マドリード・バラハス空港地上衝突事故
マドリード・バラハス空港衝突事故(マドリード・バラハスくうこうしょうとつじこ、英: Madrid runway disaster)とは、1983年12月7日(現地時間、CET)にスペインのマドリードのバラハス国際空港の滑走路上でイベリア航空350便とアビアコ航空134便が衝突した航空事故である。 なお、約2週間前にもマドリードで航空事故(アビアンカ航空011便墜落事故)が発生している[1]。 事故概要1983年12月7日、濃霧の中でイベリア航空350便(ボーイング727、機体記号:EC-CFJ、バラハス空港発フィウミチーノ空港(ローマ)行き)はバラハス空港の滑走路01からの離陸許可を得た[1][2][3] 。その頃アビアコ航空134便(DC-9、機体記号:EC-CGS、バラハス空港発サンタンデール空港行き)は離陸に向けて滑走路01へタキシング中だった[2][3]。134便のクルーは霧の中で誤った場所で方向転換し、350便が離陸滑走中の滑走路に誤進入した。350便は134便を発見し、衝突を回避しようと機首上げをして離陸しようとした。しかしV2(安全離陸速度)に達しておらず、350便の胴体後部が134便に激突し、双方の機体は破壊され火災が発生した[1][2][3]。134便に搭乗していた42人全員と、350便に搭乗していた93人のうち51人(乗客50人、クルー1人)が死亡した[2][3][4]。350便の死者のうち34人は日本人観光客だった。また350便の死者の中には南アフリカ人ピアニストのMarc Raubenheimerがおり、134便の死者の中には有名なメキシコ人女優のFanny Canoがいた。 事故原因事故調査により事故原因は、空港が視界不良であったこと、および134便の滑走路への誤進入をまねいた不十分な標識とマーキングであると判明した[2][3]。 類似事故
参考文献
関連項目
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