マリオ・ヌッツィ
マリオ・ヌッツィ、通称マリオ・デ・フィオーリ(Mario Nuzzi、通称: Mario de' Fiori、1603年1月19日 - 1673年11月14日)はイタリアの画家である。花を描くのを得意とし、「マリオ・デ・フィオーリ(花のマリオ)」と呼ばれた。 略歴ローマで生まれた。父親はイタリア中部、ペンナ・イン・テヴェリーナの地主で、母親は静物画や風俗画を得意とした画家、トンマーゾ・サリーニ(Tommaso Salini: 1575–1625)の妹だった[1][2]。1618年に家族と父親のペンナ・イン・テヴェリーナの邸に移り、自然の中で育ち、園芸を楽しみ、花の絵を描いて楽しんだ。17歳になった時、ローマの叔父の工房の弟子になった[3]。当時のローマは、カラヴァッジオの絵画のスタイルが高い人気を保っていて、叔父もカラヴァッジオの影響を受け、またカラヴァッジオと軋轢のあった画家であった[2]。 1625年に叔父が死去した後、叔父の工房と顧客を引き継ぎ、1628年にイギリス出身の女性と結婚した。美術収集家のカッシアーノ・ダル・ポッツォ[3]やバルベリーニ家などの有力な顧客からの支援を受けるようになった。この頃フランドルの画家、特にダニエル・セーヘルスの静物画の影響を見せるようになった。 1657年にアカデミア・ディ・サン・ルカのメンバーになった。1658年からはキージ枢機卿の宮殿の装飾画を描いた。ラウリ(Filippo Lauri)、マラッティ(Carlo Maratti)、 ブランディ(Giacinto Brandi)、メイ(Bernardino Mei)といった画家が人物を描き、ヌッツィは花を描いた。 弟子にはラウラ・ベルナスコーニ(Laura Bernasconi)、ドメニコ・ベッティーニ(Domenico Bettini)、バルトロメオ・ビンビ(Bartolomeo Bimbi)らがいる。 作品
参考文献
関連文献
|
Portal di Ensiklopedia Dunia