メイヨー県伯爵 (英 : Earl of the County of Mayo )は、アイルランド貴族 の伯爵 位。通常はメイヨー伯爵 (英 : Earl of Mayo )と言及される。
ジョン・バーク が1776年 に叙されたのに始まる。
歴史
暗殺されたインド総督 第6代メイヨー伯爵リチャード・バーク
メイヨー伯爵位を与えられるバーク家はバーク家の分流であり、サー・トマス・バーク(-1397) の四男ジョン・バークの末裔である(次男エドムンド・バークの末裔がメイヨー子爵 (英語版 ) (1627年創設、1767年廃絶)に叙されるバーク家本家)。ジョン・バークの同名の子孫であるジョン・バーク(1705頃–1790) は、メイヨー県 シェリフ 、アイルランド枢密顧問官 (英語版 ) 、アイルランド歳入第一弁務官(First Commissioner of the Irish Revenue)等を務め、1776年 8月1日 にキルデア県におけるネイスのネイス男爵 (Baron Naas, of Naas in the County of Kildare)、1781年 1月13日 にメイヨー県におけるマニークロワーのメイヨー子爵 (Viscount Mayo, of Moneycrower in the County of Mayo)、そして1785年 6月24日 にメイヨー伯爵 (Earl of the County of Mayo)に叙せられた(いずれもアイルランド貴族 )。以降これらの爵位はその子孫によって現在まで継承されていく[ 1] [ 2] 。
初代伯の長男である2代伯ジョン・バーク (1729–1792) は襲爵前にアイルランド議会 庶民院議員を務めた[ 2] [ 3] 。
2代伯には子供がなかったため、弟(初代伯の次男)のジョゼフ・バーク (英語版 ) (1740頃–1794) が爵位を継承した。彼はアイルランド国教会 の聖職者であり、1782年 から1794年 にかけてトゥアム大主教 (英語版 ) を務めた[ 2] [ 4] 。
その長男である4代伯ジョン・バーク (1766–1849) は襲爵前にアイルランド議会庶民院議員を務め、グレートブリテンとアイルランドの連合後の1816年 から1849年 にかけてはアイルランド貴族代表議員 としてイギリス議会 貴族院 に議席を有した。所属政党はトーリー党 だった[ 2] [ 5] 。
4代伯にも子供がなく、甥(3代伯の次男リチャードの長男)にあたるロバート・バーク (1797–1867) が5代伯を継承した。彼は1852年 から1867年 にかけてアイルランド貴族代表議員を務めた。党派は保守党 だった[ 2] [ 6] 。
その長男である6代伯リチャード・バーク (1822–1872) も保守党 の政治家であり、1847年 から1868年 まで庶民院議員を務め、その間3期にわたってアイルランド担当大臣 (英語版 ) (在職1852年 、1858年 -1859年 、1866年 -1868年 )を務めた。さらに1869年 からインド総督 に就任した[ 2] [ 7] 。しかし総督在任中の1872年 にアンダマン諸島 で暗殺されている。歴代インド総督の中で暗殺されたのは彼だけである。
その長男である7代伯ダーモット・ロバート・ウィンダム・バーク (英語版 ) (1851–1927) も保守党の政治家であり、1890年 から1927年 にかけてアイルランド貴族代表議員を務めた[ 2] 。またアイルランド自由国 成立後にはその元老院 議員となった[ 9] 。
7代伯には子供がなく、従兄弟(5代伯の四男ジョージの長男)にあたるウォルター・バーク (1859–1939) が8代伯を継承した。8代伯の死後はその次男(長男は先立って死去)のウリック・バーク (1890–1962) が9代伯を継承した[ 2] [ 10] 。
9代伯には子供がなかったので、甥(8代伯の三男ブライアンの長男)にあたるテレンス・バーク (英語版 ) (1929–2006) が10代伯を継承した[ 2] [ 11] 。
10代伯の死後、その長男であるチャールズ・バーク (1953-) が11代伯を継承した。彼が2016年 現在の当主である[ 2] [ 12] 。
本邸はアイルランド ・ゴールウェイ県 ・クリフデン (英語版 ) にあるデリーインヴァ―(Derryinver)である[ 2] 。
現当主の保有爵位
現在の当主第11代メイヨー伯爵チャールズ・バーク は、以下の爵位を保有している[ 2] [ 12] 。
第11代メイヨー伯爵 (11th Earl of the County of Mayo)
(1785年 6月24日 の勅許状 によるアイルランド貴族 爵位)
メイヨー県におけるマニークロワーの第11代メイヨー子爵 (英語版 ) (11th Viscount Mayo, of Moneycrower in the County of Mayo)
(1781年 1月13日 の勅許状によるアイルランド貴族爵位)
キルデア県におけるネイスの第11代ネイス男爵 (11th Baron Naas, of Naas in the County of Kildare)
(1776年 8月1日 の勅許状によるアイルランド貴族爵位)
メイヨー伯爵 (1785年)
系譜図
系譜図
ジョン 初代メイヨー伯爵 初代メイヨー子爵 初代ネイス男爵(1705頃-1790)
ジョン 第2代メイヨー伯爵 第2代メイヨー子爵 第2代ネイス男爵(1729-1792)
ジョゼフ ' 第3代メイヨー伯爵 第3代メイヨー子爵 第3代ネイス男爵(1740頃-1794)
ジョン 第4代メイヨー伯爵 第4代メイヨー子爵 第4代ネイス男爵(1766-1849)
リチャード
ロバート 第5代メイヨー伯爵 第5代メイヨー子爵 第5代ネイス男爵(1797-1867)
リチャード 第6代メイヨー伯爵 第6代メイヨー子爵 第6代ネイス男爵(1822-1872)
ジョージ
ダーモット 第7代メイヨー伯爵 第7代メイヨー子爵 第7代ネイス男爵(1851-1927)
ウォルター 第8代メイヨー伯爵 第8代メイヨー子爵 第8代ネイス男爵(1859-1939)
ウリック 第9代メイヨー伯爵 第9代メイヨー子爵 第9代ネイス男爵(1890-1962)
ブライアン
テレンス 第10代メイヨー伯爵 第10代メイヨー子爵 第10代ネイス男爵(1929-2006)
チャールズ 第11代メイヨー伯爵 第11代メイヨー子爵 第11代ネイス男爵(1953-)
リチャード (法定推定相続人 ) (1985-)
出典
^ Lundy, Darryl. “John Bourke, 1st Earl of Mayo ” (英語). thepeerage.com . 2016年2月9日 閲覧。
^ a b c d e f g h i j k l Heraldic Media Limited. “Mayo, Earl of (I, 1785) ” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage . 2016年2月9日 閲覧。
^ Lundy, Darryl. “John Bourke, 2nd Earl of Mayo ” (英語). thepeerage.com . 2016年2月9日 閲覧。
^ Lundy, Darryl. “Most Rev. Joseph Deane Bourke, 3rd Earl of Mayo ” (英語). thepeerage.com . 2016年2月9日 閲覧。
^ Lundy, Darryl. “John Bourke, 4th Earl of Mayo ” (英語). thepeerage.com . 2016年2月9日 閲覧。
^ Lundy, Darryl. “Robert Bourke, 5th Earl of Mayo ” (英語). thepeerage.com . 2016年2月9日 閲覧。
^ Lundy, Darryl. “Richard Southwell Bourke, 6th Earl of Mayo ” (英語). thepeerage.com . 2016年2月9日 閲覧。
^ Lundy, Darryl. “Dermot Robert Wyndham Bourke, 7th Earl of Mayo ” (英語). thepeerage.com . 2016年2月9日 閲覧。
^ Lundy, Darryl. “Walter Longley Bourke, 8th Earl of Mayo ” (英語). thepeerage.com . 2016年2月9日 閲覧。
^ Lundy, Darryl. “Terence Patrick Bourke, 10th Earl of Mayo ” (英語). thepeerage.com . 2016年2月9日 閲覧。
^ a b Lundy, Darryl. “Charles Diarmuidh John Bourke, 11th Earl of Mayo ” (英語). thepeerage.com . 2016年2月9日 閲覧。
参考文献
関連項目