ペーター・ハントケ
ペーター・ハントケ(ドイツ語: Peter Handke, 1942年12月6日 - )は、オーストリア出身の現代作家。小説、戯曲、詩から放送劇、フランス文学の翻訳まで幅広く活動。現在フランスのシャヴィーユ在住。2019年ノーベル文学賞受賞[1]。 経歴母親の故郷であるケルンテン州のグリッフェンで生まれる。母はケルンテンのスロヴェニア人[2]、父はドイツ人で、ナチス・ドイツの軍人であった。クラーゲンフルトのギムナジウムを卒業した後、グラーツ大学にて法律学を専攻。1966年に小説『雀蜂』で作家デビュー、直後に大学を中退。この年プリンストンで開かれた47年グループに参加しグループに対して痛烈な批判を行い、フランクフルトで最初の戯曲『観客罵倒』(四人の出演者が劇の始めから終わりまでひたすら観客を罵倒し続けるというもの)を上演しセンセーショナルなデビューを飾る。当時ビートルズの影響を受けたマッシュルームカットだったこともあり「文学界のポップスター」とも評された。 デビュー以来ほぼ年に1作のペースで話題作を発表しており、その活動分野は小説、戯曲、詩から放送劇、フランス文学の翻訳まで幅広い。孤児が言葉を知ることによって社会にとらわれていく様を幾つもの断章を用いて描いた戯曲『カスパー』(1967年)や、殺人者が次第に言葉や社会とのつながりを失っていく小説『ペナルティキックを受けるゴールキーパーの不安』(1970年)など、当初は社会に溶け込めない個人を主題とした実験的なものが多かったが、70年代から80年代から次第に肯定的、総合的な作風へ移行して行き、前年の母親の自殺を扱った『幸せではないが、もういい』(1972年)や、『ゆるやかな帰郷』(1979年)、母方の祖父の故郷スロヴェニアを旅する『反復』(1986年)といった自伝的な作品も手がけるようになった。またヴィム・ヴェンダースと組んでの映画製作が知られており、自作が原作の『ゴールキーパーの不安』(映画は1971年)『まわり道』(同1974年)や『ベルリン・天使の詩』で脚本を書いている。 1996年に発表した紀行文『ドナウ、サーヴェ、モラヴァ、ドリナ河畔への冬の旅』において、ユーゴスラビア紛争での西側メディアの報道の偏りを非難し、NATOによる空爆を批判。この言動は親セルビア的であるとしてマスコミから集中砲火を浴び、ギュンター・グラス、ハンス・マグヌス・エンツェンスベルガーらからも強い批判を受け、また前述のヴィム・ヴェンダースともこの問題を機に仲違いをしている。ハントケは20年以上前に受賞したゲオルク・ビュヒナー賞を返上するなど態度を崩さず、この問題に関しては一貫して頑固な姿勢を崩していない。2003年から始まったアメリカ主導のイラク攻撃及びその後発覚したアメリカの情報偽装問題に関してもユーゴ問題を引き合いに出し識者やマスコミは糾弾する資格が無いと月刊プレイボーイ誌において語っている。2005年にはスロボダン・ミロシェヴィッチ前大統領から国際戦犯法廷での弁護に立つように要請され、直接の弁護は断ったもののエッセーなどの言論でこれに答えている。2019年のノーベル賞受賞に関して、ヨーロッパの文壇ではハントケに対する批判や論争が再燃したが、選考機関であるスウェーデン・アカデミーの複数のメンバーが、「ハントケが戦争や虐殺を賛美したり相対化したりした証拠はない」と反論した[3]。 著作小説
戯曲
映画日本語訳
関連書籍
脚注
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