マルク家マルク家(ドイツ語:Haus Mark)またはラ・マルク家(フランス語:Maison de La Marck)は、神聖ローマ帝国のマルク伯領を支配した貴族の家系。ベルク伯家の分家であり、後にいくつかの傍系に分かれた。本家は後にマルク伯領に加え、ユーリヒ公国、クレーフェ公国およびベルク公国も手に入れ、分家はアーレンベルク伯領、ブイヨン公領、スダン公領などを領した。 歴史マルク伯家マルク伯家は、アルテナ伯領を支配したベルク伯家の分家を起源とする。同家の初代アドルフ1世フォン・マルクは、マルク城に因んでこう呼ばれた。エンゲルベルト2世(1328年没)は、アーレンベルク家女子相続人マティルデ(1348年没)と結婚し、その後同家はマルク伯家とマルク=アーレンベルク家の二流に分かれた。また、それらの家からさらにヌヴェール公家およびロシュフォール伯家が出た。アドルフ2世がマルク伯領を継承し、その子孫は最終的にユーリヒ、クレーフェおよびベルク公領をも継承したが、1609年に断絶した。継承戦争の末、1666年にマルク伯領はホーエンツォレルン家のブランデンブルク選帝侯に相続されることなり、ブランデンブルク選帝侯はこののち150年間、マルク伯領を相続した。プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム2世は、2人の庶子にマルク伯の称号を与えている。 アーレンベルク伯家エンゲルベルト2世の子エーバーハルト1世がアーレンベルク領を相続した。エーバーハルトの孫ヨハン(1470年没)の三子により、この家はさらにアーレンベルク家、スダン家およびランメン家に分かれた。エーバーハルト3世(1496年没)がアーレンベルク領を相続したが、ロベルト3世でこの家系の男系は断絶、ロベルトの妹でジャン・ド・リーニュと結婚したマルガレーテが相続し新たなアーレンベルク家を創設した。 スダン公およびブイヨン公家ロベルト1世(ロベール1世、1487/9年没)がスダン領を相続、ブイヨン公領も支配した。ロベール2世は「アルデンヌの悪魔」と呼ばれた。ロベール3世(1536年没)およびロベール4世(1556年没)はともにフランス元帥に任ぜられた。アンリ=ロベールは公領の大部分を失い、スダン公と名乗った。娘で相続人のシャルロット(1594年)の結婚により公領はラ・トゥール・ドーヴェルニュ家に継承された。 ランメン領主家「アルデンヌの猪」と呼ばれたヴィルヘルム1世(1483年没)が今日のベルギーのランメンを継承した。子孫のヴィルヘルム2世はゴイセンの長となったが、1578年に毒殺された。また、フィリップ(1613年没)は、マンダーシャイト=シュライデンの女子相続人と結婚し、その息子エルンスト(1654年没)は、シュライデンおよびザッフェンブルクを継承した。同家の女子相続人マルガレーテはアーレンベルク公カールと結婚し、所領はアーレンベルク家に継承された。 系図マルク伯家の系図はマルク伯領#系図参照。 アーレンベルク伯家、スダンおよびブイヨン公家
参考文献
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