第2代ホーク男爵 マーティン・ブレイデン・ホーク (英語 : Martin Bladen Hawke, 2nd Baron Hawke 、1744年 4月20日 – 1805年 3月27日 )は、イギリス の政治家、グレートブリテン貴族 。1768年から1774年まで庶民院 議員を務めた[ 1] 。
生涯
初代ホーク男爵エドワード・ホーク と妻キャサリン(Catherine 、旧姓ブルック(Brooke )、1720年ごろ – 1756年10月28日、ウォルター・ブルックの娘)の息子として、1744年4月20日にハンプシャー のリミントン (英語版 ) で生まれた[ 1] 。1754年から1756年までイートン・カレッジ で教育を受けた後[ 2] 、1764年7月11日にオックスフォード大学 クイーンズ・カレッジ に入学、1771年7月4日にD.C.L. (英語版 ) の学位を授与された[ 3] 。同年、リンカーン法曹院 で弁護士資格免許を取得した[ 3] 。
父は七年戦争 でイギリス海軍 の軍人として活躍し、1766年12月から1771年まで海軍卿 (英語版 ) を務めた経歴があり[ 4] 、その息子であるマーティンは1768年イギリス総選挙 で海軍本部 の勢力が強いソルタッシュ選挙区 (英語版 ) から出馬して当選した[ 2] [ 5] 。議会での演説は主に海軍関連の議題で占められ、半給 制度に関する採決(1773年2月)とグレンヴィル法 (1774年2月)で野党に同調して投票したほかは概ね与党に同調した[ 2] 。
1774年イギリス総選挙 ではヨーク選挙区 (英語版 ) から出馬した[ 6] 。ヨークでは第2代ロッキンガム侯爵チャールズ・ワトソン=ウェントワース が支配を強めており、マーティンは反ロッキンガム派として立候補したものの、ロッキンガム侯爵の勢力には勝てず、得票数3位(647票)で落選した[ 6] 。
1781年10月17日に父が死去すると、ホーク男爵 位を継承した[ 1] 。
1805年3月27日に死去、長男エドワード が爵位を継承した[ 1] 。
家族
1771年2月6日、カサンドラ・ターナー(Cassandra Turner 、1748年 – 1813年11月19日、第2代準男爵サー・エドワード・ターナー (英語版 ) の娘)と結婚[ 1] 、2男4女をもうけた[ 2] 。
カサンドラ・ジュリア(1772年1月16日[ 7] – 1821年以降) - 1793年7月15日、サミュエル・エストウィック(Samuel Estwicke )と結婚。1800年9月、スティーブン・スローン(Stephen Sloane )と再婚。1821年8月28日[ 8] 、トマス・グリーン(Thomas Green )と再婚[ 9]
エドワード・ハーヴィー=ホーク (1774年5月3日 – 1824年11月29日) - 第3代ホーク男爵[ 9]
マーティン・ブレイデン・エドワード(1777年4月1日 – 1839年9月14日) - 1815年3月8日、ハンナ・ニスベット(Hannah Nisbet 、1876年4月6日没、トマス・ニスベットの娘)と結婚、子供あり。第6代ホーク男爵エドワード・ホーク の父[ 1] [ 9]
キャサリン(1779年12月10日 – 1780年3月3日[ 7] ) - 夭折[ 8]
キャサリン・イザベラ(1783年3月13日 – 1786年8月10日[ 7] ) - 早世[ 8]
アナベラ・イライザ・カサンドラ(Annabella Eliza Cassandra 、1787年8月22日[ 7] – 1818年3月21日[ 8] ) - 生涯未婚[ 9]
出典
^ a b c d e f Cokayne, George Edward , ed. (1892). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (G to K) (英語). Vol. 4 (1st ed.). London: George Bell & Sons. pp. 195–196.
^ a b c d Drummond, Mary M. (1964). "HAWKE, Martin Bladen (1744-1805), of Scarthingwell Hall, Yorks." . In Namier, Sir Lewis ; Brooke, John (eds.). The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年8月11日閲覧 。
^ a b Foster, Joseph , ed. (1891). Alumni Oxonienses 1715-1886 (E to K) (英語). Vol. 2. Oxford: University of Oxford. p. 627.
^ Brooke, John (1964). "HAWKE, Sir Edward (1710-81), of Scarthingwell Hall, Yorks." . In Namier, Sir Lewis ; Brooke, John (eds.). The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年8月11日閲覧 。
^ Christie, I. R. (1964). "Saltash" . In Namier, Sir Lewis ; Brooke, John (eds.). The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年8月11日閲覧 。
^ a b Brooke, John (1964). "York" . In Namier, Sir Lewis ; Brooke, John (eds.). The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年8月11日閲覧 。
^ a b c d Kearsley, George (April 1804). Kearsley's Complete Peerage of England, Scotland and Ireland (英語). London. p. 248.
^ a b c d Lodge, Edmund (1859). The Peerage and Baronetage of the British Empire as at Present Existing (英語) (28th ed.). London: Hurst and Blackett. p. 296.
^ a b c d Burke, Sir Bernard ; Burke, Ashworth P., eds. (1915). A Genealogical and Heraldic History of the Peerage and Baronetage, the Privy Council, Knightage and Companionage (英語) (77th ed.). London: Harrison & Sons. p. 1003.
外部リンク