マイルズ ジェミニマイルズ ジェミニ
マイルズ M.65 ジェミニ (Miles M.65 Gemini) は、第二次世界大戦後にイギリスのマイルズ・エアクラフトで製造された双発のレシプロ軽飛行機である。マイルズの名を冠した航空機としては最後の量産機種となった。 概要イギリスの航空機技術者フレデリック・ジョージ・マイルズの名を冠したマイルズ・エアクラフトは、第二次世界大戦中にイギリス空軍向けの練習機"マスター"や"マジスター"、マスターの派生型の標的曳航機"マーチネット"などの軍用機を生産していた。 "M.65 ジェミニ"は第二次世界大戦中にイギリス軍の連絡機/観測機として生産された"メッセンジャー"をベースにエンジンを双発化した民間向けの4人乗りツーリング機として、1945年10月26日に初飛行した。ジェミニの機体は樹脂コーティングされたプライウッド(合板)で構成されており、機体部分はメッセンジャーと似ていたがエンジンは左右の主翼に移され、メッセンジャーの3枚の垂直尾翼は2枚に変更されていた。 ジェミニの最初の量産機は出力100hpのブラックバーン シーラス・マイナーを2基搭載しており、最初の1年間に130機が生産された。これ以降の改良モデルではデ・ハビランド ジプシー・メジャーなど、異なるエンジンを搭載したものもあった。 1947年にマイルズ・エアクラフトが破産した時点で、8機のジェミニが注文を受けて製造中の状態になっていた。これらのジェミニは2機がマイルズの不動産を買い取ったハンドレページ・エアクラフトで、5機がウルヴァーハンプトンのウルヴァーハンプトン・アビエーション・グループで、そして1機がマイルズ・エアクラフトの名を受け継いだF.G.マイルズ・リミテッドで組み立てられて完成した。 ジェミニはイギリスの他、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカ共和国といった英連邦諸国にも多く輸出され、1940年代から50年代前半頃のエアレースにも多く出場した。1949年のキングス・カップ・レースでは、出力145hpのジプシー・メジャーを搭載したジェミニ (機体記号:G-AKDC) が優勝を飾った[1]。 また1948年6月には、南アフリカ共和国に売却された1機のジェミニ (機体記号:G-AKEP)が独立宣言を出した直後のイスラエルに持ち込まれ、創成期のイスラエル空軍の装備機の一つとなった[2]。しかし、保守・メンテナンスの点で問題があり、第一次中東戦争での実戦には投入されていないと見られる。 1951年にはF.G.マイルズ・リミテッドで組み立てられた2機のジェミニが出力155hpのブラックバーン シーラス・メジャーを搭載した状態で完成し、この機種はマイルズによってマイルズ M.75 アリエス (Miles M.75 Aries) と新たに命名された。 2017年現在、7機のジェミニがイギリスで登録されており、また1機がスウェーデンで登録されている。 形式・派生型![]()
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要目ジェミニ 1Aの諸元[5]
脚注・出典
参考文献
関連項目
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