ヘキサアンミンコバルト(III)塩化物 (英語:Hexaamminecobalt(III) chloride)は化学式 が[Co(NH3 )6 ]Cl3 で表される化合物である。この錯体 は、典型的なヴェルナー 錯体である。この錯体の陽イオン は[Co(NH3 )6 ]3+ であり、それにCl− イオンが3つ結合している。この陽イオンはコバルト 原子に6個のアンモニア 分子が配位子 として結合した金属アンミン錯体 (英語版 ) である。
もともとこの化合物はルテオ (luteo、ラテン語 で黄色という意味) コバルト錯体と呼ばれていたが、近代になって化学が発展し、色が構造に比べあまり重要ではないことがわかってきてからこの名前は使われなくなった。同様に色で呼ばれていた錯体としてペンタアンミン錯体はパープレオ (purpureo、ラテン語で紫)、テトラアンミン錯体の2つの異性体 はそれぞれプラセオ(praseo、ギリシャ語 で緑)と バイオレオ(violeo、ラテン語で菫色 )と呼ばれていた[ 1] 。
性質と構造
[Co(NH3 )6 ]3+ は八面体形分子構造 をとり、低スピン配置 の3d6 電子を持つ反磁性 の物質である。このカチオンは18電子則 (英語版 )に従っており、置換不活性金属錯体(exchange inert metal complex)の一つであると考えられている。不活性であることがはっきりわかるため、[Co(NH3 )6 ]Cl3 は濃縮された塩酸 で再結晶させても不変である。アンモニア部分は中心のコバルトイオンに非常に強く結合しているため、分解されてプロトン化されることはない。一方、[Ni(NH3 )6 ]Cl2 のような不安定なアンミン錯体は速やかに酸と反応してしまう。加熱されると、ヘキサアンミンコバルト(III)イオンはアンモニアの配位子を失い、最終的により強い酸化剤になる。
[Co(NH3 )6 ]Cl3 の塩化物イオンは硝酸イオン 、臭化物イオン 、ヨウ化物 イオンなど[Co(NH3 )6 ]X3 の形で置換される。これらの物質は鮮やかな黄色や橙色であるが、水への溶解度は物質によって大きく異なる。
調製
CoCl3 は不安定であるため利用できない(Co3+ が塩素 を酸化してしまうほか、自身も不均化 反応で分解してしまう)ので、[Co(NH3 )6 ]Cl3 は塩化コバルト(II) (英語版 )を酸化 して合成される。CoCl2 をアンモニア および塩化アンモニウム で処理してから酸化する。酸化剤 は過酸化水素 または酸素 を用い、活性炭 を触媒とする[ 2] 。この塩はM.E.フレミーによって報告された[ 3] 。
メタノール に溶かしたアンモニア と酢酸アンモニウム を用いて、酢酸コバルト(II) を空気酸化することで、塩化物ではなく酢酸塩 を作ることができる[ 4] 。酢酸塩は非常に水に溶けやすく、水1Lあたり1.9 mol (20 °C)を溶かすことができる(塩化物は0.26 mol/L)。
用途
[Co(NH3 )6 ]3+ は構造生物学 で、特に陽イオンによってリン酸 骨格の三次構造 が安定化されるDNA やRNA について、X線 やNMR で[ 5] でそれらの構造を解析するために用いられる[ 6] 。 生体 (英語版 )では、対になるイオンはMg2+ が多いが、重金属であるコバルト(あるいはPDB file 2GIS のようなイリジウム )では異常散乱 (英語版 ) が起きるので位相問題 (英語版 ) が解決でき、電子密度 図を得ることができる[ 7] 。
脚注
^ Huheey, James E. (1983). Inorganic Chemistry (3rd ed.). p. 360
^ Bjerrum, J.; McReynolds, J. P. (1946). “Hexamminecobalt(III) Salts”. Inorganic Syntheses (英語版 ) 2 : 216–221. doi :10.1002/9780470132333.ch69 .
^ Fremy, M. E. (1852). “Recherches sur le cobalt” . Annales de chimie et de physique (英語版 ) 35 : 257–312. http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k34776q/f255.table .
^ Lindholm, R. D.; Bause, Daniel E. (1978). “Complexes of Cobalt Containing Ammonia or Ethylene Diamine: Hexaamminecobalt(III) Salts”. Inorganic Syntheses (英語版 ) 18 : 67–69. doi :10.1002/9780470132494.ch14 .
^ Rudisser, S.; Tinoco, I., Jr. (2000). “Solution structure of Cobalt(III)hexammine complexed to the GAAA tetraloop, and metal-ion binding to G.A mismatches.”. Journal of Molecular Biology (英語版 ) 295 : 1211–1232. doi :10.1006/jmbi.1999.3421 . PMID 10653698 .
^ Ramakrishnan, B.; Sekharudu, C.; Pan, B.; Sundaralingam, M. (2003). “Near-atomic resolution crystal structure of an A-DNA decamer d(CCCGATCGGG): cobalt hexammine interaction with A-DNA”. Acta Crystallographica (英語版 ) D59 : 67–72. PMID 12499541 .
^ McPherson,, Alexander (2002). Introduction to Macromolecular Crystallography . John Wiley & Sons. ISBN 0-471-25122-4