ブーイ (英 : Bowie 、)は、アメリカ合衆国 メリーランド州 のプリンスジョージズ郡 にある都市[ 3] 。人口は5万8329人(2020年)で、プリンスジョージズ郡最大の町である。ワシントンD.C. の北東に位置している。
歴史
19世紀
ブーイ市の存在は鉄道に負っている。1853年、ウィリアム・ダケット・ブーイがメリーランド州議会から州南部に鉄道を建設する認証を取得した。1869年、ボルチモア・アンド・ポトマック鉄道社がボルチモアから州南部、ポープスクリークを終点とする鉄道の建設を始めた。この地域は既に小さな農園と大きなタバコ・プランテーションが点在し、農業と奴隷に基づく経済に依存していた。1870年、土地投機家で開発者のベン・プラムが鉄道接続点付近の建築用土地を販売し、その町をハンティントンシティと名付けた。1872年までに、鉄道が完成し、さらにワシントンD.C. に向かう支線もあり、メリーランド州南部を通す鉄道の全体は1873年に完成した。
ハンティントンシティはウィリアム・ダケット・ブーイの息子で、その共同経営者であるオーデン・ブーイの栄誉を称えて改名された[ 4] [ 5] [ 6] [ 7] 。オーデン・ブーイは当時ボルチモア・アンド・ポトマック鉄道の社長であり[ 8] 、それ以前にはメリーランド州知事を務めていた[ 9] 。町はその後の1880年に、ブーイとして再度認証された。初期の町は、土地が500以上の建設用区画に分けられ、ボルチモア・アンド・ポトマック鉄道の州南部に向かう本線とワシントンD.C.に向かう支線の接続点に大きな町の区画が造られていた。
20世紀
1902年までにボルチモア・アンド・ポトマック鉄道は強力なペンシルバニア鉄道 に買収されていた。1908年にワシントン・ボルチモア・アンド・アナポリス電気鉄道 の路面電車線が運行を始め、町で第2の鉄道となった。大型の都市間電車が地域に高速輸送を可能とし、電車が絶え間なく走った。ブーイ地域の駅として、ハイブリッジ、ヒルミード、レーストラックがあった。
1914年、2つの鉄道線を合わせた所に南メリーランド農業協会がブーイ・レーストラックを建設した。このトラックで、厩舎のベレア・スタッドがメリーランドでもサラブレッド を育てる一級の地域になることを可能にした。1914年にはまた、教師を育てる、当時は師範学校と呼ばれたカレッジが町のすぐ外に、アフリカ系アメリカ人 のために建設された。この学校が現在はブーイ州立大学になっている。ブーイの町は1916年に法人化された。
ベレア・アット・ブーイ
1957年、ウィリアム・レヴィットレビット・アンド・サンズの会社が、近くのベレア・エステイト、すなわちメリーランド植民地 総督サミュエル・オーグルのプランテーション を買収し、ベレア・アット・ブーイと呼ぶ住宅地を開発した。その2年後に、ブーイの町がレビットの資産を併合し、1963年には大きな面積となっている市として再度法人化した。今日ブーイ市の住人の圧倒的多数はこのレビットによる1960年代の計画都市に住んでおり、その通り名はアルファベット順に並んでいる。レビット・アンド・サンズは家屋を(所有者が転売する場合を含め)アフリカ系アメリカ人への販売を禁じる長い歴史があり、それが1963年の公民権運動における抗議に繋がった[ 10] 。
ベレア・エステイト
当初あったベレア・エステイトには、ベレア邸宅(1745年頃建設)があり、サミュエル・オーグル知事とその息子のベンジャミン・オーグル知事が所有した。5つの部分からなるジョージア調プランテーションハウスだった。1898年に、裕福な銀行家ジェイムズ・T・ウッドワードが買収し、1910年に死んだときには、甥のウィリアム・ウッドワード・シニアに継承され、この甥は著名な馬の飼育者になった。この邸宅は250年の歴史に合わせて修復され、アメリカ合衆国国家歴史登録財 に指定されている。
このエステイトにあるベレア厩舎は、1930年代から1950年代に主要なサラブレッド厩舎の1つとなったベレア・スタッドの一部だった。ウィリアム・ウッドワード・シニア(1876年-1953年)が所有運営したが、その息子のビリー・ウッドワードが死んだ1957年に閉鎖された。ベレアは国内で最古の連続して運営されているサラブレッド馬牧場だった。ベレアの馬の血統は現在の競走馬のあらゆる血統に流れていると言われている。
21世紀
ブーイは市域面積16平方マイル (41 km2 )、人口約5万人であり、その中で2,000エーカー (8.1 km2 ) 近い土地を公園や、開放空間として保存している。球技場72面、コミュニティセンター3か所、アレン池公園のアイスアリーナ、800席の公演場であるブーイ・タウンセンター[ 11] 、150席の劇場、ゴルフコース1か所、博物館3館がある。
ブーイの鉄道町としての歴史はハンティントン鉄道博物館に展示されており、この博物館は鉄道駅を修復したものである。2006年、1930年頃に建設されたレンガ造りの小さな建物であるブーイ建築協会の建て物を再開した
ブーイは野球のボルチモア・オリオールズ 傘下でマイナーリーグ であるクラスAAイースタンリーグ に属するブーイ・ベイソックス が本拠地にしている。2015年時点ではプリンスジョージズ・スタジアムでホームゲームを開催している。
近年、年長者センターを新設し、コミュニティ活動のための体育館も建設した。
地理
ブーイと周辺地域の国勢調査用図。ブーイは橙色で示す
ブーイ市は北緯38度57分53秒 西経76度44分40秒 / 北緯38.96472度 西経76.74444度 / 38.96472; -76.74444 (38.964727, −76.744531)に位置している[ 12] 。
アメリカ合衆国国勢調査局 に拠れば、市域全面積は18.51平方マイル (47.94 km2 )であり、このうち陸地18.43平方マイル (47.73 km2 )、水域は0.08平方マイル (0.21 km2 )で水域率は0.43%である[ 1] 。
隣接する地域
グレンデール(国勢調査指定地域 (CDP)、北西)
クロフトン(CDP、北東)
ダビッドソンビル(アナランデル郡の未編入の町、東)
クイーンアン(CDP、南東)
ブロックホール(CDP、南)
ケッタリング(CDP、南西)
ウッドモア(CDP、南西)
フェアウッド(CDP、南西)
郵便番号
20715, 20716, 20717, 20718, 20719, 20720, 20721
気候
ブーイの地域の気候は、暑く湿気た夏と温暖または冷涼な冬が特徴である、ケッペンの気候区分 では温暖湿潤気候 、記号は "Cfa" である[ 13] 。
人口動態
2010年国勢調査
以下は2010年 の国勢調査 による人口統計データである[ 16] 。
基礎データ
人口: 54,727 人
世帯数: 19,950 世帯
家族数: 14,264 家族
人口密度 : 1,146.5人/km2 (2,969.5人/mi2 )
住居数: 20,687 軒
住居密度: 433.4軒/km2 (1,122.5軒/mi2 )
人種別人口構成
年齢別人口構成
18歳未満: 24.5%
18-24歳: 7.6%
25-44歳: 26.2%
45-64歳: 30.1%
65歳以上: 11.6%
年齢の中央値: 40歳
性比(女性100人あたり男性の人口)
世帯と家族 (対世帯数)
18歳未満の子供がいる: 37.0%
結婚・同居している夫婦: 53.2%
未婚・離婚・死別女性が世帯主: 14.0%
非家族世帯: 28.5%
単身世帯: 23.4%
65歳以上の老人1人暮らし: 7.7%
平均構成人数
収入
収入と家計 (2007年推計)
収入の中央値
世帯: 99,105米ドル
家族: 109,157米ドル
性別
男性: 52,284米ドル
女性: 40,471米ドル
人口1人あたり収入: 30,703米ドル
貧困線 以下
対人口: 1.6%
対家族数: 0.7%
18歳未満: 1.0%
65歳以上: 1.8%
一人当たりの収入による順位
プリンスジョージズ郡内: 第7位
メリーランド州内: 第65位
市政府
ブーイしは市憲章で規定した市政委員会・マネジャー方式の政府で運営されている。これは市長と市政委員会が政策を策定し、条例を成立させ、予算配分を票決し、市政府における監督権限全体を行使することを意味している。
警察
主要な警察機関はブーイ警察署である。プリンスジョージズ郡警察、メリーランド・首都公園警察署、プリンスジョージズ郡保安官事務所の支援も受けている。
犯罪
ブーイは犯罪率が低いものの、犯罪活動に目立つものがあった。
マイケル・ブレイはブーイにある改革ルーテル教会の副牧師だったが、1984年1月から1985年1月の間に、3つの州とコロンビア特別区で妊娠中絶を支持する医院と事務所10か所を爆破する陰謀を立てた。この犯罪でほぼ4年間禁固刑となった[ 17] 。
2002年10月7日、13歳の少年イラン・ブラウンが、ブーイにあるベンジャミン・タスカー中学校前で車を降りた直後に狙撃者に撃たれて重傷を負った。これはベルトウェイ狙撃攻撃と呼ばれる一連の殺人と殺人未遂事件の1つだった[ 18] 。
ブーイでは年間平均91件の自動車泥棒が発生している。これは周辺地域と比較すれば低い数字である[ 19] 。
経済
主要雇用主
2012年包括的財務報告書に拠れば、市内の主要雇用主は次の通りである[ 20] 。
順位
雇用主
従業員数
1
イノバロン(医療)
2500人(3025年3月時点)
2
プリンスジョージズ郡公共教育学区
1,063人
3
ブーイ市
418人
4
ウォルマート
370人
5
ターゲット
300人
教育
初等中等教育
公立学校
ブーイ市の公共教育はプリンスジョージズ郡公共教育学区が管轄している。
住民はベンジャミン・タスカー中学校に通う校区とサミュエル・オーグル中学校に通う校区に区分される。高校はブーイ高校である。
小学校亜hヒーサーヒルズ小学校など8校ある。特殊教育センターとしてチャペルフォージとC・エリザベス・リーグの2か所がある。職業工業学校がトールオークス高校にある。
私立学校
ブーイ市内には以下の私立学校がある。
アセンション・デイケアと幼稚園
ベレア・バプテスト・クリスチャン・アカデミー
ブーイ・モンテッソリ子供の家
クリスチャン・コミュニティ長老派教会保育学校
コーナーストーン・クリスチャン・アカデミー
クレストヒル・クリスチャン・アカデミー
グレース・クリスチャン学校(幼稚園から8年生)
ホリー・トリニティ・エピスコパル教会デイスクール
パタクセント・モンテッソリ学校
リディーマー子供保育センター
セントマシューズ初期教育センター
セントピウス10世地域学校(幼稚園から8年生)
高等教育機関
ブーイ州立大学は1865年の開校であり、ブーイ市北部にある
著名な出身者
スポーツ
歴史的な場所
下表はブーイ市とその周辺にある歴史的な場所であり、メリーランド・首都公園企画委員会に認定されている[ 22] 。
公園
参考文献
^ a b “US Gazetteer files 2010 ”. United States Census Bureau. 2013年1月25日 閲覧。
^ “Quickfacts.census.gov ”. 23 August 2023 閲覧。
^ U.S. Geological Survey Geographic Names Information System: ブーイ (メリーランド州)
^ “Revitalization of Old Town Bowie ”. City of Bowie, Maryland. 2007年7月20日時点のオリジナル よりアーカイブ。2007年10月2日 閲覧。
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“The Prince George's Hall of Fame ”. Prince George's County Historical Society (2003年). 2007年9月24日時点のオリジナル よりアーカイブ。2007年8月16日 閲覧。
^ “Prince George's County: Over 300 years of History – Oden Bowie ”. Prince George's County Historical Society (1996年). 2007年10月2日 閲覧。
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Wilson, William Bender (1895). History of the Pennsylvania Railroad Company: With Plan of Organization . Henry T. Coates & Company. p. 279
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Wilson, William Bender (1895). History of the Pennsylvania Railroad Company: With Plan of Organization . Henry T. Coates & Company. pp. 333–334
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“Governor's Information: Maryland Governor Oden Bowie ”. National Governors Association. 2009年2月7日時点のオリジナル よりアーカイブ。2007年10月2日 閲覧。
^ Suburban Legend WILLIAM LEVITT
^ http://www.bowiecenter.org
^ “US Gazetteer files: 2010, 2000, and 1990 ”. United States Census Bureau (2011年2月12日). 2011年4月23日 閲覧。
^ Climate Summary for Bowie, Maryland
^ United States Census Bureau. “Census of Population and Housing ”. June 24, 2015 閲覧。
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^ “American FactFinder ”. United States Census Bureau. 2013年1月25日 閲覧。
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Sanchez, Rene (January 15, 1999). “Abortion Foes' Internet Site on Trial” . Washington Post (The Washington Post): pp. A03. http://www.washingtonpost.com/wp-srv/national/longterm/abortviolence/stories/website.htm
^ “10 Years Later: Profiles of Sniper Victims ”. WUSA 9 . CBS (October 2, 2012). May 4, 2013 閲覧。 “The sniper's eighth victim was a 13-year-old boy who was shot in the abdomen October 7 after his aunt dropped him off at Benjamin Tasker Middle School in Prince George's County. His aunt, a nurse, rushed him to a hospital clinic in Bowie. He was airlifted to a Washington hospital, where doctors removed his spleen and parts of his stomach and pancreas.”
^ “Bowie, MD Vehicle Theft Statistics ”. 2015年8月30日 閲覧。
^ “City of Bowie 2012 Comprehensive Annual Financial Report ” (PDF). 2015年8月30日 閲覧。
^ Songbird Sherri Dalphonse, Washingtonian , May 1, 2001. Retrieved on September 3, 2013.
^ M-NCPPC Illustrated Inventory of Historic Sites (Prince George's County, Maryland), 2006 Archived 2008年7月25日, at the Wayback Machine ..
^ Lavoie, Catherine C. (1992). Historic American Engineering Record, Governor's Bridge, HAER NO. MD-85 . Washington, D.C.: National Park Service, Department of the Interior. pp. 1, 2. http://lcweb2.loc.gov/pnp/habshaer/md/md1300/md1317/data/md1317data.pdf
^ Maryland Historical Trust Property Number PG-74B-1 & AA-85I , Maryland Inventory of Historic Bridges, http://msa.maryland.gov/megafile/msa/stagsere/se1/se5/018000/018900/018913/pdf/msa_se5_18913.pdf 5 January 2013 閲覧。
外部リンク
ウィキボヤージュには、ブーイ (メリーランド州) に関する旅行情報があります。