ブレント・モレル
ブレント・アンドレ・モレル(Brenton Andre Morel, 1987年4月21日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州ベーカーズフィールド出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。 経歴プロ入りとホワイトソックス時代2008年のMLBドラフトでシカゴ・ホワイトソックスから3巡目(全体86位)指名され、プロ入り。 2010年9月2日にメジャーへ初昇格を果たし、7日のデトロイト・タイガース戦でメジャーデビュー。10日のカンザスシティ・ロイヤルズ戦でブルース・チェンからメジャー初安打と初本塁打を記録した。 2011年は正三塁手として126試合に出場し、打率.245・10本塁打・41打点・5盗塁の成績を残した。 2012年は原因不明の腰背痛に悩まされ、椎間板ヘルニアと診断されたが、同年8月には痛みがなくなっている[1]。 パイレーツ時代2013年12月23日にウェーバーでトロント・ブルージェイズへ移籍した。2014年2月21日にDFAとなった[2]。2月24日にウェーバーでピッツバーグ・パイレーツへ移籍した[3][4]。3月21日に傘下のAAA級インディアナポリス・インディアンズへ異動[5]。5月9日にメジャーへ昇格した[6]。同日のセントルイス・カージナルス戦で代打として出場したが、三振に終わり、5月11日にAAA級インディアナポリスへ降格。7月23日にスターリング・マルテが故障者リスト入りしたため、メジャーへ再昇格した[7]。8試合に出場後、8月3日にAAA級インディアナポリスへ降格したが、17日にチャーリー・モートンが故障者リスト入りしたため、再昇格した[8]。再昇格後は3試合に出場したが、5打数無安打と結果を残せず、20日にAAA級インディアナポリスへ降格。その後、30日に再昇格した[9]。この年は23試合に出場し、打率.179・4打点だった。オフの11月20日に40人枠から外れ、AAA級インディアナポリスへ降格した[10]。 2015年も開幕をAAA級インディアナポリスで迎えた。7月20日にメジャー契約を結んで昇格した[11]。25日にDFA[12]、28日にFAとなった[13]。 アスレチックス傘下時代2015年7月30日にオークランド・アスレチックスとマイナー契約を結んだ。AAA級ナッシュビル・サウンズで38試合に出場し、打率.331と活躍した。オフにFAとなった[14]。 オリックス時代2015年12月18日にオリックス・バファローズと契約した。背番号は4[15]。 2016年には、春季キャンプ前の1月26日に、ブライアン・ボグセビックやエリック・コーディエと共に入団会見へ臨んだ[16]。オープン戦15試合でノーアーチながら打率.302という成績を残すと、3月25日には、埼玉西武ライオンズとの開幕戦(西武プリンスドーム)に「4番・三塁手」としてNPBの一軍公式戦にデビュー。4回表の第2打席で公式戦初安打を放つと、9回表の第5打席で投手への内野安打によって公式戦初打点を挙げた[17]。4月2日の対千葉ロッテマリーンズ戦(京セラドーム大阪)では、4回裏に死球で出塁すると、二塁への盗塁成功によって公式戦初盗塁を記録[18]。自身の誕生日だった4月21日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦(楽天Koboスタジアム宮城)では、「4番・一塁手」としてスタメンに起用されると、第1打席から2打席連続本塁打を放った。ただし、3回裏の途中で降雨ノーゲームになった[19][20]ため、記録上は4月26日の対福岡ソフトバンクホークス戦(京セラドーム)の1回裏に放った2点本塁打が公式戦初本塁打になった[21][22]。シーズン通算では、一軍公式戦94試合に出場。しかし、打撃の調子が安定せず、一時は代打での起用や二軍調整も経験した。結局、打率.244、8本塁打、38打点という成績でシーズンを終えたが、11月上旬には球団との間で翌2017年の契約に合意[23]。この年にチームへ在籍していたボグセビックを含む4人の外国人野手から、「大化けを期待したい」というフロントの意向で、ただ1人残留することが決まった[24]。 2017年には、オープン戦期間中だった3月2日の守備練習中に、打球が右手を直撃した。後の診察で、右第2指節の骨折が判明。1か月間患部の固定を要すること[24]に加えて、新入団のステフェン・ロメロ外野手がオープン戦から4番打者として好調を維持していたことから、公式戦の開幕を二軍で迎えた。4月22日の対千葉ロッテマリーンズ戦(ZOZOマリンスタジアム)でロメロが守備中に左膝を痛めたことから、4月25日にシーズン初の出場選手登録[25]を果たすと、登録初日の対埼玉西武ライオンズ戦(ほっともっとフィールド神戸)に「7番・一塁手」としてスタメンに起用。1回裏の第1打席で2点適時打を放った[26]ことによって、一軍でのシーズン初安打を記録した。「KANSAI CLASSIC 2017」の第2戦であった4月29日の対ソフトバンク戦(京セラドーム)でも、3回裏二死満塁の打席で放った走者一掃の二塁打によって、チームを勝利に導いている[27]。その後は、NPBの外国人枠などとの兼ね合いで、一軍と二軍を往復。6月30日の対西武戦(メットライフドーム)1回表の打席で三振した際に右脇腹を痛めて登録を抹消されてから[28]は、同月から入団した長距離打者のクリス・マレーロが一軍に定着したこともあって、一軍へ復帰できなかった。なお、一軍公式戦では通算38試合の出場で、打率.276、1本塁打、11打点を記録。ウエスタン・リーグの公式戦でも、47試合の出場で打率.290を記録した。しかし、「オリックスでの2シーズンで完全に燃焼した感があるので、2018年からは現役を退いて、家業であるブドウ農園の経営を継ぎたい」という意向を示したため、9月26日にはこのシーズン限りで契約を終了、引退することが球団から発表された。前々日の24日に行われたウエスタン・リーグの対広島東洋カープ戦(由宇練習場)が事実上の引退試合となり、その試合終了後には二軍首脳陣・ナインから胴上げされていた[29]。12月2日に自由契約となった[30]。 選手としての特徴・人物レベルスイングで広角にライナーを放つ[31]中距離打者[32]。投手心理を読むことに長けるが[33]、選球眼に難があり[31]、右投手のスライダーに弱い[31]。 守備では三塁手として起用され、三塁線の打球に弱く[34]捕球ミスや悪送球も少なくないが[31]、強肩とダイビングキャッチを持ち味とし[31]、メジャー通算のDRSとUZR共に平均値を記録した。他にもマイナーでは内野の全ポジションと右翼手でも起用されたこともある。 愛称は「ビーモ」[35]。 オリックス時代はチームメイトであったステフェン・ロメロやクリス・マレーロの良き兄貴分的な存在であった。また、実家で栽培したぶどうをチームメイトに振る舞うこともあった[35]。 詳細情報年度別打撃成績
年度別守備成績
記録
背番号
脚注
関連項目外部リンク
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