ユリアン・セミョーノフ
ユリアン・セミョーノヴィチ・セミョーノフ(露: Юлиан Семёнович Семёнов、1931年 - 1993年)は、ソビエト連邦・ロシアの小説家、推理作家、スパイ小説作家。男性。モスクワ生まれ。 ソ連きってのベストセラー作家であり、また政治ジャーナリストとしても知られた。ソ連の書記長にもなったミハイル・ゴルバチョフの友人であり、顧問でもあった。[1] 略歴1931年、モスクワに生まれる。父はユダヤ系の政治家、記者。母はロシア人。[1] モスクワの東洋学専門学校(Московский институт востоковедения)でアフガニスタンの言語を専攻し[2]、卒業後、モスクワ大学歴史学部東洋科の講師となる[3]。1955年よりソ連の大衆誌『アガニョーク(ともしび)』の記者となり、ソ連各地や国外を歩き回り、シベリアや北極にも赴いた。ジョン・F・ケネディやホー・チ・ミン、チェ・ゲバラにインタビューしたこともある[1]。 1958年、文学雑誌『ズナーミャ』に短編シリーズ『地質学者リャビニナの五つの物語』を発表したころから本格的に作家活動を開始し、翌1959年には、ロシアの東洋学者の悲劇的な生涯を描いた中編小説「外交官」で注目を集めた。 1963年には、モスクワ警察の3人の刑事が強盗事件を捜査する警察小説『ペトロフカ、38』を発表し、一躍人気作家となる。この作品は発表後しばらくして本人により戯曲化され、モスクワの劇場で上演され人気を博した。のちの映画版のシナリオもセミョーノフ本人が手掛けている。 『ペトロフカ、38』の成功によりセミョーノフは警察の記録保管所に出入りできるようになり、また刑事の実際の捜査に同行することも許された。セミョーノフはその後も、『ペトロフカ、38』に始まる刑事コスチェンコシリーズや、ソ連の諜報部員スティルリッツを主人公とするシリーズなど、推理小説、スパイ小説を書き続けた。 1986年には、メキシコの推理作家パコ・イグナシオ・タイボ二世らとともに国際推理作家協会を設立(ソ連・ロシアでは「国際推理小説・政治小説協会」(Международная ассоциация детективного и политического романа))。 日本では飯田規和の翻訳で前述の『ペトロフカ、38』が早川書房から刊行されており、その関係でセミョーノフは日本の早川書房を訪れたこともある[3]。ほかの日本語訳に、スパイ小説『春の十七の瞬間(とき)』などがある。 日本語訳作品
『春の十七の瞬間』の訳者あとがきで、ユリアン・セミョーノフ『タスは公表を承認された……』が角川文庫より近刊とされているが、実際には刊行されなかった。 著作リストロシア語で執筆。 未訳作品の日本語タイトルは飯田規和編「ユリアン・セミョーノフ著作リスト」(『世界ミステリ全集12』(早川書房、1972年)巻末)に従う。 初期の作品
ソ連諜報部員スティルリッツシリーズソ連の諜報部員スティルリッツ(ru:Штирлиц)のシリーズ(作中の年代順)。
刑事コスチェンコシリーズモスクワ警察の刑事コスチェンコ(Костенко)のシリーズ。
KGB大佐スラーヴィンシリーズKGB(カーゲーベー、ソ連国家保安委員会)の大佐スラーヴィン(Славин)のシリーズ。
ジャーナリストステパノフシリーズジャーナリストのステパノフ(Степанов)のシリーズ。
その他の政治小説
フェリックス・ジェルジンスキーを扱った小説ソ連の政治家フェリックス・ジェルジンスキーを扱った小説。
その他
関連項目
脚注参考文献
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