ホーレス・フィリップスホーレス・フィリップス(Horace B. Phillips、1853年5月14日 - 1896年2月26日)は、19世紀のメジャーリーグベースボールの監督。アメリカ合衆国オハイオ州サーレム生まれ。現在のピッツバーグ・パイレーツの草創期に監督を務めた。 経歴選手歴はなく、監督としてメジャーリーグに登場したのは1879年、26歳の時で、シーズン途中までトロイ・トロージャンズの監督を務めた。4年後の1883年、同じオハイオ州からアメリカン・アソシエーションに加盟したコロンバス・バックアイズを指揮した。 1884年当初はノースウェスタン・リーグのグランラピッズというチームで監督をしていたが、このチームが破綻するとシーズン途中からピッツバーグ・アレゲニーズを指揮するようになった。アレゲニーズはこの年前述のコロンバスが破綻した際、所属していた選手の多くを受け入れ、強化されたアレゲニーズは次の年の1885年に初めてシーズンを勝ち越し、さらに翌年の1886年には80勝57敗とリーグ2位まで躍進した。 1887年にアレゲニーズはナショナルリーグ加盟の誘いを受け、フィリップスは監督としてチームに関わり続けることにした。しかしナショナルリーグ加盟後アレゲニーズは再び下位に低迷するようになった。フィリップスはこの頃から精神を病んでいたようで、1889年7月に当時の名選手だったフレッド・ダンラップと監督を交代した後、そのままフィラデルフィアの精神病院に収容された。妻と離婚した1894年までは存命していたことがわかっていたが、入院していた病院の死亡記録の名前に誤記があったため、没年(1896年)は2010年まで判明しなかった。[1] 詳細情報監督としての戦績
脚注
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