ヘンリク・シェンキェヴィチ
ヘンリク・アダム・アレクサンデル・ピウス・シェンキェーヴィチ(Henryk Adam Aleksander Pius Sienkiewicz ポーランド語: [ˈxɛnrɨk ˈadam alɛˈksandɛr ˈpʲus ɕɛnˈkʲevʲit͡ʂ], 1846年5月5日 - 1916年11月15日)は、ポーランドの小説家。リトフォス(Litwos [ˈlitfɔs])のペンネームもある。 生涯シェンキェヴィチは、ロシア占領下のポーランド立憲王国のヴォラ・オクシェイスカで裕福な家庭に生まれた。父方の先祖はキリスト教に改宗しシュラフタ(ポーランド貴族)の資格を得たリプカ・タタール人であった。ワルシャワ大学を卒業した後、新聞社に入りアメリカ特派員を務める。愛国心が強かったシェンキェヴィチは、愛国者の勇敢な行為を激賞した歴史小説を著した。新聞連載された彼の小説は当時大きな人気を得、一世紀以上経った現在も高く評価される。 シェンキェヴィチはポーランド語の扱いを心得ており、『三部作(Trylogia)』では登場人物に17世紀に話されたであろう中世ポーランド語(英語: Middle Polish、16世紀〜18世紀)を使用させた。グルンヴァルトの戦いを描いた『北方十字軍の騎士たち(Krzyżacy)』では様々な古ポーランド語(英語: Old Polish、5世紀〜16世紀)の古代表現を使用させた。 ポーランド国内では、17世紀の英雄の活躍を描いた『三部作(Trylogia)』で最もよく知られる。『火と剣とをもって』はフメリニツキーの乱で相まみえる反乱軍のボフダン・フメリニツキーと英雄ヤレーマ・ヴィシュネヴェーツィクィイを、悪役en:Yuri Bohun(イヴァン・ボフーン[1]がモデルとされる。)と主人公en:Jan Skrzetuski[2]の戦いに投影して描いた。『大洪水時代』では、大洪水時代に実際にあったラジヴィウ家のヤヌシュとボグスワフが北方戦争の相手であるスウェーデン王カール10世グスタフと共謀してポーランド・リトアニア共和国を崩壊させてラジヴィウ家のもとに独立リトアニアとして分離してしまおうとする陰謀[3]を、主人公Andrzej Kmicicが阻止する。 『草原の火』では、リプカ・タタール人によるリプカの反乱を描いた。 『栄光の戦場で』では第二次ウィーン包囲を、『砂漠と野生の中で』ではマフディーの乱を描いた。 一方国外ではローマ皇帝ネロの統治時代を描いた『クォ・ヴァディス(Quo Vadis)』が最も有名である。 1905年に「叙事詩作家としての顕著な功績のために」ノーベル文学賞を受賞した。彼はしばしば『クォ・ヴァディス(Quo Vadis)』でノーベル文学賞を受賞したとされるがそれは誤りである。NobelPrize.org 、"Za co Sienkiewicz dostał Nobla"(ポーランドの新聞記事) エピソード非常に霊感の強い人物であったことが、以下のエピソードで知れる。1901年7月、シェンキェヴィチが南フランスの避暑地・ビアリッツに滞在中のこと。金髪で金属製のボタンの付いた制服を着た青年が、自分を霊柩車に無理やり引きずり込もうとする悪夢を三晩続けて見た。その不吉な記憶を気にしながら、数日後、クォ・ヴァディスの劇場上演準備のため、パリのリヴォリ街のホテルに宿を取った当日、シェンキェヴィチがエレベーターで自室から1階に下りようとすると、夢で見た通りの制服を着た金髪の青年が、奇怪な笑いを浮かべて手招きしている。シェンキェヴィチは恐怖にかられて急いで階段を駆け下り、読書室に飛び込んだ途端、大きな音と悲鳴が響いた。たった今乗ろうとしたエレベーターが落下し、エレベーター・ボーイの青年を含め、乗っていた客全員が圧死したというもの。これは、典型的な予知夢の一例として記録されている。[4] 脚注
映画
主な著作
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