ガイシンの両親はカナダ人である。カナダ海外派遣軍の大尉だった父レナード・ガイシンのイギリス出兵中に、イギリス・バッキンガムシャー州のタプロウ(英語版)にあるカナダ軍の病院で生まれた。出生時の名前はジョン・クリフォード・ブライアン・ガイシン(John Clifford Brian Gysin)である。父レナードは、息子の誕生の8か月後に戦死した。オンタリオ州デズロント(英語版)出身の母のステラ・マーガレット・マーティンは、夫の死後に息子とともにカナダに戻り、アルバータ州エドモントンに定住した。
第二次世界大戦中にアメリカ陸軍に従軍した後、ガイシンはジョサイア・ヘンソン(英語版)の伝記"To Master, a Long Goodnight: The History of Slavery in Canada"を1946年に出版した。また、18か月の日本語学習コースに参加し、書道を含む日本語を学んだ。1949年、第1回フルブライト・フェローの1人に選ばれた。ガイシンが奨学金を受けた目的は、ボルドー大学とセビリアにあるインディアス総合古文書館で奴隷制度の歴史を研究することだったが、このプロジェクトは後に放棄された。1950年に小説家・作曲家のポール・ボウルズとともにモロッコのタンジェ(タンジール)を訪れた後、その地に移り住んだ。1952年ごろに、紀行作家でポリアモリー主義者のアン・カミング(英語版)と出会い、亡くなるまで友人であり続けた[6]。
1959年9月にバロウズがロンドンから戻ってくると、ガイシンは自分の発見をバロウズに伝えただけでなく、そのために開発した新しい技法も教えた。バロウズは『裸のランチ』を完成させる際にその技術を活用し、この実験はアメリカ文学を劇的に変えた。ガイシンは、『インターゾーン(英語版)』をはじめとするバロウズの小説の編集に協力し、『裸のランチ』の映画化のための脚本を書いた(ただし、この脚本による映画化は実現しなかった)。2人はグローブプレス(英語版)社から出版するための『サード・マインド(英語版)』(The Third Mind)というタイトルの大作を共同で執筆したが、当初の構想通りに出版するのは現実的ではないと判断された。後にこのタイトルで出版された本には、このときに書いた原稿はほとんど盛り込まれていない。1997年に『ガーディアン』紙のインタビューに応じたバロウズは、「(ガイシンは)私が人生で尊敬している唯一の男だ。人を称賛したり、好きになったりしたことはあるが、尊敬したのは彼だけだ」と語っている[12]。1969年、ガイシンは小説『プロセス(英語版)』を完成させ、評論家ロバート・パーマーに「20世紀モダニズムの古典」と評された[13]。
ガイシンは、カットアップの手法を変えて、1つのフレーズを何度も繰り返し、繰り返すたびに言葉の順序を変えていく「順列詩」(permutation poem)と呼ばれるものを生み出した。その例が "I don't dig work, man / Man, work I don't dig." である。これらの組み合わせの多くは、イアン・ソマービル(英語版)が書いた初期のコンピュータプログラムであるランダムシーケンスジェネレータを使って導き出されたものである。1960年にBBCから放送用素材の制作を依頼されたガイシンは、銃の発射距離を変えて録音し、その音をつなぎ合わせた"Pistol Poem"などを制作した。同年、この作品は、ガイシン、フランソワ・デュフレーヌ(英語版)、ベルナール・ハイドシェック(英語版)、アンリ・ショパンらの実験的な作品を紹介する"Le Domaine Poetique"のパリ公演のテーマとして使われた。
1974年4月に直腸からの出血があった。同年5月にはバロウズに体調不良を訴える手紙を出している。しばらくして、大腸癌と診断され、放射線治療を受けた[15]。1974年12月から1975年4月にかけて、ガイシンは何回もの手術を受けた。その中でも人工肛門の手術は非常にトラウマになり、極度の落ち込みと自殺未遂に追い込まれた[16]。後に、"Fire: Words by Day – Images by Night"(1975年)で、自分が経験した恐ろしい試練を語っている。
ガイシンは1986年7月13日に肺癌で死去した。葬儀はアン・カミングが執り行い、遺灰はモロッコのヘルクレス洞窟(英語版)に撒かれた[17]。『ニューヨーク・タイムズ』紙に掲載されたロバート・パーマーによる追悼記事では、「普通の芸術家が一生の仕事にするようなアイデアを、機関車が火花を散らすように気軽に投げ捨てた」人物であると紹介されている[18]。その年の暮れには、彼の小説を大幅に編集した"The Last Museum"が出版された。
友人のブライオン・ガイシンは、ヨーロッパに30年間住んでいるアメリカの詩人・画家ですが、私の知る限り、カットアップを最初に作ったのは彼でした。カットアップされた彼の詩"Minutes to Go"は、BBCで放送され、後に小冊子して出版されました。私は1960年の夏にパリにいましたが、それは『裸のランチ』がパリで出版された後でした。私はこの手法の可能性に興味を持ち、自分でも試してみました。もちろん、考えてみれば、『荒地』は最初の偉大なカットアップ・コラージュであり、トリスタン・ツァラも同じようなことをしていました。ドス・パソスは『U.S.A.』の「カメラ・アイ」の節で同じアイデアを使っています。私は自分が同じ目標に向かっていると感じていたので、それが実際に行われているのを見たときには大きな発見がありました[20]。
ジョン・ガイガーは、ガイシンの伝記"Nothing Is True Everything Is Permitted: The Life of Brion Gysin"を執筆し、ガイシンを主題とする"Chapel of Extreme Experience: A Short History of Stroboscopic Light and the Dream Machine"も発表している。"Man From Nowhere: Storming the Citadels of Enlightenment with William Burroughs and Brion Gysin"は、バロウズとガイシンの伝記的研究とガイシンへのオマージュをまとめたものであり、ジョー・アンブローズ、フランク・リン(英語版)、テリー・ウィルソンが執筆し、マリアンヌ・フェイスフル、ジョン・ケイル、ウィリアム・S・バロウズ、ジョン・ジョルノ(英語版)、スタンリー・ブース(英語版)、ビル・ラズウェル、モハメド・ハムリ、キース・ヘリング、ポール・ボウルズが寄稿している。
著作物
散文
To Master, A Long Goodnight: The History of Slavery in Canada (1946)
Gysin, Brion (1986). The Last Museum. New York: Grove Press
Gysin, Brion (2000). Who Runs May Read. Oakland/Brisbane: Inkblot/Xochi
Gysin, Brion (2001). Jason Weiss. ed. Back in No Time: The Brion Gysin Reader. Wesleyan University Press
二次情報
Morgan, Ted. Literary Outlaw: The Life and Times of William S. Burroughs. New York and London: W.W. Norton & Company, 1988, 2012. ISBN978-0393342604
Kuri, José Férez, ed. Brion Gysin: Tuning in to the Multimedia Age. London: Thames & Hudson, 2003. ISBN0-500-28438-5
Geiger, John. Nothing Is True Everything Is Permitted: The Life of Brion Gysin. Disinformation Company, 2005. ISBN1-932857-12-5
Geiger, John. Chapel of Extreme Experience: A Short History of Stroboscopic Light and the Dream Machine. Soft Skull Press, 2003.
Ambrose, Joe, Frank Rynne, and Terry Wilson. Man From Nowhere: Storming the Citadels of Enlightenment with William Burroughs and Brion Gysin. Williamsburg: Autonomedia, 1992
Vale, V. William Burroughs, Brion Gysin, Throbbing Gristle. San Francisco: V/Search, 1982. ISBN0-9650469-1-5
脚注
^Geiger, John (2005). Nothing Is True – Everything Is Permitted: The Life of Brion Gysin. The Disinformation Company. pp. 130. ISBN1-932857-12-5
^Burroughs, William. "Introduction." in Man from Nowhere: Storming the Citadels of Enlightenment with William Burroughs and Brion Gysin. Ambrose, Joe, Frank Rynne, Terry Wilson. Dublin: Sublimin, 1992, n.p.
^Cf. John Geiger's biographical essay on Gysin titled, 'Brion Gysin: His Life and Times' in Brion Gysin: Tuning into the Multimedia Age, ed. José Férez Kuri (London: Thames & Hudson, 2003), p. 201.
^John Geiger (2005). Nothing Is True-Everything is Permitted: The Life of Brion Gysin. Red Wheel/Weiser. p. 5. ISBN9781609258719. "Brion's view of Creating soon changed. By age fifteen he was an avowed atheist attending St. Joseph's Catholic High School."
^ abCf. John Geiger, 'Brion Gysin: His Life and Times' in Brion Gysin: Tuning into the Multimedia Age, p. 204.
^Richard Davenport-Hines, 'Cumming, (Felicity) Anne (1917–1993)', Oxford Dictionary of National Biography, Oxford University Press, 2004; online edn, Oct 2009 accessed 11 April 2017
^Chandarlapaty、R.、"Woodard and Renewed Intellectual Possibilities"、in Seeing the Beat Generation (Jefferson、NC: McFarland & Company、2019年)、142-146ページ。
^Greene, Michelle, The Dream at the End of the World, (New York, 1991), p. 123, p. 201
^Geiger, John, Nothing is True, Everything is Permitted: the Life of Brion Gysin, (New York, 2005), p. 103
^In his essay "Cut-Ups: A Project for Disastrous Success," Gysin explains that "on January 5, 1958, I lost the business over a signature given to a friendly American couple who 'wanted to help me out.' I was out with the shirt on my back." in A Williams Burroughs Reader, ed. John Calder (London: Picador, 1982), p. 276.
^Brion Gysin: Cut-Ups: A Project for Disastrous Success, published in Evergreen Review and much later in [Brion Gysin] Let the Mice In, Something Else Press, West Clover 1973; also in the A Williams Burroughs Reader, John Calder (editor), Picador, London 1982, p. 272.
^Cf. John Geiger, 'Brion Gysin: His Life and Times' in Brion Gysin: Tuning into the Multimedia Age, p. 227.
^Biographer John Geiger writes that Gysin's restaurant, The 1001 Nights provided him "with an entrée into Tangiers society. His Moroccan culinary delights even merited an entry in Alice B. Toklas's famous cookbook, with a recipe for hashish fudge. Toklas, however, had no idea what the mysterious ingredient – cannabis – was, protesting later 'of course I didn't know the Latin name'." Cf. John Geiger, 'Brion Gysin: His Life and Times' in Brion Gysin: Tuning into the Multimedia Age, p. 213.
^Knickerbocker, Conrad, Burroughs, Williams S., 'The Paris Review Interview with William S. Burroughs' in A Williams Burroughs Reader, ed. John Calder (London: Picador, 1982), p. 263.
^Kuri, Tuning in to the Multimedia Age, coverflap.