ミハイル・シーシキン
![]() ![]() ミハイル・パーヴロヴィチ・シーシキン(Михаил Павлович Шишкин、Mikhail Pavlovich Shishkin、1961年1月18日 - )は、ロシア人の作家[1]。現代において最高のロシア語作家の一人と考えられており[2][3][4][5][6]、ロシアの主要文学賞を全て受賞し、作品は35カ国語以上に翻訳されている[1]。執筆はドイツ語でも行い、1995年からスイス在住[1]。 人物ソビエト連邦時代の首都モスクワ[1]で1961年に誕生。父親はロシア人、母親はウクライナ人[1]。 モスクワ国立教育研究所で英語とドイツ語を学び、卒業後、掃除夫、道路作業員、ジャーナリスト、教師、翻訳者として働いた。 短編小説「書道教室」で1993年『月刊Znamya』誌でデビュー。1995年以来、スイスのチューリッヒに住む。書籍は5年に1冊出るペース。 散文の普遍的なスタイルには「シーシキンの言語は素晴らしく明快で簡潔だ。古風な響きがなければ、トルストイやドストエフスキーやプーシキンを越えるかもなあ」という称賛もあった[要出典]。 扱うテーマは死、復活、愛など。 アントン・チェーホフ、ウラジーミル・ナボコフ、ジェイムズ・ジョイスと比較された。チェーホフ、トルストイ、イヴァン・ブーニンの影響を受けたことを認めている。 「ブーニンは、妥協しないこと、自分自身を信じることを教えてくれた。チェーホフはヒューマニティーをつらぬき…完全にネガティブなキャラをテキストの中に描かなかった。トルストイからは、ナイーブであることを恐れないことを学びました」としている[7]。 ウクライナ問題への視点シーシキンは、2014年のロシアによるウクライナ東部やクリミアの占領問題について、日本の雑誌『すばる』2014年6月号に特別寄稿(奈倉有里訳)を寄せ、「プーチン政権下のロシア。連日ニュース番組で流されるのは、ウクライナの反戦運動を凶悪な暴動のように捉えたプロパガンダ的な視点の特集ばかりだ。しかもそこへ、昔から小話に登場するような、ウクライナ人を小馬鹿にしたイメージが加わるのだからたちが悪い」「戦争の目的はいつも、特定の政治体制の存続や繁栄でしかない」「尽きせぬ国境紛争ほど、独裁体制にとって都合のいいものはない」「気の遠くなるような人類の歴史のなかで、いったい、"国を愛せ"という呼びかけの末に、どれほどの命が犠牲になっただろう。そして今、ロシア人が、ウクライナ人が、同じ犠牲のもとに立たされようとしている」とした。 2022年ロシアのウクライナ侵攻に際しては、自宅にオデーサからの難民を受け入れた。日本の『朝日新聞』に寄稿し(沼野恭子監訳)、「ロシア人であるということに苦痛を覚える」「この戦争はウクライナのみならず、ロシア人やロシアの文化、私の母語に対する犯罪」などと侵攻を厳しく批判した[1]。プーチン後に自由な選挙を行なっても混乱を忌避するロシア国民は新たな独裁者を迎え、大量の核兵器を保有するロシアを安定させるため西側諸国もそれを承認すると悲観的に予測しつつ、ロシアの再生にはこれまでに支配・抑圧した旧ソビエト連邦構成共和国や東欧諸国への謝罪が必要であり、文学が重要な役割を果たすとも述べている [1]。 賞と栄誉
邦訳作品単行本
アンソロジー
代表的著作フィクション
ノンフィクション
参照
外部リンク
|
Portal di Ensiklopedia Dunia