フランコ・バッタイーニ
フランコ・バッタイーニ ( Franco Battaini, 1972年7月22日 - ) は、イタリア・ロンバルディア州ブレシア出身のオートバイレーサー。主にロードレース世界選手権250ccクラスで活躍した。 経歴キャリア初期1989年、17歳のときにスーパーバイク世界選手権のペルグーサラウンドの1レースにヤマハ・YZF750を駆って出場、結果はリタイヤに終わった[1]。1993年にはイタリアスポーツプロダクション選手権(125cc)の21歳以下クラスにカジバ・ミトを駆って参戦し、シリーズランキング4位の成績を残した。翌年は同選手権でシリーズ2位、1995年にはロードレースイタリア選手権とヨーロッパ選手権125ccクラスに参戦し、それぞれシリーズ6位・8位を記録した[2]。 1996年からは、より体格に合った250ccクラスにステップアップし、イタリア選手権・ヨーロッパ選手権の両方でシリーズ3位に入る好成績を残した。またこのシーズンにはロードレース世界選手権250ccクラスのレースにワイルドカード枠で3戦出場し、グランプリデビューを果たした[2]。 ロードレース世界選手権250ccクラス1997年、24歳のバッタイーニは EDO レーシングチームからヤマハ・TZ250を駆ってロードレース世界選手権250ccクラスにフル参戦を開始した。15戦中13戦をポイント圏内で完走する安定度を見せて、シリーズランキング14位を記録した。翌1998年も同チームに残留したが、怪我でシーズン中盤の4戦を欠場したことが響いてシリーズ18位に終わった[2]。 1999年、バッタイーニはFGFチームに移籍し、この後の彼のキャリアにおいて大半を共にするアプリリアの250ccマシンを駆ることになった。第2戦日本GPで初のポールポジションを獲得、第6戦カタルーニャGPで初表彰台(3位)、第12戦バレンシアGPで2位に入る等の活躍を見せ、シリーズ8位と成績を伸ばした。 2000年、2001年は表彰台の獲得もなくそれぞれシリーズ8位、10位と伸び悩んだが、2002年には第2戦南アフリカGPで2位、第12戦リオGPで3位表彰台に立ち、シリーズランキング6位を記録した。カンペテーラ・レーシングに移った2003年も地元イタリアGPなど3度表彰台に立ち、ふたたびシリーズ6位となった。この2002・2003シーズンがバッタイーニのグランプリにおける絶頂期となり、2004年は表彰台獲得もなくシリーズ10位に終わった。 MotoGPクラス2005年シーズン、バッタイーニはWCMチームから最高峰MotoGPクラスにデビューを果たした。しかしマシンのパフォーマンスは低く、グリッド最後列の常連となってしまい、わずか3戦でのポイント獲得でシリーズ22位に沈んだ。 スーパーバイク世界選手権へ2006年シーズン、WCMチームの撤退によりMotoGPでのシートを失ったバッタイーニはスーパーバイク世界選手権に活動の場を移し、ベルトッチ・チームでカワサキ・ZX-10Rを駆ることになった。しかし開幕から8レースを終えてもノーポイントが続いたためバッタイーニはチームを去り、その後はグランプリ250ccクラスに古巣カンペテーラ・チームから5戦に出場した。 イタリア国内選手権2007年からはイタリアロードレース選手権(CIV)スーパースポーツクラスにヤマハ・YZF-R6を駆って参戦し、初年度はシリーズ18位、2008年は5位、2009年は4位を記録した[3]。 ドゥカティのテストライダー2009年11月より、バッタイーニはドゥカティ・コルセでMotoGPマシン・デスモセディチの公式テストライダーを務めている[4]。 ロードレース世界選手権 戦績
脚注外部リンク |
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