現在の元帥杖
フランス元帥の臂章
フランス元帥 (フランスげんすい、フランス語 : Maréchal de France , 複数形: Maréchaux de France )は、フランス軍 の軍人 に与えられる称号 。
現在、1972年 7月13日 の法律第4条には「フランス陸軍元帥及びフランス海軍元帥の称号は、国家より与えられる栄誉である」と定められており、個別の階級 でなく名誉称号や栄典 にあたる。そのため、最終階級として元帥 に任じられることはない。ただし、個別の階級章 は存在する。
また、他国の元帥位が原則として大将 からの昇格であるのに対し、特別な武功を立てた将校に授与されると規定されているため、例として第一次世界大戦 時の総司令官であったフェルディナン・フォッシュ は戦功を称えられフランス元帥に叙されたが、最終階級は中将 であった。
1185年 に栄典が創設されて以来、342人の将校がフランス元帥に叙された。また、そのうち6人は、フランス大元帥 というさらに高位の栄典を授与された。
陸軍大将が五つ星の臂章をつけるのに対して、フランス元帥は七つ星の臂章(高官の階級章 )を身につけ、さらに、元帥位のもう一つの象徴である星をちりばめた青いビロード張りの元帥杖を授与される。そこにはこう銘記されている「Terror belli, decus pacis 」(戦時には恐るべく、平時には輝かしく)と。
Terror belli...
... decus pacis
歴史
君主制の時代
初めの頃、フランス元帥の役割は王の馬を管理するだけだった。13世紀 初頭、フランス元帥はコンスタブル(またはコネターブル (英語版 ) 、騎兵隊)隷下として軍に組織された。軍の栄典として初めて王からフランス元帥を授与された人物は、フィリップ2世 によりMezの領主に任命されたアルベリク・クレマン(Gauthier III de Nemours )で、1185年のことだった。
1624年 にリシュリュー がコンスタブル職を廃止した後は、フランス元帥が軍の最高司令官となった。元帥の中でもさらに王の信任を受けた人物は、「国王の陣営と軍隊の大元帥」(フランス大元帥 )を授与されることもあった。
それらの任務に加えて、国家憲兵隊 の前身である「maréchaussee」(近衛騎兵隊)への国の命令を管理する任務も遂行した(この国の命令は、元帥の長官の仲介者を通して通達された)。
この栄典がいったん廃止される1793年 までにフランス元帥になった人物は263人いた。
フランス革命、帝政から19世紀にかけて
元帥号は、1793年2月21日に国民公会により廃止された。
1804年 5月18日 のfr:sénatus-consulte (上院、元老院の法令)は「帝国元帥」を規定した。フランス第一帝政 下で「フランス帝国の元帥」について全ての面で明確にされた。
フランス復古王政 では、帝国元帥はフランス元帥になる。
1839年 8月4日 の法律では、フランス元帥の定員は平時の6人以上であり、戦時で12人に増員できることを規定している。平時の定員を超えている場合は、さらに3人の欠員を昇進させることができる。
フランス第二帝政 下では、ナポレオン3世 は称号を変えなかった。フランス元帥は元老院 の正規のメンバーとなった。
フランス第三共和政 下では、元帥の職権が帝政を強くイメージさせるため、第一次世界大戦 以前にフランス元帥が授与されることはなかった。最後の元帥フランシス・セルタン・ドゥ・カンロベール(Francois Certain de Canrobert )は1895年 に死去した。
フランス元帥よりさらに権威のあるフランス大元帥は19世紀まで存在した。
20世紀
第一次世界大戦中に元帥の権威が復元された。最後のフランス元帥2人は、1967年 に亡くなったアルフォンス・ジュアン(Alphonse Juin )、および1970年 に死亡したマリー=ピエール・ケーニグ [ 1] である。
フランス元帥位に昇格する特別な要件はないが軍隊を指揮して勝利する事が慣例となっている。
フランス元帥位は、20世紀まで法律ではなく命令を通して授与された。ただし、法律は事前認可の命令だった。こうして、ジャン・ド・ラトル・ド・タシニー は元帥位に昇格した。同日の法令の第2条では、陸軍大将のジャン・ド・ラトル・ド・タシニーに死後追号(titre posthume)としてフランス元帥位の授与を政府は許可したとある。同様に、フィリップ・ルクレール もフランス元帥の位階に昇格した[ 2] 。
フランスの公式文書は大文字で統一されている。(「Maréchal de France」や「maréchal de France」)
元帥の特権
元帥は勤務費として9000フランを個人で受け取る。この金額は1960年 8月2日 の法令第1条で定められており、現在も有効である。
第二次世界大戦 中に叙任された元帥および将軍は、オテル・デ・ザンヴァリッド に埋葬される権利があると、1929年3月27日の法律で定められている。
年金の補助に関する規定(1929年 4月14日 の法律)があり、特別な元帥だったフォッシュの未亡人(1929年3月29日 の法律)とラトル・ド・タシニーの未亡人(1952年 7月11日 の法律)に与えられた。もう一つの法令(1967年12月28日 )では、アルフォンス・ジュアン元帥の未亡人本人から相続税 (フランス語版 )が免除された。
カペー朝
フィリップ2世(1180年 - 1223年)
ルイ9世(1226年 - 1270年)
フィリップ3世(1270年 - 1285年)
フィリップ4世(1285年 - 1314年)
ルイ10世(1314年 - 1316年)
フィリップ5世(1316年 - 1322年)
シャルル4世(1322年 - 1328年)
ヴァロワ朝
フィリップ6世(1328年 - 1350年)
ジャン2世(1350年 - 1364年)
シャルル5世(1364年 - 1380年)
シャルル6世(1380年 - 1422年)
シャルル7世(1422年 - 1461年)
ルイ11世(1461年 - 1483年)
シャルル8世(1483年 - 1498年)
ヴァロワ=オルレアン朝
ルイ12世(1498年 - 1515年)
ヴァロワ=アングレーム朝
フランソワ1世(1515年 - 1547年)
アンリ2世(1547年 - 1559年)
フランソワ2世(1559年 - 1560年)
シャルル9世(1560年 - 1574年)
アンリ3世(1574年 - 1589年)
ブルボン朝
アンリ4世(1589年 - 1610年)
ルイ13世(1610年 - 1643年)
ルイ14世(1643年 - 1715年)
ルイ15世(1715年 - 1774年)
ヴィクトル・モーリス , ブロイ伯 (1646年 - 1727年), 授与年:1724年
アントワーヌ・ガストン, ロクロール公(Antoine Gaston, duc de Roquelaure )(1656年 - 1738年), 授与年:1724年
ジャック・ルエル, グランセ伯およびメダヴィー伯(Jacques Rouxel, comte de Grancey et de Medavy )(1655年 - 1725年), 授与年:1724年
レオノール・デュ・メーヌ, ル・ブール伯(Leonor du Maine, comte du Bourg )(1655年 - 1739年), 授与年:1724年
イヴ, アレーグル侯(Yves, marquis d'Alegre )(1653年 - 1733年), 授与年:1724年
ルイ・ドービュッソン, ラ・フイヤード公(Louis d'Aubusson, duc de la Feuillade )(1673年 - 1725年), 授与年:1724年
アントワーヌ5世, ギシュ公, グラモン公(Antoine V, duc de Guiche, duc de Gramont )(1671年 - 1725年), 授与年:1724年
アラン・エマニュエル, コエトロゴン侯(Alain Emmanuel, marquis de Coetlogon )(1646年 - 1730年), 授与年:1730年
シャルル・アルマン・ド・ゴントー, 2代ビロン公(Charles de Gontaut, duc de Biron )(1663年 - 1756年), 授与年:1734年
ジャック・ド・ピュイセギュール (1656年 - 1743年), 授与年:1734年
クロード・ビダル, アスフェル侯(Claude Bidal, marquis d'Asfeld )(1665年 - 1743年), 授与年:1734年
アドリアン=モーリス, 3代ノアイユ公(Adrien, duc de Noailles )(1678年 - 1766年), 授与年:1734年
クリスチャン・ルイ・ド・モンモランシー=リュクサンブール, タングリー公(Christian Louis de Montmorency-Luxembourg, prince de Tingry )(1675年 - 1746年), 授与年:1734年
初代ブロイ公フランソワ=マリー (1671年 - 1745年), 授与年:1734年
フランソワ・ド・フランケット, コワニー公(Francois de Franquetot, duc de Coigny )(1670年 - 1759年), 授与年:1734年
シャルル, レヴィ=シャルリュ公(Charles, duc de Levis-Charlus )(1669年 - 1734年), 授与年:1734年
ルイ・ド・ブランカ・ド・フォルカルキエ, セレスト侯(Louis de Brancas de Forcalquier, marquis de Cereste )(1671年 - 1750年), 授与年:1740年
ルイ・アウグスト・ダルベール・デリー, ショルンヌ公(Louis Auguste d’Albert d’Ailly, duc de Chaulnes )(1675年 - 1744年), 授与年:1741年
ルイ=アルマン・ド・ブリシャントー, ナンジ侯(Louis-Armand de Brichanteau, marquis de Nangis )(1682年 - 1742年), 授与年:1741年
ルイ・ド・ガン・ド・メロード・ド・モンモランシー, イサンギャン公(Louis de Gand de Merode de Montmorency, prince d’Isenghien )(1678年 - 1767年), 授与年:1741年
ジャン=バティスト・ド・デュルフォール, デュラス公(Jean-Baptiste de Durfort, duc de Duras )(1684年 - 1778年), 授与年:1741年
ジャン=バティスト・デマレ, メールボワ侯(Jean-Baptiste Desmarets, marquis de Maillebois )(1682年 - 1762年), 授与年:1741年
シャルル・ルイ・オーギュスト・フーケ・ド・ベル=イル , 通称ベル=イル元帥 (1684年 - 1762年)。授与年:1741年
モーリス・ド・サックス , 通称サックス元帥 (1696年 - 1750年)。授与年:1741年。フランス大元帥授与年:1747年
ジャン=バティスト・アンドロー, モレヴリエ侯(Jean-Baptiste Andrault, marquis de Maulevrier )(1677年 - 1754年), 授与年:1745年
クロード・テステュ, バランクール侯(Claude Testu, marquis de Balincourt )(1680年 - 1770年), 授与年:1746年
フィリップ・シャルル, ラ・ファール侯(Philippe Charles, marquis de la Fare )(1687年 - 1752年), 授与年:1746年
フランソワ, アルクール公(Francois, duc d'Harcourt )(1689年 - 1750年), 授与年:1746年
ギー, モンモランシー=ラヴァル伯(Guy, comte de Montmorency-Laval )(1677年 - 1751年), 授与年:1747年
ガスパール, クレルモン=トネール公(Gaspard de Clermont-Tonnerre , duc de Clermont-Tonnerre )(1688年 - 1781年), 授与年:1747年
ルイ・シャルル, ラ・モット=ウダンクール侯(Louis Charles, marquis de La Mothe-Houdancourt )(1687年 - 1755年), 授与年:1747年
ユルリク・フレデリック・ウォルデマール, ロワンダル伯(Ulrich Frederic Woldemar, comte de Lowendal )(1700年 - 1755年), 授与年:1747年
ルイ・フランソワ・アルマン・ド・ヴィニュロー・デュ・プレシ , リシュリュー公(1696年 - 1788年)。授与年:1748年
ジャン・ド・フェイ, ラ・トゥール=モーブール侯(Jean de Fay, marquis de la Tour-Maubourg )(1684年 - 1764年), 授与年:1757年
ルイ・アントワーヌ・ド・ゴントー=ビロン(Louis Antoine de Gontaut-Biron )(1701年 - 1788年), 授与年:1757年
ダニエル・フランソワ・ド・ジェラ・ド・ボアザン・ダンブル, ロートレック子爵(Daniel Francois de Gelas de Voisins d’Ambres, vicomte de Lautrec )(1686年 - 1762年), 授与年:1757年
シャルル2世・フランソワ・フレデリック・ド・モンモランシー, ピネー=リュクサンブール公(Charles Francois Frederic de Montmorency, duc de Piney-Luxembourg )(1702年 - 1764年), 授与年:1757年
ルイ・ル・テリエ, エストレ公 (1695年 - 1771年), 授与年:1757年
ジャン・シャルル・ド・ラ・フェルテ, ラ・フェルテ=センテール侯(Jean Charles de la Ferte, marquis de La Ferte-Senneterre )(1685年 - 1770年), 授与年:1757年
チャールズ・オブライエン, トモンド伯およびクレア子爵(Charles O'Brien de Thomond, Comte de Thomond et de Clare )(1699年 - 1761年), 授与年:1757年
ガストン・ド・レヴィ, ミルポワ公(Gaston de Levis, duc de Mirepoix )(1699年 - 1758年), 授与年:1757年
ベルチェーニ・ラースロー (Ladislas Ignace de Bercheny )(1689年 - 1778年), 授与年:1758年
ユベール・ド・ブリエンヌ, コンフラン伯(Hubert de Brienne, comte de Conflans )(1690年 - 1777年), 授与年:1758年
ルイ・ジョルジュ, コンタッド侯(Louis Georges, marquis de Contades )(1704年 - 1795年), 授与年:1758年
スービーズ公シャルル・ド・ロアン (1715年 - 1787年), 授与年:1758年
ヴィクトール=フランソワ, 2代ブロイ公 (1718年 - 1804年), 授与年:1759年
ギー・ミシェル・ド・デュルフォール・ド・ロルジュ, ランダン公(Guy Michel de Durfort de Lorge, duc de Randan )(1704年 - 1773年), 授与年:1768年
ルイ・ド・コンフラン, アルマンティエール侯(Louis de Conflans, marquis d'Armentieres )(1711年 - 1774年), 授与年:1768年
ジャン・ド・コッセ, ブリサック公(Jean de Cosse, duc de Brissac )(1698年 - 1780年), 授与年:1768年
ルイ16世(1774年 - 1792年)
アンヌ・ピエール, アルクール公(Anne Pierre, duc de Harcourt )(1701年 - 1783年), 授与年:1775年
第4代ノアイユ公ルイ・ド・ノアイユ (1713年 - 1793年), 授与年:1775年
ムシー公フィリップ・ド・ノアイユ (第4代ノアイユ公ルイ・ド・ノアイユの弟、1715年 - 1794年), 授与年:1775年
アントワーヌ, ニコライ公(Antoine, comte de Nicolai )(1712年 - 1777年), 授与年:1775年
シャルル, 4代フィツ=ジャメ公, ジェームズ・フィッツジェームズ の子(Charles, duc de Fitz-James )(1712年 - 1787年), 授与年:1775年
エマニュエル・ド・デュルフォール, デュラス公(Emmanuel de Durfort, duc de Duras )(1715年 - 1789年), 授与年:1775年
デュ・ムイ伯ルイ・ニコラ・ヴィクトル・フェリックス・ド・オリエール (1711年 - 1775年), 授与年:1775年
サン=ジェルマン伯爵クロード=ルイ (1707年 - 1778年), 授与年:1775年
ギー・ド・モンモランシー, ラヴァル公(Guy de Montmorency, duc de Laval )(1723年 - 1798年), 授与年:1783年
オーギュスタン, マイイ伯(Augustin, comte de Mailly )(1708年 - 1794年), 授与年:1783年
アンリ・ブシャール・デスパルブ・ド・リュッサン, オーブテール侯(Henri Bouchard d'Esparbes de Lussan, marquis d'Aubeterre )(1714年 - 1788年), 授与年:1783年
シャルル・ジュスト・ド・ボーヴォー=クラン, ボーヴォー公 (Charles Juste de Beauvau-Craon, prince de Beauvau )(1720年 - 1793年), 授与年:1783年
ノエル・ジュルダ, ヴォー伯(Noel Jourda de Vaux , comte de Vaux)(1705年 - 1788年), 授与年:1783年
フィリップ・アンリ・ド・セギュール , セギュール侯(1724年 - 1801年), 授与年:1783年
ジャック・フィリップ・ド・ショワズール=スタンヴィル , ショワズール伯(1727年 - 1789年), 授与年:1783年
シャルル・ウジェーヌ・ガブリエル・ド・ラ・クロワ・ド・カストリー (1727年 - 1800年), 授与年:1783年
エマニュエル, クロイ公(Emmanuel, duc de Croy )(1718年 - 1784年), 授与年:1783年
フランソワ=ガストン・ド・レビ (1719年 - 1787年), 授与年:1783年
ニコラ・リュクネール (1722年 - 1794年), 授与年:1791年
ジャン=バティスト・ド・ロシャンボー (1725年 - 1807年), 授与年:1791年
第一帝政
ナポレオン1世(1804年 - 1815年)
第一帝政の元帥杖
ナポレオン1世(フランス皇帝) は、26名を Maréchal d'Empire (帝国元帥) (英語版 ) に列した。
26名の帝国元帥のうち、19名の名前が、パリを取り巻く Boulevards des Maréchaux (元帥大通り) の各道路に冠されている(除外されたのは、[1] オージュロー 、[2] ベルナドット 、[3] ド・グルーシー 、[4] マルモン 、[5] ド・モンセー 、[6] ウディノ 、[7] ド・ペリニョン ) 。
また、26名の帝国元帥のうち、3名が戦陣に斃れ(ベシェール 、ランヌ 、ポニャトフスキ ) 、4名が非業の死を遂げた(ベルティエ は自殺、ブリューヌ は暗殺、ミュラ とネイ は刑死) 。
ベルティエ
ミュラ
ジョアシャン・ミュラ (1767年 - 1815年) 皇族、ベルク大公、クレーフェ公。1808年よりナポリ国王ジョアッキーノ1世。ナポレオンの義弟で、「世界最高の騎兵」 と称された。授与年:1804年
モンセー
ジュールダン
ジャン=バティスト・ジュールダン (1762年 - 1833年)帝国伯爵。世渡り上手な元帥。指揮能力は二流と評されるが、政治面で有能ぶりを発揮した。授与年:1804年
マッセナ
アンドレ・マッセナ (1758年 - 1817年) エスリンク大侯爵、リヴォリ公爵。第一統領期から帝政前期に特に活躍した優秀な戦術家で「勝利の愛し子」 と称された。授与年:1804年
オージュロー
ピエール・オージュロー (1757年 - 1816年)カスティリオーネ公爵。イタリア遠征時に多くの武功を立てたが、貪欲な野心家でもあった。授与年:1804年
ブリューヌ
スールト
ニコラ=ジャン・ド・デュ・スールト (1769年 - 1851年)ダルマティア公爵。優れた用兵家でナポレオンをして「ヨーロッパで最も優れた戦術家」 と言わしめ、練兵の達人としても知られた。王政復古後にフランス大元帥や首相となる。授与年:1804年。フランス大元帥授与年:1847年 。
ベルナドット
ジャン=バティスト・ジュール・ベルナドット (1763年 - 1844年)ポンテコルヴォ公爵、1818年よりスウェーデン王カール14世ヨハン。ナポレオンのライバルと目された時期もあり、軍事的評価は毀誉半ばする。後に離反、対仏大同盟の先鋒として活躍した。授与年:1804年
ランヌ
ジャン・ランヌ (1769年 - 1809年)モンテベッロ公爵、シェヴィエシュ公爵。勇猛果敢な戦いぶりで数々の軍功を打ち立て、「大陸軍のロラン」「フランスのアイアス」 と称賛された。ナポレオンからは親友として遇された。授与年:1804年
centerモルティエ
エドゥアール・モルティエ (1768年 - 1835年)トレヴィーゾ公爵。知勇兼備の元帥。政戦問わず活躍し、後に首相となる。授与年:1804年
ネイ
ミシェル・ネイ (1769年 - 1815年)エルヒンゲン公爵、モスクワ川 大公。逆境での粘り強い戦いぶりでナポレオンから「勇者の中の勇者」 と絶賛された元帥。人好きな性格で、元帥中最も中心的な役割を果たした。授与年:1804年
ダヴー
ルイ=ニコラ・ダヴー (1770年 - 1823年)アウエルシュタット公爵、エックミュール大公。生涯不敗を誇り、「不敗のダヴー」 と称された元帥。数々の伝説を打ち立て、軍事面で最優秀の元帥と目される。授与年:1804年
ベシェール
ケレルマン
フランソワ・クリストフ・ケレルマン (1735年 - 1820年)ヴァルミー公爵。名誉元帥。ヴァルミーの戦いでフランスを救った英雄。老齢だったこともあり帝政期には目立つ任務にはついていないが、国民や兵士からの信頼は絶大だった。授与年:1804年
ルフェーヴル
フランソワ・ジョゼフ・ルフェーヴル (1755年 - 1820年)ダンツィヒ公爵。名誉元帥。長い軍歴を持ち、帝政後半では近衛部隊を指揮した。夫婦ともども実直且つ人情味溢れる性格で知られる。授与年:1804年
ペリニョン
セリュリエ
ジャン=マチュー・フィリベール・セリュリエ (1742年 - 1819年) 帝国伯爵。名誉元帥。極めて長い軍歴を誇り、イタリア遠征ではナポレオンの副将格として活躍。その後は老齢もあって主に二線級の職務をこなした。授与年:1804年
ペラン
マクドナル
ジャック・マクドナル (1765年 - 1840年)ターラント公爵。スコットランド系の血筋を引く。誠実且つ忠実な性格で知られ、他国からも定評があった。授与年:1809年
ウディノ
ニコラ・ウディノ (1767年 - 1847年)ルジオ公爵。勇猛果敢で知られたが、その分敗北・負傷も多かった。授与年:1809年
マルモン
オーギュスト・マルモン (1774年 - 1852年)ラグーザ公爵。ナポレオンの士官学校時代の友人。優れた砲兵将校で、フランス軍の砲兵近代化に尽力した。ナポレオンからは側近として厚遇されていたが、第一帝政末期に無許可で降伏し汚名を被った。授与年:1809年
スーシェ
ルイ=ガブリエル・スーシェ (1770年 - 1826年)アルブフェーラ公爵。頭角を現すのは遅かったが特にスペイン戦役で活躍し、ナポレオンに「元帥中最優秀である」 と評価されたこともある。授与年:1811年
サン=シール
ローラン・グーヴィオン=サン=シール (1764年 - 1830年)帝国伯爵。1817年より王国侯爵。ナポレオンから「防御戦の第一人者」と見なされていた。熱烈な共和主義者だった為、ナポレオンとはやや距離を置いていた。授与年:1812年
ポニャトウスキ
ジョゼフ・アントワーヌ・ポニャトウスキ (1763年 - 1813年)ポニャトフスキ大公。元々ポーランドの王族で、元帥中唯一の外国人。祖国復興の為、ポーランド騎兵を率いて各地で奮闘したが、元帥位授与後3日目にして非業の死を遂げた。授与年:1813年
グルーシー
エマニュエル・ド・グルーシー (1766年 - 1847年) グルーシー侯爵。優秀な重騎兵指揮官として名を馳せたが、ワーテルローの戦いで失態を犯した。百日天下期に元帥位を授与されたことでも知られる。授与年:1815年
復古ブルボン朝
ルイ18世(1814年 - 1824年)
ジョルジュ・カドゥーダル(Georges Cadoudal )(1771年 - 1804年), 授与年:1814年(死後追号)
ジャン・ヴィクトル・マリー・モロー (1763年 - 1813年), 授与年:1814年(死後追号)[ 6]
フランソワ=アンリ・ド・フランケット, コワニー公(Francois-Henri de Franquetot, duc de Coigny )(1737年 - 1821年), 授与年:1816年
アンリ・ジャック・ギヨーム・クラーク, フェルトレ公(Henri Jacques Guillaume Clarke , duc de Feltre)(1765年 - 1818年), 授与年:1816年
ルイ・リエル, ブルノンヴィル侯(Pierre Riel, marquis de Beurnonville )(1752年 - 1821年), 授与年:1816年
シャルル・デュ=ウ, ヴィオメニル侯(Charles du Houx, marquis de Vioménil )(1734年 - 1827年), 授与年:1816年
ジャック・ロー, ロリストン侯(Jacques Law, marquis de Lauriston )(1768年 - 1828年), 授与年:1823年
ガブリエルジャン・ジョゼフ・モリトール(Gabriel, comte Molitor )(1770年 - 1849年), 授与年:1823年
シャルル10世(1824年 - 1830年)
オルレアン朝
ルイ・フィリップ1世(1830年 - 1848年)
モーリス=エティエンヌ・ジェラール(Maurice-Etienne Gerard )(1773年 - 1852年), 授与年:1830年
ベルトラン・クローゼル(Bertrand, comte Clauzel )(1772年 - 1842年), 授与年:1831年
エマニュエル・ド・グルーシー (1766年 - 1847年), 授与年(再):1831年
ジョルジュ・ムートン, ロバウ伯(Georges Mouton, comte de Lobau )(1770年 - 1838年), 授与年:1831年
シルヴァン・シャルル・ヴァレ(Sylvain Charles, comte Valee )(1773年 - 1846年), 授与年:1837年
オラース・セバスティアニ(Francois Horace Sebastiani )(1772年 - 1851年), 授与年:1840年
ジャン=バティスト・ドルーエ、エルロン(デルロン)伯爵 (1765年 - 1844年), 授与年:1843年
トマ・ロベール・ブジョー (1784年 - 1849年), 授与年:1843年
オノレ・シャルル・レイユ(Honore, comte Reille )(1775年 - 1860年), 授与年:1847年
ギヨーム・ドード, ラ・ブリュヌリー子爵(Guillaume Dode, vicomte de la Brunerie )(1775年 - 1851年), 授与年:1847年
第二共和政
ナポレオン3世(大統領)(1848年 - 1852年)
ジェローム・ボナパルト (1784年 - 1860年)ヴェストファーレン国王 授与年:1850年
レミ・ジョゼフ・イシドール, エグゼルマン伯(Rémy Joseph Isidore, comte Exelmans )(1775年 - 1852年), 授与年:1851年
ジャン=イシドール・アリスプ (1768年 - 1855年), 授与年:1851年
ジャン=バティスト・フィリベール, ヴァイヨン伯(Jean-Baptiste, comte Vaillant )(1790年 - 1872年), 授与年:1851年
アシル・アルマン・ジャック・ル・ロワ・ド・サンタルノー(Achille Armand Jacques Le Roy de Saint-Arnaud )(1798年 - 1854年), 授与年:1852年
ベルナール・ピエール・マニャン(Bernard Pierre Magnan )(1791年 - 1865年), 授与年:1852年
エスプリ・ヴィクトル・ボニファス, カステラーヌ侯(Esprit Victor Boniface, marquis de Castellane )(1788年 - 1862年), 授与年:1852年12月2日[ 7]
フランス第二帝政
ナポレオン3世(皇帝)(1852年 - 1870年)
アシル・バラゲ・ディリエ(Achille, comte Baraguey d’Hilliers )(1795年 - 1878年), 授与年:1854年
エマーブル・ペリシエ, マラコフ公(Aimable Pélissier )(1794年 - 1864), 授与年:1855年
ジャック・ルイ・セザール, ランドン伯(Jacques Louis Cesar, comte Randon )(1795年 - 1871年), 授与年:1856年
フランシス・セルタン・ドゥ・カンロベール(Francois Certain de Canrobert )(1809年 - 1895年), 授与年:1856年
ピエール・ジョゼフ・フワンソワ・ボスケ(Pierre Joseph François Bosquet )(1810年 - 1861年), 授与年:1856年
パトリス・ド・マクマオン (1808年 - 1893年), 授与年:1859年
オーギュスト・ミシェル・エティエンヌ, ルニョー・ド・サン=ジャン=ダンジェリ伯(Auguste Michel Etienne, comte Regnault de Saint-Jean-d’Angely )(1794年 - 1870年), 授与年:1859年
アドルフ・ニール(Adolphe Niel )(1802年 - 1869年), 授与年:1859年
フィリップ・アントワーヌ, オルナノ伯(Philippe Antoine, comte d’Ornano ) (1784年 - 1863年), 授与年:1861年
エリ・フレデリック・フォレ(Élie Frédéric Forey )(1804年 - 1872年), 授与年:1863年
フランソワ・アシル・バゼーヌ (1811年 - 1888年), 授与年:1864年
エドモン・ルブーフ(Edmond Le Bœuf )(1809年 - 1888年), 授与年:1870年
第三共和政
レイモン・ポアンカレ(1913年 - 1920年)
アレクサンドル・ミルラン(1920年 - 1924年)
第四共和政
ヴァンサン・オリオール(1947年 - 1954年)
第五共和政
フランソワ・ミッテラン(1981年 - 1995年)
ケーニグ元帥と将校。後の米大統領ドワイト・D・アイゼンハワー と共に。
脚注
^ 1984年6月6日の法令による死後追号
^ 1952年7月11日に法律で認可され、1952年8月23日に共和国大統領 が法令を公布した。しかし、両方の法律は政府によるもの。(法案として計画されたが提議されていない)。
^ Moreri および Le Clerc , Le grand dictionnaire historique sur le melange curieux de l'histoire sacree et profane , vol. 3, Halma (lire en ligne )
^ https://books.google.fr/books?id=9ZliiOO3kAkC&pg=PA216
^ Ce n'est pas le celebre d'Artagnan, juste un parent eloigne
^ Dictionnaire des marechaux de France, editions Perrin .
^ Beghain 、Benoit 、Corneloup および Thevenon , Dictionnaire historique de Lyon , Lyon, Stephane Baches, 1504 p. (ISBN 978-2-915266-65-8 ) , p. 244
^ Suite a son proces, Philippe Petain est frappe d'indignite nationale, mais les historiens ne semblent pas d'accord sur le fait que cette indignite comprenait egalement la perte de son titre de marechal de France.
^ Loi no 52-52 du 15 janvier 1952 et decret no 52-56 du 15 janvier 1952 , JORF no 13 du 16 janvier 1952, p. 658 et 666.
^ Decret du 7 mai 1952 , JORF no 111 du 8 mai 1952, p. 4713.
^ Loi no 52-811 du 11 juillet 1952 , JORF no 167 du 12 juillet 1952, p. 7003, et decret du 23 aout 1952 , JORF no 203 du 24 aout 1952, p. 8430.
^ Decret du 6 juin 1984 , JORF no 134 du 8 juin 1984, p. 1775.
参考文献
Comte Louis d'Harcourt, Connetable et Marechaux de France , Emile Paul Freres, Paris, 1913 (2 vol.)
Genevieve Maze-Sencier, Dictionnaire des marechaux de France du Moyen Age a nos jours , Perrin, Paris, 2000
Simon Surreaux, Les Marechaux de France des Lumieres, Histoire et Dictionnaire d'une elite militaire dans la societe d'Ancien Regime , SPM, Paris, 2013
関連項目
外部リンク