モンペリエ・エロー・スポール・クリュ(Montpellier Hérault Sport Club)は、フランス・モンペリエを本拠地とするサッカークラブチーム。
歴史
1919年、Stade Olympique de Montpellier(SOモンペリエ)として創設。1927年にSports Olympiques Montpellierainsと名称を変更する。1929年にカップ戦で初優勝、1932年にプロチームとなる。1937年に発足当初のチーム名に戻している。
1969年、プロチームが廃止され、翌年Montpellier-Littoral FCとして再出発する。1974年、AS Pailladeと合併し、Montpellier La Paillade SCと改名する。1978年に再びプロチームとなり、1989年に現在の名称に変更された。
1980年代後半から1990年代の全盛期にはクラブ歴代最多得点者のローラン・ブランが在籍し、1989-90シーズンにはクープ・ドゥ・フランス優勝、1991-92シーズンにはクープ・ドゥ・ラ・リーグ優勝を果たした[1]。1989-90シーズンには1シーズンだけエリック・カントナが在籍し、1988年から1991年にはカルロス・バルデラマも在籍していた。また、2003-04シーズンには日本人の廣山望が所属していた。
2008-09シーズン、ローラン・クルビ監督に導かれたチームは5シーズンぶりのリーグ・アン昇格を果たした。昇格初年度の2009-10シーズンには、エミル・スパヒッチやアルベルト・コスタなどリーグ・アンでは無名の選手たちが躍動し、シーズンの半分以上の期間をUEFAチャンピオンズリーグ出場圏内の3位以内で過ごすなど、UEFAヨーロッパリーグ出場権を獲得する5位という好成績で終えた。2010-11シーズンには年間シーズンチケットの購入者数がクラブ史上初めて1万人を超え、ホームゲームでの平均観客数は2シーズン連続で1万5000人を超えた[1]。リーグ戦では14位に終わったが、クープ・ドゥ・ラ・リーグでは準決勝でパリ・サンジェルマンFCを破り、決勝でオリンピック・マルセイユに敗れたものの準優勝を果たした。2009年に就任したルネ・ジラール監督は若手を積極的に抜擢し、就任後にユネス・ベランダ、カリム・アイ=ファナ、アブデルアミド・エル・カウタリ(いずれもモロッコ代表)やマプ・ヤンガ=ムビワ(フランス代表)をA代表に送り出している。
2011-12シーズンの年間予算はわずか3500万ユーロ(約38億5000万円)であったが[2]、ジラール監督はジャメル・サイヒ、ヤンガ=ムビワ、ベランダなど下部組織出身の若手と、ジョフリー・デルニスやイウトンなどのベテランと巧みに融合させた[3]。守備時は4-1-4-1もしくは4-4-1-1、攻撃時は4-3-3フォーメーションを基調とし[4]、手数をかけないサイドからの速攻を徹底[3]。2節でリーグ王者リールを撃破すると、開幕3連勝(8得点1失点)で首位に立ち、その後も1節を除いて2位以内をキープし続けた[5]。年明けにはパリ・サンジェルマンとの一騎討ちの様相を呈し[4]、2012年2月19日に行われた直接対決は引き分けに終わったが、29節のASサンテティエンヌ戦の勝利で同勝ち点ながら首位に浮上すると、37節のリール戦(1-0)は94分の決勝点で勝利し、前シーズンの王者相手にダブル(ホーム&アウェーともに勝利)を達成して優勝に近づいた[6]。引き分け以上で優勝が決定する最終節は20分にAJオセールに先制されたものの、ジョン・ウタカの2得点で逆転勝利して優勝を決めた。1990年のクープ・ドゥ・フランス以来のタイトル獲得であった。オリヴィエ・ジルーは21得点で得点王に輝き、ヤンガ=ムビワを中心とした守備陣はリーグ最少失点に抑えた。また、ベランダが選手組合(UNFP)選出の最優秀若手選手賞を受賞し、ジラール監督が最優秀監督賞を受賞した。
クラブ名遍歴
- Stade Olympique de Montpellier (1919-1927,1937-1970)
- Sports Olympiques Montpellierains (1927-1937)
- Montpellier-Littoral FC (1970-1974)
- Montpellier La Paillade SC (1974-1989)
- Montpellier Hérault Sport Club (1989-現在)
タイトル
国内タイトル
- 2011-12
- 1945-46, 1960-61, 1986-87
- 1928, 1932, 1976
- 1929, 1990
- 1992
国際タイトル
- 1999
過去の成績
シーズン
|
リーグ戦
|
カップ戦
|
リーグ杯
|
ディビジョン |
試 |
勝 |
分 |
敗 |
得 |
失 |
点 |
順位
|
2002-03
|
リーグ・アン |
38 |
10 |
10 |
18 |
37 |
54 |
40 |
16位 |
ベスト64 |
ベスト32
|
2003-04
|
リーグ・アン |
38 |
8 |
7 |
23 |
41 |
74 |
31 |
20位 |
ベスト32 |
ベスト32
|
2004-05
|
リーグ・ドゥ |
38 |
15 |
10 |
13 |
44 |
39 |
55 |
8位 |
8回戦敗退 |
準々決勝敗退
|
2005-06
|
リーグ・ドゥ |
38 |
12 |
11 |
15 |
34 |
43 |
47 |
12位 |
準々決勝敗退 |
ベスト16
|
2006-07
|
リーグ・ドゥ |
38 |
11 |
11 |
16 |
41 |
48 |
44 |
15位 |
ベスト16 |
ベスト32
|
2007-08
|
リーグ・ドゥ |
38 |
14 |
12 |
12 |
43 |
32 |
54 |
8位 |
ベスト32 |
ベスト16
|
2008-09
|
リーグ・ドゥ |
38 |
19 |
9 |
10 |
61 |
36 |
66 |
2位 |
ベスト64 |
ベスト16
|
2009-10
|
リーグ・アン |
38 |
20 |
9 |
9 |
50 |
40 |
69 |
5位 |
ベスト64 |
ベスト32
|
2010-11
|
リーグ・アン |
38 |
12 |
11 |
15 |
32 |
43 |
47 |
14位 |
ベスト64 |
準優勝
|
2011-12
|
リーグ・アン |
38 |
25 |
7 |
6 |
68 |
34 |
82 |
1位 |
準々決勝敗退 |
ベスト32
|
2012-13
|
リーグ・アン |
38 |
15 |
7 |
16 |
54 |
51 |
52 |
9位 |
ベスト32 |
準決勝敗退
|
2013-14
|
リーグ・アン |
38 |
8 |
18 |
12 |
45 |
53 |
42 |
15位 |
ベスト16 |
ベスト32
|
2014-15
|
リーグ・アン |
38 |
16 |
8 |
14 |
46 |
39 |
56 |
7位 |
ベスト64 |
ベスト32
|
2015-16
|
リーグ・アン |
38 |
14 |
7 |
17 |
49 |
47 |
49 |
12位 |
ベスト32 |
ベスト32
|
2016-17
|
リーグ・アン |
38 |
10 |
9 |
19 |
48 |
66 |
39 |
15位 |
1回戦敗退 |
ベスト16
|
2017-18
|
リーグ・アン |
38 |
11 |
18 |
9 |
36 |
33 |
51 |
10位 |
3回戦敗退 |
準決勝敗退
|
2018-19
|
リーグ・アン |
38 |
15 |
14 |
9 |
53 |
42 |
59 |
6位 |
ベスト64 |
ベスト32
|
2019-20
|
リーグ・アン |
28 |
11 |
7 |
10 |
35 |
34 |
40 |
8位 |
ベスト16 |
ベスト16
|
2020-21
|
リーグ・アン |
38 |
14 |
12 |
12 |
60 |
62 |
54 |
8位 |
準決勝敗退 |
─
|
2021-22
|
リーグ・アン |
38 |
12 |
7 |
19 |
49 |
61 |
43 |
13位 |
ベスト16 |
─
|
2022-23
|
リーグ・アン |
38 |
15 |
5 |
18 |
65 |
62 |
50 |
12位 |
ベスト64 |
─
|
欧州の成績
現所属メンバー
- 2023年8月25日現在[7]
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
歴代監督
歴代所属選手
脚注
- ^ a b 「ハンドボール、ラグビーの町を変えつつある快進撃。今やサッカーが地元の誇り」、footballista、ソルメディア、2012年3月14日号、19頁
- ^ 『2011-2012 EUROPA SOCCER TODAY』、日本スポーツ企画出版社、2012年、92頁
- ^ a b 「“良い独裁者”の下で納得のクラブ戦略。今季は若返りにも成功」、footballista、ソルメディア、2011年11月23日号、14頁
- ^ a b 「モンペリエってどんなチーム?」、footballista、ソルメディア、2012年2月22日号、11頁
- ^ 「ノーマーク組の健闘 『金の卵』出現でモンペリエが上位維持」、footballista、ソルメディア、2012年1月4・11日合併号、16頁
- ^ 「決勝点は94分! モンペリエ劇的に、現王者下す」、footballista、ソルメディア、2012年5月23日号、29頁
- ^ “Effectif et staff”. https://www.mhscfoot.com/effectif/2022-2023/equipe-pro 2023年8月25日閲覧。
外部リンク