ミハイル・ツヴェット

ミハイル・ツヴェット (1901)

ミハイル・セミョーノヴィチ・ツヴェットロシア語: Михаил Семёнович Цвет, 1872年5月14日 - 1919年6月26日)は、イタリアピエモンテ州アスティ生まれのロシア植物学者。父はロシア人で母はイタリア人であった。1906年クロマトグラフィーの原理を発明した事で知られる。

ジュネーヴ大学物理学数学を学び、のち植物学に転じた。クロロフィルの研究過程でクロマトグラフィーの方法を発明し1903年に発表した。「クロマトグラフィー」の語は1906年に命名した(偶然ながらロシア語の「ツヴェット」もギリシャ語の「クロマ」も「色」を意味する)。

ノヴォロシースク大学ニジニ・ノヴゴロド工科大学タルトゥ大学を経てヴォロネジ大学の植物園に勤務し、1919年に喉頭炎によりヴォロネジで死去。晩年がロシア革命の混乱と重なったため、クロマトグラフィーの発明の重要性が認識されたのは死後しばらくしてからだった。

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