モナーコス
モナーコス(Monarchos)[2]はアメリカ合衆国の競走馬、種牡馬。主な勝ち鞍に2001年のケンタッキーダービー、フロリダダービー。 戦績
2000年2月のフロリダで行われたトレーニングセールに上場され、ジョン・オスクレーに170,000ドルで落札された[3]。 10月7日にキーンランド競馬場でのメイドン競走でデビューし8着、2戦目も3着に終わるが、年明けて2001年1月13日、ガルフストリームパーク競馬場のメイドン競走で初勝利を挙げ、続くアローワンスも勝利。重賞およびG1競走初出走となったフロリダダービーでも勝利を挙げる[3]。しかしケンタッキーダービーの前哨戦となるウッドメモリアルステークスで、コンガリーから2馬身4分の3差の2着に終わる[3]。アメリカクラシック三冠の初戦、ケンタッキーダービーでは2着インビジブルインクに4馬身4分の3差をつけ優勝[3][4]。勝ち時計の1分59秒97はセクレタリアトの1分59秒2/5に続く2番目に早い勝ち時計となった[3][5]。二冠を目指したプリークネスステークスではポイントギヴンの6着、三冠目のベルモントステークスでもポイントギヴンの3着に終わり、レース後に右第3手根骨の亀裂骨折が判明し休養に入った[6]。2002年1月19日に復帰しアローワンス競走に出走するが3着に終わったのち、今度は左前脚に屈腱炎を発症しているのが見つかり、引退した[6]。 競走成績以下の内容は、EQIBASE[1]の情報および記載法に基づく。
引退後引退後は種牡馬となり、クレイボーンファームにおいて種付け料25000ドルで繋養された[6]。ケンタッキー州におけるミスタープロスペクターを通さないレイズアネイティヴ系の種牡馬としては、同じマライアズモンを父に持ち2010年のケンタッキーダービー馬でもあるスーパーセイヴァーとともに最後の種牡馬となっていた[7]。産駒の中から短距離の牝馬G1競走を3勝して2009年のエクリプス賞最優秀短距離牝馬となったインフォームドディシジョンを出したが、後に繋養先はナコルズファームに移った[8][9]。種付け料は2016年の時点で2千ドルにまで下がっていた[3]。 2011年春に疝痛で倒れ[9]、翌2012年夏にも再び疝痛で倒れて緊急手術を受け[10]、その都度回復してきたが、2016年10月21日に腸が破裂し、緊急手術を受けた翌日22日の朝に死去した[3]。 主な産駒
ブルードメアサイアーとしての主な産駒
血統表
脚注
外部リンク
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