ペティション
ペティション (Petition) はイギリスの競走馬及び種牡馬である。 2歳時にシャンペンSなどを4連勝し、テューダーミンストレルに次ぐ評価を得た。翌年の2000ギニーでは当時無敗馬であったそのテューダーミンストレルの対抗と目されるも故障が原因で競走中止となり、以後そのシーズンは勝ち星に恵まれなかった。しかし、現役を続けた4歳時にエクリプスSに優勝し高い評価を得た。 種牡馬としては、1959年に二冠牝馬プティトエトワールなどの活躍により英愛リーディングサイアーに輝いた。 さらに、父系子孫からは、産駒のペティンゴが愛ダービー馬イングリッシュプリンス、英ダービー馬トロイなどを輩出しリーディングサイアーとなり、ブリガディアジェラード、ハイクレア、リーディングサイアーピットカーンとその産駒エラマナムー 、ホーリックスなどを輩出してペティション系を発展させた。 また、血統背景は4代母が四冠馬セプターで、その母で5代母のOrnamentは三冠馬オーモンドの全妹である。 経歴競走馬時代ペティションは1946年に2歳で競走馬としてデビューし、初戦のヨーク競馬場のエリントンステークスは僅差の3着に敗れるものの、2歳戦線が本格化する6月のロイヤルアスコット開催のニューS(5f ※後にノーフォークステークスとして施行されている。)を凱旋門賞馬ミゴリらを相手に2着に4馬身差で優勝し初勝利を収めた。 その後、7月のグッドウッド競馬場のリッチモンドS(6f)を3馬身差、8月のヨーク競馬場のジムクラックS(6f)を3馬身差で連勝した。このうちジムクラックSでは翌年愛ダービーやセントレジャーに勝つサヤジラオ(Sayajlrao)を2着に退けている。 さらに、9月のシャンペンS(6f)でも半馬身差ながら優勝し、4連勝で2歳シーズンを終えると、公式フリーハンデにおいて無敗馬テューダーミンストレル(Tudor Minstrel)に次ぐ2番手の評価を得た。 3歳になると2000ギニーのトライアルレースであったハーストパーク競馬場のヘンリー8世ステークスに出走し、サヤジラオに10馬身差をつけて快勝し、テューダーミンストレルの対抗馬として、2000ギニーに進むこととなった。 しかしながら、本番の2000ギニーではテューダーミンストレルの圧勝を後目に、スタート前のアクシデントによる故障が原因で競走中止となり、3ヶ月程度の休養を要することとなった。 7月のグッドウッド競馬場のサセックスSで復帰を果たしてマイル路線を進むも、2頭立てのサセックスSではコンバット(Combat)に1馬身半遅れた2着、アスコット競馬場のナイツロイヤルS(後のクイーンエリザベス2世ステークス)はテューダーミンストレルから9馬身半遅れた3着と勝利を収めることはできなかった。 4歳となった1948年もペティションは現役を続け、ハーストパーク競馬場のハンデキャップレース・ヴィクトリアカップ(7f)で、129ポンドのハンデを背負って久々の勝利を上げると、ロイヤルアスコット開催のルース記念ステークスに進み、スローペースに苦戦して2頭立ての2着ながら、勝ったオロス(Oros)から3/4馬身差と善戦した。 そして、当時から英国において最も権威のあるレースの一つである7月のサンダウン競馬場で行われるエクリプスSに駒を進めると、前年の優勝馬ミゴリや後にアメリカ古馬チャンピオンになるヌーアなどが出走するなか、サヤジラオを短頭差抑えて優勝した。 種牡馬時代エクリプスS優勝を最後に種牡馬となったペティションは1959年にプティトエトワールが1000ギニー、オークス、サセックスステークス、ヨークシャーオークス、チャンピオンステークスなどに優勝したことなどにより英愛リーディングサイアーとなった。 また、一塊のスプリンターだったMarch Pastの産駒Queen's Hussarがブリガディアジェラードやハイクレアを輩出してリーディングサイアーに、セントジェームズパレスステークスやサセックスSに勝ったペティンゴは愛ダービー馬イングリッシュプリンス、英ダービー馬トロイが輩出されリーディングサイアーとなり、ピットカーンもエラマナムーがエクリプスSとキングジョージを連勝したことなどによりリーディングサイアーに輝き、父系子孫ペティション系を発展させた。 日本に関係の深いところでは、ホーリックスもペティション系であり、ダンジグ(Danzig)の2代母Petitionorもペティションの産駒である。 主な産駒
血統
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