ポンティアナック
ポンティアナック(インドネシア語:Kota Pontianak)は、インドネシア・カリマンタン島に位置する西カリマンタン州の州都である。漢語では坤甸 (Khuntien) と呼ぶ。中規模の産業都市で、ボルネオ島の北緯0度0分 東経109度20分 / 北緯0.000度 東経109.333度座標: 北緯0度0分 東経109度20分 / 北緯0.000度 東経109.333度に位置する。カプアス川のデルタ地帯にあり、面積は107.82 km²。赤道直下の都市では最大で、緯度0度のモニュメントが建っている。中心部は赤道の3km南にある。 気候熱帯雨林気候で、年間を通じ日中の最高気温は約33度C、最低気温は約23度Cとほぼ一定である。月間降水量は8月が200mmを下回り、10月から12月にかけて300mmを超える。
歴史1771年10月23日、ポンティアナックはポンティアナック・スルタン国の首都として、古い交易市場の周りに設置された。沼地に建設され定期的に洪水に見舞われたので、建物の杭を深く地面に突き刺して固定するようになった。 1943年、日本軍はポンティアナック事件を起こし、マレー人・華人の知識層やカリマンタン島のスルタンを虐殺した。 行政区画ポンティアナックは6つの区(クチャマタン)に分かれる。2010年時点の人口は以下の通り。
教育州と宗教団体がそれぞれ大学を持っている。州立タンジュンプラ大学は1963年に開校した。加えて、私立のMuhammadiyah大学、Widya Dharma大学、Panca Bhakti大学、STMIK (Sekolah Tinggi Manajemen Informatika dan Komputer)、イスラム大学 (STAIN)、POLNEP (Politeknik Negeri Pontianak)、AKBID St. Benedictaがある。 民族ポンティアナックは多文化都市である。人口の大部分は中華系インドネシア人で、潮州人(広東省潮汕地区出身)や客家人を祖先に持つ者がほとんどである。マレー人やダヤク人も多い。国内他地域からの移住者(ジャワ人、ブギス人、バタック人、ミナンカバウ人、マドゥラ人、スンダ人、バリ人、アンボン人、パプア人)は少数派である。 言語ポンティアナック市民は通常共通語のインドネシア語と、マレー語やサラワク・マレー語に近いポンティアナック・マレー語を話す。閩南語の潮州方言と客家語は中華系の間の共通語である。この方言はシンガポールやマレー半島の華人が話す方言にとても近い。 観光主な地区主な建築物
交通陸路バイクが最も多く使われる。公共交通はミニバン (opelet) や自転車タクシーが使われる。バスは市内用の市営バスや、近くの都市までの長距離バスがある。マレーシアのサラワク州州都のクチンまで行くバスもある。マレーシアやブルネイに陸路で行く場合、国境の町であるサラワク州テベドゥを経由して、Jalan Trans-Kalimantanで行くことになる。 空路スパディオ空港から国際線(マレーシア)・国内線が就航する。ジャカルタまで毎日10便以上が飛んでいる。ジョグジャカルタやスラバヤ、バタム島、クチン、クアラルンプールとも結ばれている。 海路海路ではジャカルタやスマラン、チルボン、ケタパン等と結ばれている。 姉妹都市関連項目脚注
外部リンク
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