ベック・ボガート & アピス
ベック・ボガート & アピス (Beck, Bogert & Appice、BBA (BB&A)) は、ジェフ・ベック、ティム・ボガート、カーマイン・アピスが結成したハードロック・バンド。 1972年から1974年まで活動し、当時は「最強のロック・トリオ」と呼ばれた[1]。 歴史結成まで![]() ![]() このセッション企画が持ち上がったのは1969年。ジェフ・ベックは当時「ジェフ・ベック・グループ」を率いていたが、「バニラ・ファッジ」で活動していたティム・ボガートとカーマイン・アピスによる強力なリズム・セクションに衝撃を受ける。一方、ボガートとアピスは既にベックの才能を知っていたため、この話を聞いてセッションに招くことにした。この時、バニラ・ファッジはコカ・コーラ社の音楽を依頼されていたが、ギタリストのヴィンス・マーテルが怪我をしていたため、代役としてベックに参加を要請したのである。ニューヨークではレッド・ツェッペリンのメンバーなどを交えて一度だけのライブも行い、互いの力量を確かめ合った。その結果、ジェフ・ベック・グループのボーカリストであったロッド・スチュワートを加えた4人で新グループ結成に動くが、スチュワートは「フェイセズ」に加入してしまい、結局3人でバンドを始動することに決まる。 しかし11月2日、ベックは交通事故を起こして全治3か月の重傷を負ってしまう。この間にボガートとアピスは新バンド「カクタス」を結成してしまい、この3人でのバンド計画は流れてしまうことになる。これを受けてベックは回復後に第2期「ジェフ・ベック・グループ」を結成した。 バンド始動そして1972年、カクタスと第2期ジェフ・ベック・グループが解散し、再びバンド結成の機運が訪れる。3人に加えてジェフ・ベック・グループのマックス・ミドルトン(キーボード)、『ジーザス・クライスト・スーパースター』のキム・ミルフォード(ボーカル)、以上5人でリハーサルを行い、ジェフ・ベック・グループ名義で8月1日よりツアーを開始。しかしミルフォードのステージパフォーマンスに不満を感じ解雇、第2期ジェフ・ベック・グループからボブ・テンチを呼びツアーを続けるが、ツアー終了後ミドルトンとテンチが脱退してしまう。 ポール・ロジャース招聘を図るもこれに失敗し、最終的にトリオ編成の「ベック・ボガート & アピス」として9月16日にスタートを切ることになった。10月、ヨーロッパ・ツアー。11月、アルバムのレコーディング。翌1973年2月、アルバム『ベック・ボガート & アピス』発売。その後、イギリス・ツアーを行った。 1973年5月に日本ツアーを行う。ツアーは5月14日 日本武道館、5月16日 名古屋市民会館、5月18日・19日 大阪厚生年金会館 とまわり、大阪公演の模様はライブ盤『ベック・ボガート & アピス・ライヴ・イン・ジャパン』[2]として1973年10月21日にリリースされた。2013年には曲順を実際のセットリスト順に改めた40周年記念盤がリリースされた。しかし帰国後にボガートが交通事故で重傷を負ってツアーがキャンセル、夏になる頃には解散の噂が飛ぶようになる。 11月にバンドは2度目のヨーロッパ・ツアーを開始、ツアーは11月21日のフランス公演から始まった。クリスマス休暇をはさんでイギリス・ツアーが、1974年1月10日のニューカッスルから始まる。全部で15回のショーが行われ、ブライトン、リーズ、リヴァプール、シェフィールド、ブリストル、ロンドン、スコットランド、グラスゴー、エディンバラでライブが行われた。ツアーは2月29日のエディンバラ、カレー・ピクチャー・ハウスで終了した[3]。その後にはニューオリンズのマルディグラ・フェスに出演している。 1974年1月26日にバンドはヨーロッパ・ツアーの一部としてレインボー・シアターでコンサートを行った。このコンサートは1974年9月9日にアメリカで『Rock Around the World』のタイトルを冠して全編が放送された。これはバンドによる最後の録音となり、セカンド・アルバム収録曲のプレビューともなった。このコンサートの様子は『At Last Rainbow』のタイトルで海賊盤としてリリースされている。「ユー・シュック・ミー」と「ブギー」を含んだメドレーは後に1991年のジェフ・ベック名義のコンピレーション・アルバム『ベッコロジー』に収録された[4]。『ベッコロジー』にはこの他にもセカンド・アルバム用とされる「Jizz Whizz」が収録されたほか、当時のBB&Aはもちろん、後述のCB&Aなどでもこの時期の楽曲が演奏されている。 セカンド・アルバムのセッションは1974年1月に行われたが、ベックとボガートの確執もあって完成には至らなかった。1974年5月18日、『ニュー・ミュージカル・エクスプレス』誌は「数週間にわたって囁かれてきた、BBAの解散が差し迫っているという噂はベーシストのティム・ボガートによって確認された」との記事を掲載した。『メロディ・メイカー』誌もバンドの解散に関する記事を掲載した[5]。バンドは2枚目のスタジオ・アルバム完成前に自然解散となった。
その後、ボガートとアピスは、1999年にCharと共にChar, Bogert & Appice(CB&A)、翌2000年にリック・デリンジャーと共にDerringer, Bogert & Appice(DB&A)としての活動も行った。 メンバー
※リード・ボーカルはアピス、一部ボガート。「黒猫の叫び - Black Cat Moan」のみベック。
ディスコグラフィスタジオ・アルバム
ライブ・アルバム
コンピレーション・アルバム
ボックスセット
シングル
脚注
参照
外部リンク
|
Portal di Ensiklopedia Dunia