マリー・フォン・ヘッセン=カッセル (1804-1888)
マリー・フォン・ヘッセン=カッセル(ドイツ語: Marie von Hessen-Kassel, 1804年9月6日 - 1888年1月1日)は、ドイツのヘッセン=カッセル家の侯女で、ザクセン=マイニンゲン公ベルンハルト2世の妃。 生涯ヘッセン選帝侯ヴィルヘルム2世とその妻でプロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム2世の娘であるアウグステの間の第5子、三女として生まれた[1]。全名はマリー・フリーデリケ・ヴィルヘルミーネ(Marie Friederike Wilhelmine)。ヘッセン選帝侯夫妻は6人の子どもをもうけたが、そのうち4人は夭折し、5歳を過ぎても育っていたのは兄フリードリヒ・ヴィルヘルムとマリーだけだった。しかし父がライヒェンバッハ=レッソニッツ伯爵夫人エミーリエと関係を持っていたことで8人の異母弟妹がいた。 1822年、母の友人であるスウェーデンの伯爵夫人シャルロッタ・アウロラ・ドゥ・イェールからスウェーデン王太子オスカル(後のオスカル1世)との縁談が持ち込まれたが成立せず、代わりにオスカルは翌年にロイヒテンベルク公女ヨゼフィーネと結婚した[2]。 1825年3月23日にカッセルでベルンハルト2世と結婚し[1]、ザクセン=マイニンゲン公妃(Herzogin von Sachsen-Meiningen)となった。夫はザクセン=マイニンゲン公ゲオルク1世とその妃のホーエンローエ=ランゲンブルク侯女ルイーゼ・エレオノーレの間の息子で、イギリス王ウィリアム4世の王妃アデレードの弟だった。夫妻の間には1男1女の2人の子女が生まれた。長男ゲオルクは1843年に長女アウグステが生まれるまで17年間きょうだいはいなかった[3]。1882年に夫が亡くなって未亡人となり、6年後の1888年正月に83歳で死去した。 子女脚注参考文献
外部リンク
|
Portal di Ensiklopedia Dunia