アーレンベルク家が独立領主としての地位を得たのは1117年から1129年の間と推定され、同家は1166年に初めて史料に登場する。同家はケルン城伯の地位を一時的に占めたが、1279年にはその地位をケルン大司教に売却している。アーレンベルク家領には2つの中心部が存在した。一族の本拠であるアーレンベルク城塞と、ジーク川流域地方である。同家はジーク川沿いのキルブルク、ヴィッセンおよびシェーンシュタイン城(Schloss Schönstein)を支配下に収めていた。ジーク川流域における領土は、アーレンベルク領主エーバーハルト(Eberhard von Arenberg)と、フロイスブルク城(Burg Freusburg)とその付属領の女子相続人であるアライディス・フォン・モルスベルク(Aleidis von Molsberg)との結婚によってさらに拡大したと考えられる。二人の息子ハインリヒ3世はフルッセ(Flusse)南部に領地を広げ、そして「アーレンベルク("von Arenberg")」の家名を名乗るようになった。その後継者ゲルハルトは北方へ領土を広げ、ヴィルデンブルク地方(Wildenburger Land)を影響下においた。しかしアーレンベルク家の男系は1280年に断絶した。
Hellmuth Gensicke: Landesgeschichte des Westerwaldes. 3. Auflage. Historische Kommission für Nassau, Wiesbaden 1999, ISBN 3-922244-80-7.
Gerhard Köbler: Historisches Lexikon der deutschen Länder. Die deutschen Territorien vom Mittelalter bis zur Gegenwart. 7., vollst. bearb. Aufl., Beck, München 2007, ISBN 3-406-54986-1 (Art. Arenberg S. 23f., Art. Croy (Herzog) S. 125)
Peter Neu: Die Arenberger und das Arenberger Land. Landesarchiverwaltung, Koblenz 1989-2001, 6 Bde.
Emsländischer Heimatbund (Hrsg.): Die Arenberger im Emsland, Sögel 2003.