ボーホードレ (Buhoodle, Bohotle, Bohotleh,ソマリ語 : Buuhoodle , アラビア語 : بووهودل )はソマリア (ソマリランド )とエチオピア の国境の町。ソマリランドとプントランド が領有権を主張している。実際にはどちらへの依存度も低く、住民による自治が行われている。主な住民はダロッド 氏族のデュルバハンテ 支族[ 1] 。
ソマリアおよびソマリランドの行政区分ではトゲアー州 の位置付けであるが、プントランドはボーホードレ周辺をアイン(AYN)と呼んで独立州の扱いをしている[ 2] 。
概要
ボーホードレはエチオピア との国境の町であり、ボサソ 、ガローウェ 、ラス・アノド 、ガルカイヨ 、ワルデル 、ブラオ などの町がエチオピアと交易する場合の中継点として利用される。ボーホードレは畜産業も盛んである。2008年には新しい病院が作られ、2010年には水道網が整備された。携帯電話、固定電話、インターネットサービスなども利用できる。
ボーホードレとその周辺は、プントランド・ソマリランド紛争 の中心地のひとつ。ただしボーホードレ市内ではプントランド、ソマリランドの政治的・軍事的影響力は小さく、地元長老主体の自治が行われている[ 3] 。
ボーホードレ地区 の住民は、2005年の調査では38,428人[ 4] 、2019年の調査では98,773人[ 5] 。主な住民はデュルバハンテ [ 6] 。
歴史
近世
1899年、サイイド・ムハンマド がイギリスに反乱を起こし、同調者が増えてタレー を拠点に勢力を拡大した。ボーホードレ渓谷に住んでいたデュルバハンテ族はイギリスと同盟を結んでいたためサイイド・ムハンマドの軍に攻撃され、ブラオ 、ベルベラ 、ハウド (英語版 ) など、イサック 氏族の居住区に避難した。イギリス植民地総督のホーレス・バイアット (英語版 ) は「800名のデュルバハンテ族がベルベラに到着した。デュルバハンテ族はイサック氏族、とりわけハバル・ユニス (英語版 ) 支族と敵対していたこと、ベルベラには地元兵300と王立アフリカ小銃隊 (英語版 ) 200しかいないことから、デュルバハンテ族はサイイド・ムハンマドとハバル・ユニスの双方から襲われる可能性がある」と報告した[ 7] 。
当時イギリス軍の士官だったヘイスティングス・イスメイ は「(サイイド・ムハンマド軍の)アリ・ゲーリが1911年11月にボーホードレ襲撃に成功し、翌年2月にもデュルバハンテ族はエルダブで敗れて全ての資産を失って飢餓状態でベルベラに逃亡した。ボーホードレ周辺のデュルバハンテ族も略奪された上で追い出され、ボーホードレはサイイド・ムハンマド軍の手に落ちた[ 8] 」と書き残している。一方、イギリス植民地管理官であるダグラス・ジェームス・ジャーディン (英語版 ) は「故郷を身一つで追われたデュルバハンテ族は、さながらイシャクのイシュマエル人 (英語版 ) のようだ」と語っている[ 9] 。
1912年12月の英国議会では、植民地大臣から「デュルバハンテ族の一部がサイイド・ムハンマドに加わった」との報告があった[ 10] 。
サイイド・ムハンマド軍は1920年から始まったイギリス軍の空爆 により滅びた。
1935年10月から1936年2月の間に、第二次エチオピア戦争 で難民が発生したためにマラリアが流行し、ヌガールとボーホードレ周辺で5000人が死んだと報告されている[ 11] 。1935年10月、ニューヨークタイムスは「グラツィアーニ将軍 が大軍を率いてボーホードレ付近を移動しているという情報は誤りである」と報じている[ 12] 。
ソマリアは1960年に独立した。
ソマリア内戦
ボーホードレは、ガルカイヨ 、ガローウェ 、ボサソ 、ラス・アノド を商業的に結ぶ要所であり、ソマリア内戦 の影響を大きく受けた[ 13] 。
ソマリア内戦直後の1991年5月、ブラオ でソマリ国民運動 がソマリランド の独立を宣言したとき、デュルバハンテ族も参加した。しかしソマリランドはしばらく内乱状態となり、1998年に東のプントランド が独立したので、デュルバハンテ族はソマリランド、プントランドの双方に代表者を送った[ 14] 。
2000年8月、エチオピア兵士がボーホードレ地区で住民の武装解除を試みたところ、銃撃戦になってエチオピア兵士が死亡した[ 15] 。
2004年10月、プントランド軍とソマリランド軍が初めて本格的に戦闘を行った[ 14] 。
2007年9月、デュルバハンテ氏族のマハムド・ガラド支族とファラ・ガラド支族の対立があり、プントランド副大統領はマハムド・ガラド支族に肩入れしていた。デュルバハンテ氏族でプントランド内務長官のアフメド・アブディ・ハブサデ は、ボーホードレを訪問してファラ・ガラド支族に肩入れし、ボーホードレの行政を握った。これを懸念したプントランド大統領はハブサデの長官職を解任。ハブサデはプントランドを見限って、ソマリランド政府への忠誠を表明した[ 14] 。10月、ソマリランド軍がボーホードレ北東にあるデュルバハンテ氏族の町ラス・アノド を占拠した[ 16] 。
2007年11月、スール地域でのソマリランド軍への対策を話し合うため、ジャマ・ガラド・アリ (英語版 ) ら地元長老がボーホードレに集まった[ 17] 。
2008年1月の報告によると、ラス・アノドからの難民がボーホードレに殺到して元々少なかった水源がさらに圧迫されると報じられている[ 18] 。
2008年3月22日、ソマリランド政府は、ボーホードレ、Widh-widh、Qorulugadの3市を、元のトゲーア地域から新たに独立させ、合わせてボーホードレ地区とすると発表した[ 19] 。(ただし、実際には現在までトゲーア地域の一部である[ 20] 。)
2010年5月、ボーホードレにエチオピア軍が侵入し、地元と激しい戦闘があった[ 21] 。被害はエチオピア兵4名、ソマリア人10名。同日、その近くのウィドウィドの町の戦闘でソマリア民兵15人が死亡[ 22] (2010年アイン抗争 (英語版 ) )。
2010年6月にソマリランドの大統領選挙があったが、ボーホードレとスールでは投票が行われなかった[ 23] 。
チャツモ国
2012年1月、ボーホードレで戦闘が発生した。状況は錯綜しており、地元メディアからの報告ではソマリランド軍とアル・シャバブ で激しい戦闘があったとしており、ソマリランド政府の発表ではソマリランド軍が町の支配権を確立したとしており、地元行政委員はソマリランド軍が民間人を殺したが地元民兵が撤退させたと発表した[ 24] 。2月初めにも夜明け前にボーホードレのソマリランド軍基地が攻撃された[ 25] 。このため2月、ソマリランド軍司令官のモハメド・ハッサン・アブドゥラヒ (英語版 ) が解任された[ 26] 。4月にはさらに激しい戦闘が起こっており、BBCは2012年1月にできたばかりのチャツモ国 (国際的にはもちろんソマリランド やプントランド も承認していない)とソマリランドとの戦闘であると伝えている[ 27] 。これらの戦闘の後、ソマリランドの影響力は大きく失われた[ 28] 。
ソマリランド政府は2013年に大統領の名で「ボーホードレ周辺での紛争は終結し、地元民兵との和平が成立し、地元民兵リーダーを政府閣僚に招いた」と発表している[ 29] [ 30] 。この際にボーホードレ地方の軍閥の長の一人、スレイマン・ハグロトシエ (英語版 ) がソマリランド政府に参加し、保険長官に任命されている。12月にはソマリランドの副内務長官がボーホードレを訪問した[ 31] 。
2014年6月、プントランド政府は世界環境の日 の行事の一環として、プントランド国内7か所の緑化プログラムを発表し、その一つにボーホードレも選ばれている[ 32] 。
2015年2月、ボーホードレ近郊で、チャツモ国 を支持する民兵とソマリランド軍の戦闘が発生した[ 1] 。
2015年3月、エチオピア軍が犯罪容疑者の逮捕のために無断でボーホードレに侵入し、1人が負傷した[ 13] 。
2016年1月、ソマリランド軍がボーホードレ付近でたびたびの軍事演習をすることに対して住民が抗議[ 33] 。
2016年4月、チャツモ国 から離脱した軍閥がボーホードレを占拠したと報じられた。ただしチャツモ国の大統領はこれを否定[ 28] 。
2016年7月、ボーホードレでエチオピア人の将校と国境警備隊員の合わせて2名が殺害され、地元民兵またはアル・シャバブの犯行とみられている[ 34] 。
2017年2月、自称国家「チャツモ国 」の大統領アリ・カリフ・ガライド がボーホードレからジブチ に飛行機で向かおうとしたところ、地元民兵に阻止された。BBCは、ガライドがチャツモの扱いについて予定されていたソマリランドと会談を阻止するためだったと報道している[ 35] 。アリ・カリフは陸路でブラオ 、ハルゲイサ 経由でジブチに向かった[ 36] 。
2017年8月、BBCは、ボーホードレで頻発していた数十の戦闘が終結し、地元スルターン、長老、モガディシュの指導者の合意が成立したと報じた[ 37] 。
チャツモ国の消滅とその後
2017年10月、チャツモ国の大統領アリ・カリフがソマリランドとの合意を発表し、チャツモ国は事実上消滅。ただしブーホードル市長はこの合意に不満を表明[ 38] 。
2018年5月末、ボーホードレ出身でプントランド副大統領のアブディハキム・アブデュラヒ (英語版 ) がボーホードレを訪問し、住民に戦闘車両4台を提供[ 39] 。それと入れ替わるように6月4日、ボーホードレ出身でソマリランド公共事業長官のアブディラシッド・ハジ・ドュアレ (英語版 ) がボーホードレを訪問。ボーホードレの住民は、双方を歓迎[ 40] 。
2018年9月、ボーホードレでの入国管理業務を再開[ 41] 。
2019年12月3日、ソマリランド軍がボーホードレで示威行動を行い、反ソマリランド勢力を排除すると表明している[ 42] 。
2020年5月、ソマリア連邦政府の水産海洋資源長官がボーホードレを視察し、COVID-19 用の医療品などを支援した[ 43] 。これに対してソマリランド政府はソマリランドへの不法侵入だとして非難。プントランド政府も、無用な争いの原因になるとして非難した[ 44] 。
事件
2017年4月、ボーホードレでコレラ が発生し、11人が死亡[ 45] 。
2018年8月、ボーホードレで自動車への自爆攻撃があり、シルマルケ 元首相の側近ら2名が死亡、他4名が負傷した[ 46] 。
2020年11月、大手商社と地元小売業者の間で対立が起こっていると報じられている[ 47] 。
2021年1月、ボーホードレ地区で警備員が武装した男たちに殺害される事件があった。動機や詳しい状況は不明[ 48] 。
教育
ボーホードレ地区には12の小学校[ 49] 、2つの中等学校[ 50] がある。
2012年4月、東アフリカ大学 (英語版 ) がボーホードレにキャンパスを開いた[ 51] 。
2017年9月、ボーホードレに、教育を受けられなかった大人向けの学校が作られた[ 52] 。
2020年8月19日のソマリランドサンの報告によれば、ボーホードレの大学は東アフリカ大学1つのみである。生徒数は400。情報や看護などが教えられており、トルコ国際協力事業団 (英語版 ) が教材を提供している[ 53] 。
スポーツ
2020年10月21日、ボーホードレにサッカーチームが設立された[ 54] 。
名所
サクマデーカ (英語版 ) - サイイド・ムハンマド の生誕記念碑。ただしこの地で生まれたという確かな証拠はない。
著名な人物
脚注
ウィキメディア・コモンズには、
ブーホードレ に関連するカテゴリがあります。
^ a b “Somalia: Somaliland, clan militia clash near Buuhoodle” . Garowe online . (2015年2月18日). https://www.garoweonline.com/en/news/somalia/somalia-somaliland-clan-militia-clash-near-buuhoodle 2021年5月5日 閲覧。
^ “Puntland State ”. Puntland State Government. 2007年2月10日時点のオリジナル よりアーカイブ。2007年2月6日 閲覧。
^ “Badhan – Buuhoodle – Gaalkacyo (and much in between)” . Somaliland standard . (2019年10月25日). https://somalilandstandard.com/badhan-buuhoodle-gaalkacyo-and-much-in-between/ 2021年5月5日 閲覧。
^ “Regions, districts, and their populations: Somalia 2005 (draft) ”. United Nations Office for the Coordination of Humanitarian Affairs . United Nations Development Programme . 28 June 2017時点のオリジナル よりアーカイブ。31 December 2020 閲覧。
^ Humanitarian programme cycle (2019年12月). “Humanitarian needs overvies ”. 2021年5月5日 閲覧。
^ Diedrich Westermann, Edwin William Smith, Cyril Daryll Forde (2009). Africa, Volume 79, Issue 2 . Oxford University Press. p. 266. https://books.google.com/books?id=oewbAQAAIAAJ
^ Irons, Roy (4 November 2013). Churchill and the Mad Mullah of Somaliland: Betrayal and Redemption 1899-1921 p.147 . ISBN 9781783463800 . https://books.google.com/books?id=t9MVBAAAQBAJ&pg=PA131&dq=Battle+of+dul+madoba#q=corfield
^ “[gallery1 /5/ King's College London, King's collection : Ismay's summary as Intelligence Officer (1916-1918) of Mohammed Abdullah Hassan]”. 2021年5月5日 閲覧。
^ The Mad mullah of Somaliland, p.158
^ “Somali Mullah ”. 2021年5月6日 閲覧。
^ Saxafi (2020年3月24日). “Epidemics And Public Health In Early Colonial Somaliland ”. 2021年5月6日 閲覧。
^ The New York Times (1935年10月24日). “1935 British Somaliland Quiet ”. 2021年5月6日 閲覧。
^ a b “Ethiopian troops invade Northern Somalia town, one wounded” . Horseed Media . (2015年3月17日). https://horseedmedia.net/2015/03/17/ethiopian-troops-invade-northern-somalia-town-one-wounded/ 2021年5月8日 閲覧。
^ a b c Markus V. Hoehne (2007年11月7日). “Puntland and Somaliland Clashing in Northern Somalia: Who Cuts the Gordian Knot? ”. 2021年5月8日 閲覧。
^ “Ethiopian soldiers killed” . The New Humanitarian . (2000年8月11日). https://www.thenewhumanitarian.org/report/2774/ethiopia-ethiopian-soldiers-killed 2021年5月6日 閲覧。
^ SomaliaReport (2012年2月6日). “The Quest for Somali Self-Governance ”. 2021年5月9日 閲覧。
^ “Magaalada Buhoodle ee gobolka Cayn ayaa waxaa ku qulqulaya Issimo reer puntland.” . somalitalk.com . (2007年11月1日). http://somalitalk.com/2007/nov/o1nov307.html 2021年5月6日 閲覧。
^ UK国境局 (2008年10月3日). “出身国情報報告書 ソマリア ”. 2021年5月6日 閲覧。
^ [url=https://somaliland1991.wordpress.com/2008/03/25/president-riyale-names-6-new-regions-16-new-districts/ President Riyale Names 6 New Regions + 16 New Districts]
^ “XEERKA GOBOLLADA IYO DEGMOOYINKA: XEER LR. 23/2002 (& 2007 ) ”. 2021年5月8日 閲覧。
^ “Somaliland-Ethiopia border clash 'kills 13'” . BBC . (2010年5月22日). https://www.bbc.com/news/10140805 2021年5月5日 閲覧。
^ University of Centra Arkansas. “37. Somalia/Somaliland (1960-present) ”. 2021年5月8日 閲覧。
^ “Breakaway Somali region votes for president” . Reuters . (2010年6月26日). https://www.reuters.com/article/ozatp-somalia-election-20100626-idAFJOE65P05820100626 2021年5月6日 閲覧。
^ “Dagaal ka dhacay Buuhoodle ” (ソマリ語). BBC News Somali (2012年1月15日). 2021年4月15日 閲覧。
^ “Somaliland: Strengthening Ties With Ethiopia” . Somaliland Press: . (2012年2月13日). https://unpo.org/article/13878 2021年5月8日 閲覧。
^ “Somaliland President Sacks Military Chief” . Somalia Report . (2012年2月9日). https://piracyreport.com/index.php/post/2751/Somaliland_President_Sacks_Military_Chief 2021年5月6日 閲覧。
^ “Mapigano makali yatokea Somaliland” . BBC . (2012年4月1日). https://www.bbc.com/swahili/habari/2012/04/120401_khatuma_somalia 2021年5月8日 閲覧。
^ a b “Fears of renewed clashes amid militiamen siezed Buhudle town” . Goobjoog News . (2016年4月27日). https://goobjoog.com/english/fears-of-renewed-clashes-amid-militiamen-siezed-buhudle-town/ 2021年5月8日 閲覧。
^ Ahmed Mohamed Silanyo (2013年1月30日). “State of Union Address ”. 2021年5月5日 閲覧。
^ “Somalia: Former Militia Leader Joins Somaliland Cabinet” . Garowe Online . (14 October 2012). http://allafrica.com/stories/201210150073.html 15 October 2012 閲覧。
^ “Wasiir Ku Xigeenka Daakhiliga Somaliland Oo Socdaal Shaqo Ku Tagay Degaamo Ka Tirsan Buhoodle” . Haatuf News . (2013年12月8日). http://www.haatuf.net/2012files/8009.html 2021年5月8日 閲覧。
^ “Somalia: World Environment Day celebrated in Puntland, Govt calls for tree plantation” . Garowe Online. (5 June 2014). オリジナル の6 June 2014時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20140606220447/http://www.garoweonline.com/artman2/publish/Somalia_27/Somalia-World-Environment-Day-celebrated-in-Puntland-Govt-calls-for-tree-plantation_printer.shtml 6 June 2014 閲覧。
^ “Anti-Somaliland Demonstrations Rock Buuhodle town” . Goobjoog News . (2016年1月19日). https://goobjoog.com/english/anti-somaliland-demonstrations-rock-buuhodle-town/ 2021年5月8日 閲覧。
^ “Diyaarad qaadi lahayd Cali Khaliif Gallaydh oo Buhoodle lagu xanibayItoobiyaan lagu dilay Buuhoodle iyo Xiisad ka taagan magaalada” . Goobjooge . (2016年7月12日). https://goobjooge.net/itoobiyaan-lagu-dilay-buuhoodle-iyo-xiisad-ka-taagan-magaalada/ 2021年5月5日 閲覧。
^ BBC . (2017年2月5日). https://www.bbc.com/somali/war-38874054+ 2021年5月5日 閲覧。
^ “Cali Khaliif oo Hargeysa ka duulay isaga oo Jabuuti ku sii jeeda” . BBC . (2017年2月6日). https://www.bbc.com/somali/war-38877599 2021年5月8日 閲覧。
^ “Waraysi: Colaaddii Buuhoodle oo la damiyey” . BBC Somali . (2017年8月24日). https://www.bbc.com/somali/war-41035982 2021年5月5日 閲覧。
^ “Garaad ku gacan saydhay heshiiskii Somaliland iyo maamulka Khaatumo” . BBC . (2017年10月22日). https://www.bbc.com/somali/41714397 2021年5月8日 閲覧。
^ “Buuhoodle : Camey oo lagu wareejiyay Hub iyo saanad Ciidan.” . SBC . (2018年6月1日). https://allsbc.com/buuhoodle-camey-oo-lagu-wareejiyay-hub-iyo-saanad-ciidan/ 2021年5月8日 閲覧。
^ “Daawo: Wasiirka Hawlaha Guud Ee Somaliland Oo Si Wayn loogu Soo DHaweeyay Magaalada Buhoodle” . Ceel Gardi News . (2018年6月5日). https://ceelgardinews.com/daawo-wasiirka-hawlaha-guud-ee-somaliland-oo-si-wayn-loogu-soo-dhaweeyay-magaalada-buhoodle/ 2021年5月8日 閲覧。
^ “Sawirro:-Buuhoodle Oo Laga Hir-Geliyay Xafiiska Xuduudeedka Socdaalka” . Radio Dalsan . (2018年9月25日). https://www.radiodalsan.com/sawirro-buuhoodle-oo-laga-hir-geliyay-xafiiska-xuduudeedka-socdaalka/ 2021年5月8日 閲覧。
^ “Somaliland: Buhoodle Army Units Vow to Round Up Insurgents in Area” . SomTribune . (2019年12月4日). https://www.somtribune.com/2019/12/04/somaliland-buhoodle-army-units-vow-to-round-up-insurgents-in-area/ 2021年5月5日 閲覧。
^ “Wefti Ka Socda DFS iyo Qalab Caafimaad oo Gaadhay Buuhoodle” . Horseed media . (2020年5月18日). https://horseedmedia.net/2020/05/18/wefti-ka-socda-dfs-iyo-qalab-caafimaad-oo-gaadhay-buuhoodle/ 2021年5月5日 閲覧。
^ “Madaxweynaha Puntland oo ku eedeyay DFS in ay hurinayso colaado ka dhaca Somaliland.” . Horseed Media . (2020年5月25日). https://horseedmedia.net/2020/05/25/madaxweynaha-puntland-oo-ku-eedeyay-dfs-in-ay-hurinayso-colaado-ka-dhaca-somaliland/ 2021年5月8日 閲覧。
^ “11 killed by cholera outbreak in Buhodle” . Goobjoog News . (2017年4月3日). https://goobjoog.com/english/11-killed-cholera-outbreak-buhodle/ 2021年5月8日 閲覧。
^ “Diyaarad Qaadi Lahayd Cali Khaliif Gallaydh Oo Buhoodle ee Gobolka Togheer” . Muqdisho online . (2018年8月2日). https://muqdisho.online/qarax-qasaare-xoogan-ka-dhashay-oo-kadhacay-magaalada-buhoodle-ee-gobolka-togdheer/ 2021年5月5日 閲覧。
^ “Xiisad Ka Taagan Magaalada Buuhoodle Iyo Sababta Keentay” . Radio Dalsan . (2020年11月9日). https://www.radiodalsan.com/xiisad-ka-taagan-magaalada-buuhoodle-iyo-sababta-keentay/ 2021年5月5日 閲覧。
^ “Security official gunned down in Buhoodle, Somaliland” . Goobjoog . (2021年1月12日). https://goobjoog.com/english/security-official-gunned-down-in-buhoodle-somaliland/ 2021年5月5日 閲覧。
^ “Puntland - Primary schools ”. Ministry of Education of Puntland. 26 May 2013 閲覧。
^ “Puntland - Secondary schools ”. Ministry of Education of Somalia. 26 May 2013 閲覧。
^ “BUHODLE BUHODLE CAMPUS ”. 2021年5月6日 閲覧。
^ “Buuhoodle: Iskuul loo furay dadka waawayn ee aan helin fursad waxbarasho (dhegayso)” . Radio Daljir . (2017年9月11日). https://www.daljir.com/buuhoodle-iskuul-loo-furay-dadka-waawayn-ee-aan-helin-fursad-waxbarasho-dhegayso/ 2021年5月5日 閲覧。
^ “Somaliland: TİKA Supports Higher Education in Buhoodle” . Somaliland Sum . (2020年8月19日). https://www.somalilandsun.com/somaliland-tika-supports-higher-education-in-buhoodle/ 2021年5月8日 閲覧。
^ “Buuhoodle football team opened their office in Buuhoodle City” . Ministry of Finance Development of Somaliland . (2020年10月21日). https://slmof.org/buuhoodle-football-team-opened-their-office-in-buuhoodle-city/ 2021年5月5日 閲覧。
^ “Famous Somali musician, Ahmed Ismail Hussein dies in London” . Goobjoog News . (2020年4月8日). https://goobjoog.com/english/famous-somali-musician-ahmed-ismail-hussein-dies-in-london/ 2021年5月8日 閲覧。