ミニットメン
ミニットメン (Minutemen) は、1980年にアメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルスサンペドロにて結成されたロックバンド。5枚のアルバムと数枚のEPをリリースし、精力的にライブ活動も行っていたが、1985年、ボーカルであるD・ブーンの死により解散した。 メンバー
旧メンバー
来歴D・ブーンとマイク・ワットは13歳の頃に出会い、すぐに意気投合、お互いに音楽や芸術の話をし合う仲であった。その後、2人と同じ高校に通っていたジョージ・ハーレーとマーティン・タンブロビッチの4人でリアクショナリーズを結成。 1980年1月、リアクショナリーズ解散後、D・ブーンとマイク・ワットによりミニットメンが結成された。2人は元々ジョージ・ハーレーをドラムス担当として考えていたが、彼はヘイ・タクシー!というバンドに既に活動していたため、フランク・トンシェをドラムス担当メンバーに加えた。しかし、パンク・ロックの観客に嫌気が差し脱退。同年6月、ヘイ・タクシー!を脱退したジョージ・ハーレーがドラムス担当として加入した。初ライブはブラック・フラッグのオープニングアクトであった。 12月、ブラック・フラッグのギター担当であり、リーダーでもあるグレッグ・ギンの主催するSSTレコードより1st7インチEP『パラノイド・タイム』をリリース。1981年11月、1stLP『ザ・パンチ・ライン』をリリース。その後も精力的にライブツアーを続けながら作品を立て続けに発表した。 R.E.M.とのツアー、及び5thLP『スリー・ウェイ・タイ (フォー・ラスト)』のリリースも決まり、パンク・ロックシーン外のファンも獲得しつつあった1985年12月22日、自動車事故によりD・ブーンは他界、バンドは解散した。 D・ブーンの死に伴い音楽を続ける情熱を失っていたマイクとジョージを勇気付けたのはミニットメンのファンでもあったエド・クロフォードであった。3人は1987年にファイアホースを結成。同バンドは1994年に解散したが、その後もマイクとジョージはソロ活動や他のバンドにゲスト的に参加し、精力的に音楽活動を続けている。なお、マイク・ワットは再結成したザ・ストゥージズのベース担当として、また清水ひろたか、あらきゆうこ、ネルスクライン(ウィルコ)らと「brother's sister's daughter」、ジョージ・ハーレーはレッド・クレイオラのドラムス担当として活動している。 作品アルバム
EP
コンピレーション
映像作品
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