マウロ・ファリーナマウロ・ファリーナ(Mauro Farina、1956年12月9日 - )は、イタリア・ブレシア出身のシンガーソングライター、音楽プロデューサー、実業家[1]。 アーティスト名義はマーク・ファリーナ(Mark Farina)他多数。レコードレーベル『SAIFAM』(BOOM BOOM BEAT)の主宰者である。 プロフィール1970年代にイタリアのバンド「Caravan」のベース兼ボーカルとしてデビュー。当初は普通のロックバンドだったが、『You and me tonight』(1983年)よりディスコ音楽に目覚める。 1981年、ジュリアーノ・クリヴェレンテとともにSAIFAM社の前身となる「FACTORY SOUND STUDIO」を設立。自身のプロデュース作品としては、Ken Laszlo『Hey Hey Guy』(1984年)が初のヒットナンバーとなる。 1984から1987年にかけては、TIME RECORDSで主要のソングライターとして活動する傍ら、DISCO MAGICレーベルにも楽曲提供を行った。自身がボーカルを務めるRadiorama(アルバムのジャケットにいる2人は単なるモデルである)の『Aliens』(1986年)や『Yeti』(1987年)などをヒットさせたほか、プロデューサーとしても Max-Him『Lady Fantasy』(1985年)やAleph『Fire on the moon』(1986年)など、イタリアに留まらずドイツやスイスなど欧州各国のヒットチャートに自身のプロデュース作品を送り込み、イタロ・ディスコからユーロ・ビートへと発展するヨーロッパの音楽シーンの流行をけん引した。『Aliens』は世界で50万枚以上売れたという。 アレフ、ラジオラマ、ソフィー、フレッド・ヴェンチュラ、COO COO、マックス・コヴェリ、マッチョ・ギャング、チップ・チップ、キング・コング&ジャングル・ガールズなど、イタリアにおいては膨大な数のアーティストをプロデュースしている。アルファレコードから発売されていたコンピレーション・アルバム、THAT'S EUROBEAT(ザッツ・ユーロビート)には、ファリーナが手がけた曲が多数収録されており、ファリーナの存在無くしてのユーロビート・シーンは、貧弱なもので終わっていた可能性もあった。イギリスにおけるストック・エイトキン・ウォーターマン同様に、ユーロビートを語る上では外せない重要な人物である。 ファリーナのプロデュース作品は欧州の外、特に日本で大ヒットした。しかし日本市場を重視するファリーナとクリヴェレンテの意識の違いが生じ、ファリーナはFLEAレーベルへの移籍を経て、その後自身のレーベルAsia Recordsを設立した。クリヴェレンテはこれに理解を示し、仲たがいではないとのこと。日本ではその後、キング・コング&ジャングル・ガールズ『恋のブン・ブン・ダラー』(1989年)やRadiorama『ABCD』(1988年)などが大ヒットし、ファリーナは1980年代末より日本レコード協会のゴールドディスクを3年連続して受賞している。 1980年代後半にジュリアーノ・クリヴェレンテ、フロリアン・ファディンジェールと共にユーロビート兼音楽プロデューサーユニットのF.C.F.を結成[2]。日本におけるユーロビートの流行をけん引した。 1990年代前半は一時期活動を休止していたものの、1995年には日本市場向けのBOOM BOOM BEAT(3B)[3]を新設し、自身がヴォーカルを務めた「VIRTUAL LOVE / KEN MARTIN」(BBB 001、EUROBEAT FLASH Vol5に収録)を第一弾として、本格的に楽曲製作を再開し、ユーロビートをより発展させ、日本市場で特に好まれる極端にBPMの早い曲調を打ち出した。 現在も、イタリアの独立系レーベルとしては最大手となるSAIFAMグループの総帥として、ヴェローナを本拠地として、経営に当たるほか、歌手、またはプロデューサーとしても現役であり、SUPER EUROBEATを中心に制作した楽曲が収録されている。 Giancarlo Pasquini(Alephのボーカル、別名Dave Rodgers)と、Federico Di Bonaventura(別名Fred Ventura)をユーロビートの世界に誘ったことで知られている。 主なアーティスト名義
他多数。また、単発で使用した名義も存在する[4] 。 脚注・出典
関連項目
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