ミッコ・ロンカイネン

ミッコ・ロンカイネン
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名前
愛称 Rone
カタカナ ミッコ・ロンカイネン
ラテン文字 Mikko Ronkainen
基本情報
国籍  フィンランド
種目 モーグル
所属 Jyväskylän Freestyle Seura
生年月日 (1978-11-25) 1978年11月25日(46歳)
生誕地 ムーラメ
身長 166cm
体重 63kg
ワールドカップ戦歴
デビュー年 1995-1996季
引退年 2006-2007季(撤回)
総合優勝 2000-2001季
通算成績 93戦8勝(表彰台18回)
獲得メダル
男子 フリースタイルスキー
フリースタイルスキー世界選手権
2001年 モーグル
2003年 モーグル
オリンピック
2006年 トリノ モーグル

ミッコ・ロンカイネンMikko Ronkainen1978年11月25日 - )は、フィンランド中央スオミ県ムーラメ出身のモーグルスキーヤーである。

経歴

1995-1996シーズンにヨーロッパカップで1勝を挙げ、シーズン途中よりワールドカップへ出場した。17歳で初参戦となった同シーズンは全て予選落ちと芳しい成績は残せず、さらに翌シーズンも序盤で最低クラスの成績になってしまい、ナショナルチームから外されて再びヨーロッパカップに戻った。しかし、シーズン終盤の世界ユース選手権ではピエール=アレキサンダー・ルソーを僅差でやぶり優勝を果たす。また、世界ユース選手権優勝者に与えられるワールドカップ最終戦の出場権によってワールドカップ最終戦へ出場したが、20人中16位とまたも下位に終わった。

1997-1998シーズンはナショナルチームに復帰してフル参戦を果たし、デュアルでは初の一桁の順位も獲得する。20歳になった1998-1999シーズンはシングルで初めて予選を突破し、デュアルでは第3戦で2位になり、遂に表彰台に上った。さらにワールドカップ後の3月に世界選手権にも出場して予選で5位と健闘を見せたが、決勝ではミスにより15位という結果に終わってしまった。当時フィンランドはヤンネ・ラハテララウリ・ラッシラサミ・ムストネンの3人が圧倒的な強さで3強とされていたが、この頃からミッコ・ロンカイネンがフィンランド4人目の選手として注目されるようになる。

1999-2000シーズンはシングル初戦でいきなり初優勝を果たす。予選2位から決勝では唯一の27点台を叩き出すという快勝だった。初戦の後も予選では2位や3位に入るものの、決勝ではミスが目立ち、表彰台に上ることはなかった。2000-2001シーズンは第2戦で2度目となる優勝を果たす。同シーズンは1月に世界選手権が開催された。世界選手権では予選を1位で突破して最終走者となって出走すると、暫定首位のピエール=アレキサンダー・ルソーの26点台後半というポイントを大きく上回る28点台を叩き出して優勝した。世界選手権の後、ワールドカップでは第6戦でシーズン2勝目を上げる。また、首位を走るヤンネ・ラハテラが第6戦の前のデュアルで怪我をしており、第6戦を欠場していてポイント差が大きく縮まった。ヤンネ・ラハテラは最終戦も欠場することになり、5位以上で総合優勝のタイトルが掛かった最終戦で2位を獲得し、世界選手権とワールドカップの2冠を達成し、オーバーオール総合優勝も同時に手にした。

2001-2002シーズンは終盤で2勝を上げるも総合5位に終わった。また、2002年ソルトレークオリンピックにも出場したが、8位とメダル獲得はならなかった。2002-2003シーズンは序盤で1勝を上げるも後は勝ち星がなく、再び総合5位に終わった。しかし、シーズン半ばに行われた世界選手権ではエドガー・グロスピロン以来、史上2人目となる世界選手権2連覇の偉業を達成した。またも28点台で、ターン点はジャッジの5人中4人が満点で5審3採用制のため満点という高得点での優勝だった。2003-2004シーズンは翌年の世界選手権のために休むシーズンと公言して第4戦から第8戦を欠場した。

2004-2005シーズンは世界選手権直前の最終戦に1勝して、総合4位。万全の調整で臨んだシーズン最後の世界選手権でシングルでは予選3位と好位置につけたが、決勝ではエアの着地で失敗して9位に終わり、前人未到の3連覇はならなかった。デュアルではベスト4まで進んだものの、セミファイナルで同国のサミ・ムストネンに敗れ、メダルは獲得できずに終わった。2度目の出場となる2006年トリノオリンピックでは8番スタートで26点台後半の高得点を出して、20人中19人目までは暫定首位だったが、最後の1人のデイル・ベッグ=スミスに僅か0.15ポイント上回られ優勝を逃した。また、2005-2006シーズンのワールドカップではあまり好成績を残していないが、オリンピック後の最終戦で1勝を上げている。2006-2007シーズンは日本ラウンドのみ参戦して、シングルで13位、デュアルで2位になった。シーズン最後の世界選手権にも参戦して、これを最後に引退した。しかし、2009-2010シーズンにバンクーバーオリンピックへの出場を期して引退を撤回して復帰し14位となった。

主な成績

ヨーロッパカップ

  • 1995-1996シーズン 5戦1勝
    • スピンドレルフ・ムリン(チェコ)シングル優勝
  • 1996-1997シーズン 7戦1勝、3位1回
    • ラーヤヴォリ(フィンランド)シングル優勝
  • 1997-1998シーズン 2戦出場、最高33位
  • 1998-1999シーズン 1戦出場、45位

世界ユース選手権

  • 1995年マウントブラー(オーストラリア)シングル5位
  • 1996年シャテル(フランス)シングル14位
  • 1997年ラーヤヴォリ(フィンランド)シングル優勝

ワールドカップ

戦績表

シーズン シングル デュアル シングル
デュアル
統合成績
オーバーオール
総合成績
大会数 出場数 1位 2位 3位 総合成績 大会数 出場数 1位 2位 3位 総合成績
1995-1996 11戦 3戦 最高25位 67位 3戦 2戦 最高33位 - 127位
1996-1997 7戦 2戦 最高16位 6戦 2戦 最高65位 -
1997-1998 8戦 6戦 最高19位 44位 5戦 2戦 最高9位 25位 - 103位
1998-1999 5戦 5戦 最高7位 8位 3戦 3戦 1回 7位 - 20位
1999-2000 7戦 7戦 1回 6位 4戦 2戦 最高9位 22位 - 12位
2000-2001 7戦 7戦 2回 1回 優勝 1戦 1戦 最高8位 - - 優勝
2001-2002 9戦 9戦 2回 5位 3戦 2戦 最高9位 15位 - 25位
2002-2003 10戦 9戦 1回 2回 5位 3戦 2戦 最高8位 13位 -
2003-2004 11戦 7戦 1回 1回 - 3戦 1戦 1回 - 13位 46位
2004-2005 8戦 8戦 1回 1回 1回 - 3戦 3戦 最高4位 - 4位 9位
2005-2006 11戦 8戦 1回 12位 - 42位
2006-2007 7戦 1戦 最高13位 - 3戦 1戦 1回 22位 62位
通算成績 - 72戦 8回 5回 2回 - - 21戦 2回 1回 - - -

優勝歴

  • 1999-2000シーズン
    • シングル:第1戦タンダダーレン(スウェーデン)優勝
  • 2000-2001シーズン
    • シングル:第2戦ディアバレー(アメリカ)優勝、第6戦飯綱高原(日本)優勝
  • 2001-2002シーズン
    • シングル:第6戦猪苗代(日本)優勝、第8戦ルカ(フィンランド)優勝
  • 2002-2003シーズン
    • シングル:第2戦サウゼ・ドゥルクス(イタリア)優勝
  • 2004-2005シーズン
    • 第9戦ボス(ノルウェー)シングル優勝
  • 2005-2006シーズン
    • 第8戦猪苗代(日本)優勝

世界選手権

オリンピック

参考文献

外部リンク