メルキー・メイサ
メルキセデク・”メルキー”・メイサ(Melquisedec "Melky" Mesa、1987年1月31日[1] - )は、ドミニカ共和国・サン・クリストバル州バホス・デ・ハイナ出身のプロ野球選手(外野手)。右投右打。アトランティックリーグ・ヨーク・レボリューション所属。 メルキー・メサと表記される場合もあるが、「メルキー・メイサ」の方が現地の発音に近い[2]。 経歴ヤンキース時代2003年にアマチュアフリーエージェントとしてニューヨーク・ヤンキースと契約[3]。 2007年まではルーキークラスのガルフ・コーストリーグ・ヤンキースでプレーした。[4]、 2008年にA-級スタテンアイランド・ヤンキースに昇格した[5]。 2009年はA級チャールストン・リバードッグスに昇格し、サウス・アトランティックリーグのオールスターゲームにも出場しホームランダービーにも参加した[6]。 2010年にはA+級タンパ・ヤンキースに昇格。タンパではMVPを獲得するなど若手有望株として順調にキャリアを伸ばしていた[3]。オフの10月2日にはルール5ドラフトでの他チームからの獲得防止のために40人ロースターに登録[7]。 2011年はAA級トレントン・サンダーに昇格した。 2012年にはAAA級スクラントン・ウィルクスバリ・レイルライダースに昇格した。9月10日にセプテンバーコールアップにより自身初のメジャー昇格を成し遂げた[8]。9月22日のオークランド・アスレチックス戦における延長14回裏、9-9の同点のまま迎えた延長14回裏、9番のエリック・チャベスが一塁に出塁し、代走にメイサが起用され、メジャーデビューを果たした。1番のデレク・ジーターが送りバントし、メイサは二塁へ。好調を維持していた2番のイチローが敬遠され、3番のアレックス・ロドリゲスがセンター前へヒットを打ち、ヤンキースの劇的なサヨナラ勝ちになると思われた。しかし、メイサが三塁を踏み忘れてオーバーランしてしまい、それに気づいたメイサは慌てて三塁に戻った。アウトにこそならなかったが自身メジャー初得点の機会を失い、更にはサヨナラのホームインを逸したことになる。その後、ロビンソン・カノのピッチャーゴロでメイサは本塁でフォースアウトとなり、苦いメジャーデビュー戦となったが、その後エドゥアルド・ヌニェスのボールを相手一塁手がファンブルし、イチローのホームインでヤンキースが勝利。「戦犯」にはならずに済んだ。10月1日に再び出場機会が周りアンドリュー・ベイリーから初安打・初打点を記録した。同年の出場はこれと10月3日の合計3回であった。 2013年9月1日に解雇された。 ロイヤルズ傘下時代2013年12月28日にカンザスシティ・ロイヤルズとマイナー契約を結んだ[9]。 2014年はAAA級オマハ・ストームチェイサーズで23試合に出場し、5本塁打10打点1盗塁、打率.284だった。 ブルージェイズ傘下時代2014年5月26日に金銭トレードでP.J.ウォルターズと共にトロント・ブルージェイズへ移籍した[10]。5月27日にAA級ニューハンプシャー・フィッシャーキャッツに降格したが、6月12日にAAA級バッファロー・バイソンズに昇格した。 2015年1月にブルージェイズと再契約を結んだ。1月12日にAA級ニューハンプシャー・フィッシャーキャッツに降格した。4月30日にAAA級バッファロー・バイソンズに昇格した。5月30日に再びAA級フィッシャーキャッツに降格した[11]。11月7日にFAとなったが[12]、ブルージェイズと再契約を結んだ[13]。 2016年11月7日にFAとなった。 メキシカンリーグ時代2017年7月7日にメキシカンリーグのサルティーヨ・サラペメーカーズと契約を結んだ。7月11日に放出された。 米独立リーグ時代2018年2月16日にアトランティックリーグのヨーク・レボリューションと契約を結んだ。 2019年も引き続きレボリューションと契約を結んだ。 選手としての特徴
詳細情報年度別打撃成績
年度別守備成績
背番号
脚注
関連項目外部リンク
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