フランシスコ・エレーラ・ロレンソ
フランシスコ・"パコ"・エレーラ・ロレンソ(Francisco "Paco" Herrera Lorenzo、1953年12月2日 - )は、スペイン・バルセロナ出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。選手時代のポジションはミッドフィールダー。 経歴選手時代カタルーニャ地方のバルセロナに生まれ、地元のCEサバデルからデビュー。2シーズンをセグンダ・ディビシオン(2部)でプレーした。20歳だった1974年にプリメーラ・ディビシオン(1部)のスポルティング・ヒホンに移籍したが、ヒホンは1975-76シーズン終了後にセグンダ降格となった。レバンテUDで2シーズンプレーし、1979年にCDバダホスに移籍。32歳となった1986年、セグンダ・ディビシオンB(3部相当)のバダホスで現役引退した。 指導者時代現役引退後もバダホスとの繋がりを持ち、ユースチームのコーチやトップチームのアシスタントコーチを務めた。1992-93シーズン(計18試合)と1994-95シーズン(計6試合)には2度に渡ってトップチーム監督を務めた。1998年にはセグンダ・ディビシオン(2部)のCDヌマンシアの監督に就任し、同年にはやはりセグンダのCPメリダ監督に就任したが、1999年11月に解任された。2001-02シーズンと2002-03シーズンにはセグンダのアルバセテ・バロンピエとポリデポルティーボ・エヒドを率い、それぞれ10位と13位の成績を残した。2003年にはセグンダのレクレアティーボ・ウェルバ監督に就任したが、直近の11試合で7分と停滞し、コルドバCFに0-2で敗れた直後の11月9日に解任された。2004年夏、プレミアリーグ・リヴァプールFC監督に就任するラファエル・ベニテスのコーチングスタッフに加わり、2シーズンの間、アシスタントコーチとチーフスカウトを務めた[1]。 2006年6月にイングランドを離れて母国に戻り、RCDエスパニョールのフットボールディレクター(FD)に就任[2]。ほぼ3シーズンエスパニョールで働き、2009年2月、アトレティコ・マドリード監督に就任するアベル・レシーノ監督の後任としてCDカステリョン監督に就任した。2008-09シーズンの残り21試合を指揮し、セグンダで7位に導いた。2010年2月4日、フアン・カルロス・ガリード監督の後任として、セグンダのビジャレアルCF Bの監督に就任。トップチームでエルネスト・バルベルデ監督が解任され、その後任としてガリード監督がトップチームに引き上げられた。2009-10シーズンは昇格初年度ながら7位という好成績でシーズンを終えた。2010年夏には同じくセグンダのセルタ・デ・ビーゴ監督に就任し、2010-11シーズンにはプリメーラ・ディビシオン(1部)昇格プレーオフに出場したが、プレーオフ準決勝でグラナダCFにPK戦の末に敗れ、プリメーラ昇格はならなかった。 脚注
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