ブランドン・ガイヤー
ブランドン・エリック・ガイヤー(Brandon Eric Guyer, 1985年1月28日 - )は、アメリカ合衆国ペンシルベニア州チェスター郡ウェストチェスター出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。愛称はBG[1]。 経歴プロ入りとカブス傘下時代2007年のMLBドラフト5巡目(全体157位)でシカゴ・カブスから指名され、プロ入り。 2010年にAA級テネシー・スモーキーズでOPS.986を記録し、オフの11月19日にルール・ファイブ・ドラフトでの流出を避けるため、カブスの40人枠に入った[2]。 レイズ時代![]() (2014年6月28日) 2011年1月8日にマット・ガーザを中心とした大型トレードによって、サム・ファルド、李學周、クリス・アーチャー、ロビンソン・チリノスと共にタンパベイ・レイズへ移籍した[3]。同年5月6日のボルチモア・オリオールズ戦でメジャーデビューすると、ザック・ブリットンから初打席初本塁打を放った。メジャー初打席での本塁打は、デビルレイズ時代の2000年に投手のエステバン・ジャンがインターリーグで記録して以来球団史上2人目で、野手としては初となる[4]。最終的には15試合の出場に留まったが、AAA級ダーラム・ブルズでは107試合でOPS.905を記録した[5]。 2014年は2シーズンぶりにメジャーの舞台に復帰し、控え外野手として97試合に出場。打率.266、3本塁打、26打点、6盗塁という成績をマークして躍進した。外野で守ったポジションは左翼手が最多(62試合)であり、DRS は + 4と好成績を残した。また、僅かながら中堅手及び右翼手も守り、3ポジションで無失策と抜群の安定感だった。 2015年も、前年と同様にリザーブ外野手の役割を担い、128試合に出場と更に出番を増やした。打撃面では打率.265・8本塁打・28打点という成績を残したほか、10盗塁を決めてスピードも示した。また、規定打席未到達ながらアメリカンリーグ1位の24死球を受けた。守備では、前年と違って外野の3ポジションを万遍なく守り、トータルでDRS+1・1失策と、相変わらずの失策の少なさだった。 2016年6月1日のカンザスシティ・ロイヤルズ戦の第3打席で、通算わずか886打席目で50死球に到達した(この時点で四球は48)。63試合に出場し、打率.241ながら12二塁打と7本塁打を記録、長打がよく出ていた。守備は左翼25試合・中堅18試合・右翼12試合を守ったが、いずれもDRSはマイナスだった。 インディアンス時代2016年8月1日にネイサン・ルークス、ジョンレイダー・サリナスとのトレードで、クリーブランド・インディアンスへ移籍した[6]。インディアンス加入後は38試合に出場し、打撃好調で打率.333、2本塁打、14打点、1盗塁、OPS0.907という好成績を記録。レイズとのトータルでは、101試合で打率.266、9本塁打、32打点、3盗塁という成績のほか、2年連続リーグトップの31死球を記録した。 2017年は70試合に出場して打率.236、2本塁打、20打点、2盗塁を記録した。 2018年は103試合に出場して打率.206、7本塁打、27打点、1盗塁を記録した。オフの10月29日にフリーエージェント(FA)となった[7]。 ホワイトソックス傘下時代2019年2月5日にシカゴ・ホワイトソックスとマイナー契約を結んだ[8]。3月22日に一旦FAとなるが、27日にマイナー契約で再契約した[9]。オフにFAとなった[10]。 ジャイアンツ傘下時代2020年2月3日にサンフランシスコ・ジャイアンツとマイナー契約を結んだ。3月に放出された。7月6日に引退を発表した[11]。 詳細情報年度別打撃成績
年度別投手成績
年度別守備成績
背番号
脚注
関連項目外部リンク
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