ミス・ユニバース1993
ミス・ユニバース1993(Miss Universe 1993、第42回ミス・ユニバース世界大会)は1993年5月21日にメキシコのメキシコシティのナショナル・オーディトリアムで開催された。大会の最後にプエルトリコのダヤナラ・トレスが優勝し、前年のタイトル保持者であるナミビアのミッチェル・マクリーンからミス・ユニバースの栄冠を授けられた[1]。大会では79か国の代表が競った。日本からは志岐幸子が出場した。 これはディック・クラークが司会をした4度目で最後の大会であり、以前にミス・ユニバースで優勝したセシリア・ボロッコ(1987年)とアンヘラ・フィッサー(1989年)がカラーコメンテーターを務めた[2]。 これはメキシコで開催された3度目の大会であり、1991年にルピタ・ジョーンズがメキシコ初のミス・ユニバース優勝者になった2年後であった。最後のテレビ放送前の数週間、 参加者たちは公式行事と観光を兼ねてカンペチェ州、オアハカ州、サカテカス州、ケレタロ州、メキシコシティのソチミルコ区を訪れた[3]。 メキシコ代表のアンジェリーナ・ゴンザレスがナショナル・コスチューム審査で10位以内に残れず、本選の10人のセミファイナリストにも残れなかったため、大会は観衆のブーイングで混乱した[4]。ブーイングは特にミス・ユニバース機構本部がある国、アメリカ代表のケニア・ムーアに向けられた[1]。審査員が紹介される間、特にメキシコの審査員ホセ・ルイス・クエバスとミス・ユニバース1991優勝者ルピタ・ジョーンズが紹介された後に観衆のブーイングは高まった。観衆はその2人のせいでミス・メキシコが入賞出来なかったと見た。 その夜の最初の2つのイベント、水着審査とインタビュー審査の間ずっとブーイングは続いた。ナショナル・オーディトリアムの観衆はミッチェル・マクリーンと代表たちが『ゲット・オン・ユア・フィート』を歌い踊るミュージカル・ナンバーの後、やっと落ち着いた[4]。全会場のブーイングは止み、イブニングガウン審査、審査員の質問、最後の質問、戴冠式は大きな支障なく続けられた[4]。 最終結果入賞者
特別賞
参考文献一覧
脚注
外部リンク |