マット・ニール
マット・ニール(Matthew Neal、1966年12月20日 - )は、イギリスのレーシングドライバーである。 人物イギリスツーリングカー選手権(BTCC)での活躍で知られており、2005年と2006年及び2011年にチャンピオンを獲得。このレースでトリプルチャンピオンを獲得したドライバーの1人。 彼は、自動車メーカーのサポートを受けないインディペンデント(プライベーター)チームから長い間参戦していた事でも知られ、合計6度のインディペンデント部門のタイトルを獲得。1999年に日産・プリメーラを駆って初優勝を成し遂げた。 父親のスティーブによって設立された合金ホイールのメーカーであるリムストックのグループマーケティングディレクターとしての一面も持つ[1]。 キャリアキャリア初期スタウアブリッジ生まれ。モトクロスでレースキャリアをスタートし、1988年にフォードフィエスタXR2iカテゴリーでドライブ。彼は1990年と1991年に英国のグループNチャンピオンを獲得[2]。彼はまた、BMW・M3で1990年にスネッタートン・サーキットで行われた、ウィルシャー24時間レースを制した。1991年からイギリスツーリングカー選手権(BTCC)に参戦を始めた。 イギリスツーリングカー選手権(1991–2001)ニールは、 1991年シーズンの シルバーストーン大会から、ピラミッド・モータースポーツのBMW・M3で、BTCCデビューを果たした。 1992年も自身の父親が運営する、チーム・リミストク(チーム・ダイナミックスに翌年から変更)から参戦した。 彼は1993年にメーカーのサポートを受けないドライバーが対象のインディペンデントタイトルを獲得。1994年には、マツダのセミ・ワークスチームからクセドス6(日本名:マツダ・ユーノス500)で参戦。しかし、シルバーストンでのレースで、チームメイトのデイビッド・レズリーとボクスホールのクリス・グッドウィンと接触し、横転する大きなクラッシュを負ってしまった。ニールは以降のレースを欠場し、マツダもシーズン半ばで撤退してしまう。1995年シーズンは、再びダイナミックスからフォード・モンデオで参戦。2回目のインディペンデントのタイトルを獲得した。1997年シーズン途中から日産・プリメーラに乗り換え、1999年にはドニントンパークで他のワークスドライバーを抑えて前年型プリメーラで初優勝を記録[3]。この年も自身3度目のインディペンデントタイトルを獲得し、翌年も前年タイトルを獲得した日産ワークスが不在の中、ブランズ・ハッチ戦では、ホンダのトム・クリステンセンとフォードのリカルド・リデルと優勝争いを演じ、再び優勝を飾る。この年も4度目のインディペンデントのタイトルを獲得した[4] [5]。2001年シーズンはヨーロッパツーリングカー選手権に参戦することになり開幕戦のみ、プジョーチームから参戦した。また同年のBTCCは大幅なレギュレーション改定がなされている。 ヨーロッパツーリングカー選手権(2001)BTCCの開幕戦に参戦後、ニールはRJN・モータースポーツからヨーロッパツーリングカー選手権のスーパーツーリングカテゴリにエントリーした。マシンはBTCCでもドライブした、日産・プリメーラ。第5戦のマニクール戦から参戦を開始。ニールは266ポイントを獲得し、ランキング14位となる。また最終戦のエストリル・サーキットで優勝を飾った。 BTCCに復帰(2002–2003)。2002年にBTCCに復帰。ニールはポール・オニールと一緒にボクスホール・アストラクーペをドライブする。チームはデレック・ワーウィック率いるエッグ・モータースポーツ。145ポイント獲得することに成功し、チームメイトを上回るシリーズ3位を獲得。2003年は、アリーナ・インターナショナルからホンダ・シビックでチームメイトのアラン・モリソンとトム・チルトンと共に参戦。この年もシリーズ3位を獲得した。 チームダイナミクスに戻る(2004–2007)ニールはチームダイナミクス(現在のスポンサーはハルフォード)に再加入し、ドライバーズランキング全体で5位、インディペンデントランキングでは、4位となった。 2005年にチームはホンダ・インテグラを独自に開発。インディペンデントチームながら、他のワークスチームに対抗した。この動きは長い歴史を持つBTCCでも、非常に珍しい事だったが、ニールはブランズ・ハッチでドライバーズタイトル獲得を決め、全30戦でポイントを獲得することに成功している。 またこの年のダイナミクスは、チーム部門のタイトルも獲得し、2000年以来5度目のインディペンデントタイトル獲得となった。 2006年もニールのインテグラは高い完走率を保持し、BTCCを2年連続で制すことに成功。チーム部門とインディペンデント部門のタイトルも合わせて、3冠を達成した。 2007年は、マシンをホンダ・シビックに変更して望んだが、この年はセアトとボクスホール勢のタイトル争いとなり、タイトル争いもファブリツィオ・ジョヴァナルディとジェイソン・プラトが最終戦まで争い、ジョヴァナルディがシリーズタイトルを獲得。ニールはランキング4位に留まった。また、この年2回目の開催となった、ブランズ・ハッチでの第1レースでクラッシュし、一時的に入院を余儀なくされた。 VX Racing(2008–2009)2008年はボクスホールのVX・レーシングに移籍。ボクスホール・ベクトラをドライブした。しかし、この2年間は1勝ずつ挙げるに留まり、2008年はシリーズ5位。2009年はシリーズ4位となっている。 ホンダレーシング(2010–)ニールは2010年シーズンにチームダイナミクスに戻り、ゴードン・シェーデンと一緒にホンダ・シビックタイプRをドライブした[6]。 ドライバーズタイトルこそジェイソン・プラトに奪われはしたものの、ホンダの製造者タイトルとチームタイトル獲得に貢献し、翌2011年にシビックタイプRで自身3度目のドライバータイトルを獲得した。以降も引き続き、ホンダのドライバーとして毎年BTCCに参戦。50歳を越えた、2019年現在も第一線で活躍している。 オーストラリアニールは、オーストラリアのレースにも参戦経験を持ち、同国の耐久レースとして知られるバサースト1000にも4回参戦。1997年と1998年に同国にて活躍しているスティーブン・リチャーズとコンビを組みプリメーラで参戦。1998年には総合2位を獲得した。また同レースには2000年と2008年にも参戦している。 レース記録イギリスツーリングカー選手権
ヨーロッパツーリングカー選手権
バサースト1000
FIA ツーリング・カー・ワールド・カップ
参照資料
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