病院で肺塞柱病により86歳で永眠[6]。生涯独身であった。

脚注

  1. ^ Mary Eugenia Charles DBE”. インナー・テンプル. 2021年9月14日閲覧。
  2. ^ Dominica”. Worldstatemen.org. 2021年9月14日閲覧。
  3. ^ The Iron Lady of the Caribbean at LSE: remembering Dominica’s Eugenia Charles 100 years after her birth”. LSE (2019年6月20日). 2021年9月14日閲覧。
  4. ^ “Obituary: Dame Eugenia Charles”. The Guardian. (2005年9月8日). https://www.theguardian.com/news/2005/sep/08/guardianobituaries.pollypattullo 2024年12月24日閲覧。 
  5. ^ Eugenia Charles”. ロンドン大学. 2021年9月14日閲覧。
  6. ^ “Eugenia Charles, Pioneering Dominica Leader Known As 'Iron Lady', Succumbs At 86” (英語). Jet (Johnson Publishing Company): 17. (2005-10-10). https://books.google.com/books?id=Vb0DAAAAMBAJ&q=eugenia+charles+died&pg=PA17 2024年12月24日閲覧。. 
公職
先代
オリヴァー・セラフィン英語版
ドミニカ国首相
第3代:1980 - 1995
次代
エディソン・ジェームズ英語版

 

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