ボサノバカサノバ
BOSSANOVA CASSANOVA(ボサノバ・カサノバ)は、SHO1(ショーイチ 本名 田村庄一)と吉澤秀人による日本の音楽ユニット。 ジャンル 自称:YAOR(イエローAOR)Tacoske R&R Love Syndicateレコーズ専属。愛称は「ボサカサ」。正式記載表記はアルファベットの大文字で「BOSSANOVA CASSANOVA」。 カタカナの場合「ボサノヴァ・カサノヴァ」が正しい。しかし商業的に明解に「ボサノバカサノバ」と使用している。年間およそ100本のライヴをこなす傍、音楽プロデュースを始め、様々なアーティストへの楽曲提供・ライブサポートを行い、ラジオパーソナリティとしても活動している。 経歴
SHO1:群馬県前橋市在住(2022年現在)。群馬県立前橋工業高校金属工業科在学中は主にギター弾き語りスタイルにて活動。主にさだまさし、松山千春、井上陽水などの第二次日本フォーク世代のカヴァーを嗜み、地元のライヴイベントなどに参加。のちに吉澤のバンド「地球塵(ちきゅうじん)」に香川誠が脱退後、加入している。 吉澤秀人:群馬県前橋市出身。現在は神奈川県藤沢市在住(2022年現在)。群馬県私立東京農大ニ高在学中は中学時代の友人(石田修身、原田雅俊)らとチューリップのコピーバンド「地球塵(ちきゅうじん)」を結成。主なメンバーにはROGUEのギタリスト香川誠(当時ドラムス)がいた。ちなみにSHO1はROGUEの奥野敦士(VO,G)と高校三年間同じクラスであったのは記すまでもない。 SHO1と吉澤は、時同じくして別の場所にてバンド活動。SHO1はオフコース、PINK CLOUDなどのカヴァーバンド「4×4(フォーバイフォー)」を栃木県私立足利工業大学機械工業科在籍中に結成。吉澤秀人は神奈川県私立横浜商科大学在籍中にCHARなどさまざまなカヴァーバンドを渡り歩き、後に東京のロックバンド「モダングレイ」(メジャーデビューした?)のベースを担当。 SHO1 大学を卒業後に県内の企業で働きながら、本格的にソロ活動を開始。当時周りのミュージシャンはカヴァー演奏が流行するにも、自分はオリジナルで勝負したいとシンガーソングライターとして創作活動、及び編曲を独学しはじめる。同じ頃、当時、神奈川県にいた吉澤秀人もSHO1と同じくオリジナル曲を「ひとり多重録音」に勤しむ。 SHO1 当時コミュニティFMの先駆けとなるFM西武のジングルや貴局レギュラー番組も担当。SHO1の当時好きだった、さだまさしなどのトークの影響からか、その頃から喋りの才能の頭角を現してきている。 SHO1と吉澤 お互い高校を卒業後、音信不通だったふたりだったが、SHO1が当時演っていた「ひとりアカペラライヴ」のゲストに吉澤秀人を呼んだことが後のボサカサの結成のきっかけとなった。その時、一緒に演った曲は、PINK CLOUD「SWEET MY BABY」、佐野元春「情けない週末」。これをきっかけに、お互いのオリジナル曲を聴かせ合うようになる。これは吉澤も当時カヴァー曲を演奏するのにも飽きており、オリジナル曲を創作していたことが「時同じくして別の場所で相重なったということが不思議な縁だった」とその後、SHO1は語っている。 1988年7月7日、現在のメンバーであるSHO1(田村庄一)と吉澤秀人の2人にて「BOSSANOVA CASSANOVA」結成。結成当時のグループ名称は「庄一と秀人」。ファーストカセットアルバム「SEA SIDE SHE SAID」リリース。瞬く間に地元界隈にて完売。同年 クリスマス限定カセットアルバムをリリース。 彼らの共通の友人であった石田修身(パーカッション)を迎え、2本組セカンドカセットアルバム「ISONO」リリース。 サードカセットアルバム「DONA-DONA」リリース。後の「キューピー」に収録される「ボサカサショー」の前身とも取れる「ボサカサショー」が収録されている。その頃、群馬を拠点とするオルタナティブロックバンド「キタマクラ」のメンバーだった、それもまたよし(道木正之(BASS)) をヘッドハンティング。 ライヴカセットアルバム「ボサカサ(通称:キャラメル)」(前橋ガーシャレーベル)よりリリース。メンバーも増え、この頃から、ライヴの拠点を関東全域に伸ばす。主な定期ライヴ出演は「渋谷TAKE OFF 7」「前橋ガーシャ」。前橋ガーシャでは徐々に動員を増やしながらメインバンドとなる。 巷で「アマチュアコンテスト荒らし」と呼ばれる。YAMAHA、KAWAI、または、FM群馬「ロッカーズ」などにも選抜され数々のおいしい伝説を残す。同年、リクルート主催のアマチュアコンテストにて優勝。メジャーデビューへの切符を手にする。その手引きをしてくれたのが元(有)パパラギ代表取締役の神田道広(通称:ピューピュー道広)である。 神田とボサカサの出会い。神田は群馬県前橋市の「夢スタジオ」の第一回アマチュアバンドコンテストの審査委員長。そのコンテストで優勝したのがボサカサだった。神田は当初審査委員長をする者が欠席になり、その代役だった。まさにボサカサと神田の「運命の出会い」となる。その打ち上げの席で神田はSHO1に「うちの主催する東京のコンテストに出てみないか」と声をかける。そして前記「リクルート主催 バンドバッカース」アマチュアバンドコンテストにておよそ1000組の中から奇跡的に優勝を果たす。 1994年3月 石田修身、それもまたよし 脱退。 1994年4月21日、「恋のゆくえ」でイースタンゲイルから現在のメンバーにてメジャー・デビュー。販売元 ビクターエンタテインメント。1995年 森山良子の旦那経営の「メタフォーン」に移籍。 2000年からパパラギレコード所属。販売元「夢街名曲堂」。2012年 パパラギレコード閉業。SHO1 1984年以来休んでいたDJを再開。地元群馬や静岡などでDJとしても活躍している。また、吉澤はソロとして数々のミュージシャンのサポートとしても活躍中。2018年 SHO1 自身の事務所及びレコードレーベル設立(蛸助 Tacoske R&R Love Syndicate. Tacoske Records) メンバー
ディスコグラフィアルバム
シングル
出演番組ラジオメンバーの出身地である群馬県の他に、静岡県のFMラジオ放送局でも長年に渡って番組を担当していた。また、20世紀末から21世紀初頭にかけて兵庫県のラジオ関西のオープニングとクロージングテーマを提供、歌唱していたこともある。
2019年4月現在。(2022年休止中)
テレビ
関連項目
竹内トオル 2002・10・14、以前より高崎駅西口界隈で飲み遊んでいた竹内を美容師・新井昇司が営む高崎駅西口にある美容室「TRIP」にて行われたBOSSANOVA CASSANOVAのライブに竹内は観客として招かれる。 (ライブサポートメンバーはそれもまたよし) この日、竹内は新井より「持ってる楽器、全部持ってきてよ」と言われ、竹内はキーボードと二胡を持参。 次月からの「マンスリー・デュフォレライブ(2022年 現在閉業)」に出演することになる。 脚注
外部リンク
|
Portal di Ensiklopedia Dunia