ブラゴイ・ゲオルギエフ
ブラゴイ・ジョレフ・ゲオルギエフ(ブルガリア語: Благой Жорев Георгиев, ラテン文字転写: Blagoy Zhorev Georgiev, 1981年12月21日 - )は、ブルガリア・ソフィア出身の元サッカー選手。元ブルガリア代表。現役時代のポジションはMF。 経歴クラブスラヴィア・ソフィア1981年にブルガリアの首都ソフィアで生まれ、地元のPFCスラヴィア・ソフィアの下部組織を経て[1] 同クラブのトップチームでプロとしてのキャリアを開始した。ミロスラフ・ミラノフ(Miroslav Mironov)監督の下で1999年10月17日のFCピリン・ブラゴエヴグラト戦(3-1勝利)で初出場、11月27日のPFCベロエ・スタラ・ザゴラ戦(アウェイ1-1)で試合終了間際に初得点を記録した。その後は、2000年3月11日のPFCヴェルブジュド・キュステンディル戦(1-2敗北)、4月22日のPFCボテフ・プロヴディフ戦(3-2勝利)で得点を挙げ、デビューシーズンは3得点を記録した。 2003年9月27日のFCチェルノモレツ・ブルガス戦(アウェイ5-2勝利)で自身のキャリア初となるハットトリックを含め4得点を挙げる。同2003-04シーズン最終節のPFCナフテックス・ブルガス相手に2得点を挙げ、シーズン合計17得点となったことでストイコ・サカリエフに並び得点ランキング2位タイとなった。 オフチャ・クペル・スタジアムでの6季でリーグ戦172試合46得点を記録した。 ローン生活
2006年1月13日にシーズン終了までの期限付き移籍でデポルティーボ・アラベスと契約[2] し、それから1週間後にカンプ・ノウでのFCバルセロナ戦(アウェイ0-2敗北)でリーグ初出場を飾った。出場10試合中先発2試合とアラベスでの生活はベンチで大半を過ごし、クラブを2部降格の危機から救うことが出来ず、シーズン終了に伴い退団した。
2006年6月14日にシーズン終了までの期限付き移籍でセルビア1部のレッドスター・ベオグラードと契約した[3]。
2007年5月28日に2007-08シーズン終了までの期限付き移籍でドイツ1部のMSVデュースブルクと契約[4]。2008年3月14日のシャルケ04戦(1-2敗北)で初得点、5月4日のバイエル・レバークーゼン戦(3-2勝利)で試合終了間際に決勝点となる自身2得点目を挙げた。デュースブルクではリーグ戦31試合に出場した。 テレク・グロズヌイ2009年1月6日に移籍金150万ユーロでロシア1部のFCテレク・グロズヌイに4年契約を締結[5]。2009年3月15日にPFCスパルタク・ナリチクとの開幕戦(1-0勝利)、7月19日にホームのアフマド・アレーナでのFCゼニト・サンクトペテルブルク戦(3-2勝利)で初得点を記録した。 昨季まで主将と務めていたティムル・ジャブライロフが現役引退をしたため、2010年シーズン開幕前にアナトリー・バイダチニ監督から主将に任命された[6]。2010年5月10日のCSKAモスクワ戦(1-4敗北)で先制点にしてシーズン初得点を挙げ、それから3日後のサトゥルン・ラメンスコーエ戦(2-0勝利)で2アシストを提供した[7]。 2011年シーズンは、2011年5月20日に第10節のFCアンジ・マハチカラ戦(1-0勝利)で初得点、8月13日のFCディナモ・モスクワ戦(2-6敗北)で2得点目[8]、11月5日のFCクラスノダール戦(2-0勝利)でムサウェンゴシ・ムグニの得点をアシストした[9]。自身30歳の誕生日から数日後の12月28日にディナモ・モスクワが獲得に関心を寄せていると報じられた[10]。 2012年11月4日にペナルティーキックを決めたアンジ・マハチカラ戦(1-3敗北)でロシア1部通算出場数100試合を達成した。 アムカル・ペルミ2012年12月19日にFCアムカル・ペルミと3年半契約で合意して移籍した[11]。 ルビン・カザン2014年8月15日、FCルビン・カザンに移籍することが発表された[12]。 オレンブルク2016年8月31日、ロシア・プレミアリーグへの昇格を果たしたFKオレンブルクに加入した[13]。2017年12月29日にオレンブルクを退団し、その翌日に現役引退を発表した[14]。 代表U-21代表を経てA代表で50試合5得点を記録。2011年10月10日、ウェールズ戦前の合宿中に突如としてチームを去り[15][16]、そのまま代表引退をした。 タイトル
脚注
外部リンク
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