マイマイ新子と千年の魔法
『マイマイ新子と千年の魔法』(マイマイしんことせんねんのまほう)は、片渕須直監督、マッドハウス制作によるアニメーション映画。高樹のぶ子の自伝的小説『マイマイ新子』を原作とする。昭和30年代の山口県防府市を舞台に、お転婆で空想好きな少女の新子と、東京から来た転校生の貴伊子との友情を描く[2]。文部科学省特別選定(対象:少年向き)、文部科学省選定(対象:青年向き、成人向き、家庭向き)[2]。興行収入は6400万円を記録している[1]。 概要本作品は、30数館という小規模で公開され宣伝もほとんど行われなかったため、興行的には振るわなかったが、感動した観客からの熱心な活動が行われた。この作品の高い評判が、片渕監督の次回作『この世界の片隅に』につながることになった。(#『マイマイ新子と千年の魔法』から『この世界の片隅に』へも参照) 原作は、著者の少女時代を小説の中で見事に再現したが、アニメ化によって、舞台となった昭和30年の山口県防府の風景が圧倒的に美しい映像で描かれた。 公開当初、本作の観客動員数は低迷し、劇場公開は4週間で終了した。監督の片渕須直がのちに分析したところによれば、大きな問題は2点あったという。ひとつめは、広告宣伝の方向が「親子向け」を指向し、アニメファン向きではなかったこと。そしてふたつめは、一般的な社会人が鑑賞しやすい夕方以降の上映時間を組んだ映画館が少なかったことだった。だが作品の質の高さから熱心なファンを獲得し、上映継続を求めるインターネット署名運動が行われる等の動きを呼んだ。これらの動きに呼応して、いくつかの映画館が上映継続に名乗りを上げ、2年間に及ぶロングランに結びついた。 また、山口県防府市では、まさに映画の舞台となった国衙の中心地で野外上映を行ったり、松崎小学校や佐波神社など映画の舞台となった実在の場所を探訪する「マイマイ新子探検隊」が何度にもわたって行われている[3]。地元との良好な関係性についても特筆される[4]。 当初、海外でのDVDリリースはされなかったが、海外のファンからのキックスターターでの熱いラブコールに応えて英語版DVDの製作販売が企画されている。(#英語版DVDの経緯も参照) 履歴
あらすじ昭和30年の山口県防府市。青木新子は祖父の小太郎から、千年前の都の話を聞かされる。平安の時代、この地は「周防の国」と呼ばれ、国衙遺跡や当時の地名をいまでもとどめている。広がる麦畑の下には千年前の街がある[12]。新子はそこに住む自分と同じ年頃のお姫様・諾子を想像する。物語は新子と諾子の時代を行き来しながら進む。 新子は東京から転校してきた島津貴伊子と仲良くなる。新子と貴伊子はシゲルたちと桑畑の水路をせきとめ、大きなダム池を作って遊ぶがそこへ1匹の金魚があらわれる。新子たちは金魚に「ひづる」と名付けて飼い始める。保健室のひづる先生が結婚すると聞いた新子たちは金魚のひづるに花やビー玉を飾って祝うが、翌日ひづるは死んでいた。新子はひづるを都跡の記念碑の裏に葬り、千年の魔法で帰ってきてくれるよう願う。新子たちは金魚を探すが見つからず、あきらめかけたところをタツヨシに鼓舞される。だがその日の夕方、タツヨシの父親が借金苦で首つり自殺したとの知らせが入る。新子は米をつめた一升瓶を背負って家を出るとタツヨシを誘い、父親を自殺に追い込んだバー・カリフォルニアに仇討ちに行く。だがタツヨシは泣き崩れるバーの女に手が出せず、生前父親と仲良くできなかったことを悔やみ、新子と店を飛び出す。タツヨシと別れた新子は用水路に金魚を見つけ、貴伊子を連れてきて、夜道で金魚を眺める。翌日ひづる先生は退職。冬の終わり、新子の祖父も亡くなる。春、新子一家は父親の勤務先の街に引っ越すことになり、貴伊子たちに見送られて旅立つ。 登場人物
キャスト2008年8月24日、周南市のKRY山口放送本社で声優を選ぶオーディションを実施し、川上聡生(10歳)、奥田風花(13歳)が地元から応募した376名の中から選ばれている。 スタッフ
受賞
関連商品DVD、Blu-ray
CD
書籍
英語版DVDの経緯日本の文化的要素が強く、アクションやファンタジーに欠けるため、海外での商業的な成功は難しいと思われ、当初この作品は英語圏でのリリースはされなかった[24]。しかし海外でのアニメ祭で受賞して、作品に感動した熱心な海外のファンも多いため、2012年の2月に英国のグラスゴーの会社 All the Animeが、英語版DVD・ブルーレイ製作にかかる3万ドル(約240万円)を集めるため「キックスターター」運動を開始したところ、わずか24時間以内に英語字幕版に必要な3万ドルを達成[25][26]、5日後に英語吹き替え版に必要な6万ドルを達成、さらにその後30日間で当初の目標をはるかに超える、10万7千ドルが集まった。過剰の予算はDVDのボーナス特典の製作に使用される予定。賛同者の合計は1891人で55ドルから75ドル支援した人が最も多かった。2014年11月のリリースを目標に製作されている[24]。 『マイマイ新子と千年の魔法』から『この世界の片隅に』へ主人公・新子の母親の長子は29歳。舞台は、昭和30年代の山口県防府市。片渕監督は、そこからわずか10年遡れば、戦争中で、長子は子供(新子)を身ごもる中で大変であっただろうと考えていた[27]。その頃、映画の資料で協力してもらった防府市の関係者とイベントで一緒になった際、その人が持っていた『夕凪の街 桜の国』のクリアファイルがきっかけで、こうの史代の『この世界の片隅に』を知ることとなった[28]。 舞台は広島。山口から地続きの隣の県で10年しか差がなく、長子とすずは一歳違いでキャラも似ている[29]。読み始めて、すぐに引き込まれ、生活のディテールを表現する点など自身と同じ作品への姿勢に共通するところを感じ、アニメ化を決意する[27]。企画は、細田守の才能を見出し『時をかける少女』のアニメ化を細田に持ちかけて実現させ[30]、渡辺信一郎の『坂道のアポロン』[31]や、今敏の劇場作品をいくつも手がけた、丸山正雄が両作品とも務めた。 当初、丸山は本作のテレビアニメ化を考えていたが、2010年10月に舞台となった防府市で『マイマイ新子と千年の魔法』の野外上映会が開催され、地元だけでなく全国から1,000人あまりの人が集まった[32]。まるで「村祭り」のようにスクリーンに集った熱心な人たちを見て、丸山はテレビアニメよりもハードルのずっと高い劇場アニメ化の企画を決断した[32]。そして、版権元の双葉社に映像化の許可を求めて連絡するが、既にテレビドラマ化の決定が下されていた[28]。しかし、双葉社の担当は『マイマイ新子と千年の魔法』の監督であると知ると、それならばと、ドラマ化とは分けて考えることにして、アニメ化については「是非」こちらへ預けたい、と社内を調整してくれたという[29][33]。 丸山は映画制作を成立させるべく多くの会社と交渉をしていったが、遅々として進まなかった。困った丸山は、2013年1月頃、多くのアニメ作品を手がける真木太郎に参加を依頼し、真木は前作『マイマイ新子と千年の魔法』のDVDを観た[34]。驚愕し尋常でない感動をした真木は、苦労を背負い込むことになってもプロデューサーを引き受ける、と決意を固めたという[34]。 しかし、配給の打診は進展せず、真木はクラウドファンディングを試みることになった[34]。このアニメはファンタジー、魔法、ロボットのようなアニメらしい特徴がないが、ファンとなった人たちは、片渕監督を押し上げたいという匂いを感じてくれ、クラウドファンディングで支援してくれたという[34]。クラウドファンディングは目標を大きく上回り、ほぼ倍の3900万円を記録し、東京テアトルを配給会社とする製作委員会を組織でき[34]、映画『この世界の片隅に』は、ついに公開へ向けて進むことができるようになった。 リバイバル上映『この世界の片隅に』は、ミニシアター系で公開された映画としては異例の大ヒットを果たした。新宿地区においても、配給元の東京テアトルの直営館であるテアトル新宿に続き、かつて『マイマイ新子と千年の魔法』のロードショーの旗艦館であった新宿ピカデリーでの拡大上映が2016年12月24日より開始された。この日の舞台挨拶に立った片渕須直監督と真木太郎プロデューサーより、片渕監督の前作である『マイマイ新子と千年の魔法』の7年ぶりのリバイバル上映を新宿ピカデリーで行うことが発表された。『マイマイ新子と千年の魔法』と『この世界の片隅に』を続けて見ることができるという企画であった[35]。 2017年1月8日、『マイマイ新子と千年の魔法』のリバイバル上映が新宿ピカデリーのシアター6(232席)にて行われた。舞台挨拶に立った片渕は、わずか1時間半でチケットが完売したという大反響を受け、デジタル映写機用のDCPマスターを松竹が新規に制作したことと、それを使用したリバイバル上映を再び行うことが決定したことを発表した。それまでミニシアターなどで行われてきたリバイバル上映ではフィルムが、またこの日のリバイバル上映ではブルーレイが使用されており、7年前に上映が終了した映画の上映用マスターが新規に制作されることは極めて異例であるという[36]。 1月20日、DCPマスターのお披露目となるリバイバル上映が、新宿ピカデリーの最大スクリーンであるシアター1(580席)にて行われた[37]。DCPマスターでの上映は各地の映画館で予定されているという[38]。 脚注
関連項目外部リンク
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