フランツ・コンラット (レーシングドライバー)

フランツ・コンラットFranz Konrad1951年6月8日 - )は、オーストリアグラーツ出身の元レーシングドライバー。コンラット・モータースポーツの創設者。ル・マン24時間レースデイトナ24時間レースなどの耐久レースで活躍した他、スポーツカー世界選手権でも活躍した[1]

経歴

1975年にドイツレーシングカー選手権にポルシェ・RSRで参戦開始[2]。1978年より「コンラット・モータースポーツ」を設立し、自らドライバーとしてドイツ・フォーミュラ3選手権に参戦開始。ポルシェ・935世界スポーツカー選手権へも参戦する。1979年からヨーロッパ・フォーミュラ3選手権に参戦。並行してプロカー・BMWなどスポーツカーレースにも多く参戦した。1980年から1982年には散発的だったがヨーロッパF2選手権にも参戦。しかしフォーミュラは1985年のマカオF3グランプリが最後となり、以後はポルシェ・956ポルシェ・962CなどグループCカーでの世界スポーツカー選手権参戦がメインとなった。シーズンフルエントリーは2005年のFIA GT選手権への参戦が最後となったが、2016年から2017年にかけてアメリカでデイトナ24時間レースセブリング12時間レースランボルギーニ・ウラカンで出場し、健在ぶりを見せた。

レース戦績

ドイツ・フォーミュラ3選手権

エントラント シャーシ エンジン クラス 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 順位 ポイント
1978年 コンラット・モータースポーツ ラルト・RT1 トヨタ・2T-G ZOL NÜR NÜR2 WUN DIE ZOL2
10
19位 4
シェブロン・B38 ULM
8
KAS ERD
1979年 KWSモータースポーツ シェブロン・B47 ZOL
6
NÜR
C
FAS
DNS
WUN DIE ZOL2
3
NÜR2
7
KAS
7
7位 38
1980年 コンラット・モータースポーツ マーチ・793 NÜR
11
NÜR2
4
ERD
2
NÜR3
7
DIE
4
SIE
11
KAS
12
3位 66
1981年 スクーデリア・テウトニア マーチ・803B NÜR
10
NÜR2
2
WUN
3
ERD
3
SAL
2
NÜR3
2
DIE
3
ZOL
6
HOC
3
SIE
3
NÜR4
2
2位 132
1982年 コンラット・レーシング NÜR HOC SAL WUN ERD
6
NÜR2
1
DIE
7
ZOL
8
NÜR3
1
KAS
11
5位 63
1983年 スクーデリア・テウトニア アンソン・SA4 A AVU
11
MAI
10
NÜR
1
WUN
5
KAU
1
1位 83
フォルクスワーゲン ERD
8
DIE
4
ZOL
2
1984年 A ZOL
4
HOC
5
AVU MAI
Ret
KAU
25
WUN
4
NÜR
4
ERD
5
ZOL2
DSQ
SAL
7
NÜR2
5
ZOL3
DNS
6位 60
1985年 A ZOL
5
NÜR
Ret
6位 64
マルティニ・Mk45 HOC
10
WUN
DNS
AVU
6
ÖST
5
ERD
DNS
NOR
8
HOC2 DIE
9
ZOL2
3
SAL
3
SIE
5
NÜR2
7

ヨーロッパ・フォーミュラ3選手権

エントラント シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 順位 ポイント
1979年 KWSモータースポーツ シェブロン・B47 トヨタ・2T-G VLL
13
ÖST
Ret
ZOL
17
MAG DON ZAN
DNS
PER MNZ
DNQ
KNU KIN JAR KAS
7
NC 0
1980年 マイク・コルテン・モータースポーツ マーチ・803 NÜR
11
ÖST
18
ZOL
Ret
MAG
DNQ
ZAN LAC MUG MNZ MIS KNU SIL JAR KAS
12
ZOL NC 0
1981年 スクーデリア・テウトニア マーチ・803B VLL
NÜR
DON
ÖST
ZOL
15
MAG
LAC
ZAN
SIL
CET
MIS
KNU
JAR
IMO
MUG
NC 0
1982年 コンラット・モータースポーツ MUG
NÜR
DON
ZOL
MAG
ÖST
ZAN
SIL
MNZ
PER
LAC
KNU
NOG
JAR
KAS
11
NC 0
1983年 スクーデリア・テウトニア マーチ・813 VLL
Ret
NÜR
C
ZOL
Ret
MAG ÖST
17
LAC SIL MNZ MIS ZAN KNU NOG JAR IMO DON CET NC 0
1984年 アンソン / テウトニア アンソン・SA4 アルファロメオ DON
13
ZOL
DNS
MAG
LAC
ÖST
SIL
NÜR
12
MNZ
PER
MUG
KNU
NOG
JAR
NC 0

ヨーロッパ・フォーミュラ2選手権

チーム シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 Pos. Pts
1980年 URD Rennwagenbau マーチ・792 BMW M12/7 THR
HOC
NÜR
VLL
PAU
SIL
ZOL
DNQ
MUG
ZAN
PER
MIS
HOC
Ret
NC 0
1981年 スクーデリア・テウトニア マーチ・802 SIL HOC THR NÜR
11
VLL MUG PAU PER SPA DON
MIS MAN NC 0
1982年 コンラットモータースポーツ SIL
14
HOC
Ret
THR
16
NÜR
11
MUG VLL
PAU
SPA
HOC
DON
MAN
PER
MIS
NC 0

ル・マン24時間レース

チーム コ・ドライバー 使用車両 クラス 周回 総合順位 クラス順位
1978年 アメリカ合衆国の旗 ウッティントン・ブラザーズ・レーシング アメリカ合衆国の旗 ドン・ウィッティントン
アメリカ合衆国の旗 ビル・ウィッティントン
ポルシェ・935 Gr.5+2.0 41 DNF DNF
1985年 ドイツの旗 ポルシェ・クレマー・レーシング フランスの旗 ジャン=ピエール・ジャリエ
ニュージーランドの旗 マイク・サックウェル
ポルシェ・962C C1 356 9位 9位
1987年 南アフリカ共和国の旗 ウェイン・テイラー
南アフリカ共和国の旗 ジョージ・フーシェ
C1 327 4位 4位
1988年 ドイツの旗 ブラウンプンクト・ヨースト・レーシング イギリスの旗 デビッド・ホブス
ベルギーの旗 ディディエ・ティス
C1 380 5位 5位
1989年 スイスの旗 レプソルブルン・モータースポーツ ドイツの旗 ルディ・ゼーア
スペインの旗 アンデス・ヴィラリーノ
C1 81 DNF DNF
1990年 イギリスの旗 シルク・カット・ジャガー
イギリスの旗 トム・ウォーキンショー・レーシング
イギリスの旗 アンディ・ウォレス
オランダの旗 ヤン・ラマース
ジャガー・XJR-12 C1 355 2位 2位
1991年 オーストリアの旗 コンラット・モータースポーツ スイスの旗 ピエール=アラン・ロンバルディ
イギリスの旗 アンソニー・レイド
ポルシェ・962C C2 98 DNF DNF
1993年 日本の旗 原田淳
ブラジルの旗 アントニオ・ヘルマン・デ・アゼベドロ
ポルシェ・911カレラRS GT 293 19位 5位
1994年 ブラジルの旗 アントニオ・ヘルマン・デ・アゼベドロ
ドイツの旗 マイク・ソーマー
ポルシェ・911ターボ GT1 100 DNF DNF
1995年 ドイツの旗 ポルシェ・クレマー・レーシング ブラジルの旗 アントニオ・ヘルマン・デ・アゼベドロ
ドイツの旗 ユルゲン・ラシッグ
クレマー・K8スパイダー-ポルシェ WSC 163 DNF DNF
1996年 オーストリアの旗 コンラット・モータースポーツ ブラジルの旗 アントニオ・ヘルマン・デ・アゼベドロ
ドイツの旗 ウィード・ロッセリア
ポルシェ・911GT2EVO GT1 107 DNF DNF
1997年 イタリアの旗 マウロ・バルディ
イギリスの旗 ロベルト・ニアール
ポルシェ・911 GT1 GT1 138 DNF DNF
1998年 アメリカ合衆国の旗 ラニー・スマルシャー
アメリカ合衆国の旗 ニック・ハム
ポルシェ・911GT2 GT2 24 DNF DNF
1999年 アメリカ合衆国の旗 チャールズ・スラッター
アメリカ合衆国の旗 ピーター・キッドチャール
GTS 293 18位 7位
2001年 アメリカ合衆国の旗 サリーン-アレンスピードAB イギリスの旗 オリバー・ギャビン
アメリカ合衆国の旗 テリー・ボーチェラー
サリーン・S7-R-フォード GTS 246 18位 3位
2002年 オーストリアの旗 コンラット・モータースポーツ アメリカ合衆国の旗 テリー・ボーチェラー
スイスの旗 トニー・セイラー
GTS 266 26位 7位
2003年 スイスの旗 トニー・セイラー
スイスの旗 ウォルター・ブルン
GTS 91 DNF DNF

脚注

  1. ^ Franz Konrad | Racing career profile | Driver Database”. www.driverdb.com. 2020年3月17日閲覧。
  2. ^ Franz Konrad Racing Years
タイトル
先代
ジョン・ニールセン
ドイツF3選手権 チャンピオン
1983年
次代
クルト・ティーム