マッチャーヌ級潜水艦
マッチャーヌ級潜水艦(泰: เรือดำน้ำชั้นมัจฉาณุ, 英: HTMS Matchanu class submarine)は、タイ海軍の潜水艦。 タイ初の潜水艦で、同型艦4隻が大日本帝国で建造され、シャム王国へ1938年(昭和13年)に納入された。 概要海軍の近代化を進めていたシャム王国海軍が、1935年に潜水艦建造を国際入札にかけ、帝国海軍による乗組員訓練付きで三菱重工が落札した。 1937年から1938年にかけて、三菱重工業神戸造船所で4隻が竣工した。なお、造船所の名を取って「三菱型」とも呼ばれる。現在に至るまで、日本が建造した唯一の輸出潜水艦である。 設計・性能は、当時の日本製潜水艦に準じるが、発令所の下方にセーフティ・タンクを設け、緊急時の急速浮上に万全を期した設計となっていた。 日本での訓練タイ海軍にとって初めての潜水艦であり、訓練生118名を竣工に先立って日本へ派遣し、訓練を受けさせている。 1936年5月31日、第一陣40名が客船「那智山丸」でタイを出発、6月12日に神戸に到着した。6月13日から10月25日まで千葉県船橋市の小学校に滞在し、軽巡洋艦「龍田」士官の監督指導のもと、訓練を行っている。 就役から戦中1・2番艦は1936年5月6日に起工し、同12月24日に進水。1937年9月4日に竣工、引き渡しが行われ、タイ海軍は『潜水艦の日』として記念日に制定した。その後3・4番艦も竣工し、1938年6月に彼らの手により神戸を出港、3週間掛けて台湾とフィリピンを経由してバンコクへ無事到着し、7月19日に就役した。 1940年の仏領インドシナとの国境紛争では哨戒任務に、1945年のバンコク空襲後には、搭載発電機で市街に電力供給を行った。大きな戦闘に従事することはなく、4隻全てが終戦を迎えている。 戦後![]() 日本の敗戦によりメンテナンスに支障を来したこと、1951年の海軍クーデター(マンハッタンの反乱)失敗のあおりを受け、1951年11月30日、4隻とも退役、後に解体された。 現在は、1番艦「マッチャーヌ」の艦橋と単装砲がタイ海軍博物館に展示されている。 艦名艦名はタイの古典文学(ラーマキエン、プラ・アパイ・マニー、クン・チャーン=クン・ペーン)から採られ、1番艦のマッチャーヌはハヌマーンの息子にちなんでいる。
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