ペリリュー・沖縄戦記
『ペリリュー・沖縄戦記 (With the Old Breed: At Peleliu and Okinawa) 』[注 1]はアメリカ海兵隊員であったユージーン・スレッジによる回顧録。 1981年に初版が発行されてから、本書は第二次世界大戦中の太平洋戦区における最も優れた現場手記と言われる。 この回顧録は戦争中、スレッジが常に忍ばせ持ち歩いていたポケットサイズの聖書に記されたメモが元となっている。 発端スレッジ自身の手記によれば、スレッジは回顧録を「ペリリューの後にパヴヴ島のキャンプ地で休息した」1944年より書き始め、その記録は「すぐに市民生活に戻る」1946年まで続けられた[2]。 戦友たちに「スレッジハンマー」とあだ名されたスレッジは第1海兵師団第5海兵連隊第3大隊K中隊 (K/3/5) の一員となり60mm 迫撃砲兵としてペリリューと沖縄の戦いを経験した[3]。 執筆中、この本の題名は『第二次世界大戦中の海兵隊迫撃砲兵 (A Marine Mortarman in World War II) 』とされていたが、のちにスレッジにより『底知れぬ闇の中へと (Into The Abyss) 』に変更された。 1981年に PRESIDIO PRESS から最終的な題名で初版が刊行された。 梗概スレッジの回顧録は第二次世界大戦中の太平洋戦区での直接の体験が正直に誰にもはばかることがない視点で記録されている。彼の回顧録は前線での歩兵戦の手記である。 この記録は島から島への旅、ジャングルの暑さと雨、不快な汚泥、バンザイ・アタックへの恐怖と、太平洋方面作戦の絶望と人間性が失われたある種特異な状況へと読者を導いていく。 スレッジは直接的に戦闘中に(アメリカ軍よりかなり少ない数の)日本兵により見せられた残虐さと、両者とも互いに憎悪を抱いていることを書き記した。 スレッジ自身の言葉では「それは太平洋を舞台にした戦争特有の、理性のかけらもない、原始的な憎しみのぶつかり合いだった」[4]とされた。 ある事例では、スレッジは彼と戦友たちが、性器が切り取られ口に詰められた残忍に殺された3人の海兵隊員のバラバラの遺体を横切ったと記した[5]。 またスレッジは、海兵隊員たちによる戦死した日本兵への行い、死体から(ある場合は重症を負うもまだ生きていた日本兵からも)金歯を抜き取る行為や、同様の恐ろしい死の戦利品を得る行為も記録した[6]。 彼は戦争を体験したことが無い人々がその思考過程が理解できるように、兵士たちの人間性や哀れみをゆっくりと剥ぎ取っていくその仕組みと過程を詳細に記した。 スレッジは戦場において、純然な生存のための物理的な争奪戦と、泥のような悪意と疲れ、絶え間ない恐怖によって衰弱していく様子を詳細に記した。 彼は「悪意と恐怖は手を取り合いやってくる」、 「我々の日常生活の重要な要素は歴史家たちから小さな警告を浴びてしまうがために、よく兵士たちの個人的な回想録からは省かれてしまう。私はそれにいつも困惑してしまう」、 海兵隊は雨宿りに問題を抱えながら、戦闘食を食べる時間を探し、排泄物処理のために(ペリリューのサンゴの岩に便所や便所穴を掘ることはできなかった)ペリリューでは砕いたサンゴの岩を、沖縄では泥の中を歩き回ったなどと記した[7]。 出版物
日本語への翻訳版
タイ語への翻訳版
チェコ語への翻訳版
翻案
関連項目
脚注注釈出典
参考文献
外部リンク
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