ミラクルアドマイヤ
ミラクルアドマイヤ(欧字名:Miracle Admire、1995年3月3日 - 不明)は、日本の競走馬、種牡馬[1]。 経歴現役時代中央競馬で競走生活を送る。1998年3月の未勝利戦で初勝利を挙げるが、その後は脚部不安のためわずか2戦で引退。通算成績は3戦1勝と凡庸の域を出るものではないが、父が名種牡馬トニービン、母が東京優駿の勝ち馬フサイチコンコルドを出したバレークイーンという血統の良さを評価されて種牡馬となった。この時、自家用の種牡馬にすることを馬主である近藤利一の妻・近藤英子が提案、利一は反対したが、英子は「私が自分の繁殖に付ける」と宣言し、種牡馬入りの話を決めた[2]。 競走成績以下の内容は、netkeiba.com[3]およびJBISサーチ[4]に基づく。
種牡馬時代2000年から社台スタリオンステーション荻伏で繋養されたが、良血馬とはいえ当初の評価はそれほど高いものではなく、初年度こそ39頭の牝馬を集めたが年々種付け数は減少し、2003年の種付け数はわずか1頭のみである。だがその少ない産駒からカンパニーが2004年のクラシック路線に名乗りを上げ、この年ブリーダーズ・スタリオン・ステーションに移動、種付け数が171頭にまで激増した。 しかしその2005年度産駒からまったく活躍馬が出なかったため評価はふたたび急落、2007年種付けシーズン終了後の10月31日に日高軽種馬農協 (HBA) 門別種馬場に移動したが、2008年の種付け数は10頭にとどまりシーズン終了後に種牡馬を引退。ブリーダーズ・スタリオン・ステーションからノーザンホースパークへ移動し、去勢され乗馬として繋養されたが、2009年8月に退厩し廃用となった。その後に産駒のカンパニーがGIを連勝し、引退後は種牡馬として後継となったが、ミラクルアドマイヤ自身の以後の処遇は明らかになっておらず、余生を送れず廃用になった理由も不明である。 主な産駒
血統表
脚注
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