フランク・ガルセス
フランク・イヨーリー・ガルセス・オチョア(Frank Yeury Garcés Ochoa, 1990年1月17日[1] - )は、ドミニカ共和国サン・クリストバル州サン・クリストバル出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。 経歴プロ入りとレンジャーズ傘下時代2009年5月29日にテキサス・レンジャーズと契約。ルーキー級ドミニカン・サマーリーグ・レンジャーズ1で8試合(先発1試合)に登板し、0勝2敗・防御率4.96・12奪三振の成績を残した。オフの9月26日に自由契約となった。 パドレス時代2011年5月12日にサンディエゴ・パドレスとマイナー契約を結んだ。契約後はルーキー級ドミニカン・サマーリーグ・パドレスで15試合(先発10試合)に登板し、4勝3敗1セーブ・防御率2.51・115奪三振の成績を残した。 2012年はA級フォートウェイン・ティンキャップスで25試合に先発登板し、9勝6敗・防御率2.81・112奪三振の成績を残した。 2013年はA+級レイクエルシノア・ストームで26試合に先発登板し、7勝9敗・防御率5.67・126奪三振の成績を残した。 2014年はAA級サンアントニオ・ミッションズで開幕を迎えた。8月19日にパドレスとメジャー契約を結んだ[2]。同日のロサンゼルス・ドジャース戦でメジャーデビュー。3点ビハインドの8回裏から登板し、1回を無安打無失点1奪三振に抑えた[3]。昇格後は2試合に登板し、いずれの試合も無失点に抑えていたが、8月23日にアンドリュー・キャッシュナーが故障者リストから復帰したため、AA級サンアントニオへ降格した[4]。9月2日にメジャーへ再昇格し[5]、リリーフに定着した。この年は15試合に登板し、防御率2.00・10奪三振の成績を残した。 2015年はメジャーとAAA級エル・パソ・チワワズを行き来しながら、メジャーでは40試合(先発1試合)に登板して0勝1敗・防御率5.21・30奪三振の成績を残した。12月2日にFAとなった[注 1]。12月6日にマイナー契約で再契約した[6]。 2016年はメジャーでの登板は無く、AAA級エル・パソで37試合(先発18試合)に登板して4勝6敗1セーブ・防御率4.41・98奪三振の成績を残した。 西武時代2016年11月17日にマイアミ・マーリンズとマイナー契約を結んだ[7]が、12月14日に埼玉西武ライオンズへの入団が発表された[8]。背番号は59。 2017年5月3日の福岡ソフトバンクホークス戦で中継ぎとして一軍デビューを果たした。5月25日の北海道日本ハムファイターズ戦でNPB初勝利。その後は中継ぎの主力として活躍した。5月31日の広島東洋カープ戦ではNPB初先発に挑戦したが、5回途中5四死球4失点で負け投手となり、以降は再び中継ぎに戻った。8月8日のオリックス・バファローズ戦で一軍復帰も打ち込まれて二軍落ちし、9月8日の日本ハム戦で一軍復帰。2試合とも好投したが、その後の9月18日のソフトバンク戦で6失点と打ち込まれたのが一軍での最後の登板となった。10月18日に球団は契約を解除し、ウエーバー公示の手続きを取り[9]、10月25日に自由契約選手として公示された[10]。 西武退団後2018年6月14日にカナダのアマチュアリーグであるインターカウンティベースボールリーグのバリー・ベイキャッツに入団した[11]。 2019年4月3日にメキシカンリーグのラグナ・ユニオン・コットンファーマーズと契約を結んだ。7月15日にリリースされた[6]。7月19日に同リーグのカンペチェ・パイレーツに入団した。2020年2月11日にリリースされた[6]。 2021年3月1日にバリー・ベイキャッツと再契約した[12]。 2021年7月8日にメキシカンリーグのプエブラ・パロッツと契約した[6]。 詳細情報年度別投手成績
年度別守備成績
記録
背番号
脚注注釈
出典
関連項目外部リンク
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