メジロスイセイ
メジロスイセイは日本の競走馬。メジロ牧場の基礎牝系の一頭であるアサマユリの直仔で、アサマユリ系としては初めての重賞競走の勝ち馬となった。 愛称の由来競走馬名・メジロスイセイの由来は、国鉄に当時存在していた、寝台特別急行列車の「彗星」から採られている。これは、1968年産まれのメジロ商事や北野豊吉の持ち馬の名前が、特急列車から採られているためで、同期には、メジロゲッコウ(寝台特急「月光」より採られた)がいる。 戦績1970年7月4日、福島競馬場の新馬戦でデビューを果たしたメジロスイセイだが、12月13日に初勝利を挙げるまでに6戦を要した。その後8戦するも、下級条件戦で1勝を挙げたのみで目立った活躍も無く、1971年10月16日のレースを最後に売却され、関西の梅内慶蔵厩舎に転厩した。 ところが、梅内忍騎手を鞍上に、1972年6月に中京競馬場の条件戦に出走して勝利を飾ると、条件特別戦でも好走を重ね、1972年秋の京都記念に格上挑戦すると、直線鋭く追い込んで、ヤマニンウエーブの2着に入る活躍を見せた。 1973年には、金杯や日本経済新春杯でも入着し、休養を挟んで夏には待望のオープンクラス入りを果たした。そして、京都記念(秋)でヤマニンウエーブに雪辱し、重賞制覇を飾った。 その後は、1974年春の天皇賞で4着に入るなど、重賞競走で好走したが、勝ち鞍は阪神競馬場のオープン(ダート1800メートル・1:53:0のレコード勝ちだった)だけで、1975年秋の阪神競馬場のオープン(2着)を最後に、岩手公営に転出した。 岩手公営では千葉忠一厩舎に所属し、1976年のみちのく大賞典を勝つなどして活躍した。 血統表
外部リンク
|