この項目では、オーストラリア・コーフィールド競馬場の競走について説明しています。それ以外のフューチュリティステークスについては「フューチュリティステークス 」をご覧ください。
フューチュリティステークス[ 4] あるいはフュチュリティステークス[ 5] (Futurity Stakes)とはオーストラリア のビクトリア州 メルボルン 近郊のコーフィールド競馬場 にて秋[ 注 1] に開催される競馬の競走 である[ 6] 。
他のフューチュリティステークス と区別するため、開催国名を付して濠フューチュリティステークス[ 7] 、開催地の名を冠してコーフィールド・フューチュリティ[ 8] 、かつての主催者の略称を冠してVATCフューチュリティ やVATCコーフィールド・フューチュリティ[ 8] 、現在の主催者のメルボルン競馬会(Melbourne Racing Club )の略称を冠してMRCフューチュリティステークス[ 9] と称することもある。2014年時点では、興行上はスポンサー 冠をつけてキャセイパシフィック・フューチュリティステークス (Cathay Pacific Futurity S)と公称されている[ 2] [ 注 2] 。
1898年から行われており、概ね1400メートルで行われている。一般的な「フューチュリティステークス」が2歳戦であるのに対し、この競走は3歳上の競走馬に出走権がある。
概要
フューチュリティステークスは、1898年に創設され、創設以来、長い間7ハロン(約1408メートル)で行われてきた。1970年代にオーストラリアがヤード・ポンド法 からメートル法 へ移行すると1400メートルで行われるようになった。
オーストラリアで競走の格付け が始まると、1980年に最高格のグループ1(G1)に格付けされた。2006年からは「アジアマイルチャレンジ 」シリーズの1戦となるため距離を1600メートル(約1マイル)に延長した。このシリーズは、オーストラリア、香港、日本、ドバイから1戦ずつが選ばれ、複数の競走で優勝したものには最高400万米ドル(当時の為替レートで約4億6000万)の賞金を与えるというもので、こうしたボーナス制度としては当時世界最高クラスの賞金を提供していた。しかし実際に賞金を獲得したのは2006年に1頭該当馬が出ただけで、2011年を最後に行われなくなった。フューチュリティステークスも2011年から距離を従前の1400メートルに戻した。また、この時期は経理代行業のパワーペイズ(Power Pays)社や美容関連企業のロックエボニー(Rokk Ebony)社がスポンサーになっていたが、年毎の賞金額の変動が大きく、70万豪ドルを提供した年もあれば、10万豪ドル程度の賞金だった年もある[ 3] [ 10] [ 11] [ 12] [ 13] [ 14] 。
創設以来、1921年を除いて、戦時中も行われてきた[ 注 3] 。第二次世界大戦 中はコーフィールド競馬場が軍事基地となったため、フレミントン競馬場 で代替開催された。このほか1979年のみ1800メートルで行われ、1996年はコーフィールド競馬場の改装工事のためフレミントン競馬場で代替開催されている。
2014年現在は、メルボルンの秋開催「オータム・カーニバル」中に行われる。この開催の目玉競走は2歳馬による賞金100万豪ドルのブルーダイヤモンドステークス で、これに準ずるのがフューチュリティステークスとオークレープレート である。1400メートルの距離は、1200メートルぐらいを得意とするスプリンター と1600メートルぐらいを得意とするマイラー の両方を惹きつけるように意図されており、前者はしばしば馬齢重量戦のCFオーアステークス を経てフューチュリティステークスに挑んでくるものがいる。後者はフューチュリティステークスからオーストラリアンカップ へ向かう事がある[ 3] 。
「フューチュリティステークス」とは
イギリスで発達した近代競馬では、かつては馬齢と共に馬が成長して一人前になると考えられており、7歳や8歳になってようやく本格的な競走に耐え得るものと考えられていた。やがて競走に使いはじめる年齢は徐々に下がっていき、18世紀の前半には「若馬」である4歳馬による競馬が始まった。3歳馬の競走が世間に認められるようになったのは18世紀の後半で、2歳戦は18世紀の末に普及した[ 注 4] 。しかしイギリスでは2歳馬の競走はあまり高い価値を与えられることはなかった[ 16] 。
1888年のアメリカのニューヨークで創設された「フューチュリティステークス 」は、2歳戦でありながら全米最高額の賞金が提供され、大きな注目を集める競走となった。これを真似てアメリカ各地で同名の競走が創設されたので、いまでは大元の競走を発祥の地の名を冠して「ベルモントフューチュリティ」などと称する[ 17] 。
オーストラリアは19世紀のはじめ頃にイギリス人が競馬を持ち込んだが、大都市で本格化したのは19世紀半ばを過ぎてからである。メルボルン付近では1840年にフレミントン競馬場 が作られ、1853年にはビクトリア競馬会(Victoria Racing Club 、VRC)が組織され、大レースが行われるようになった。これに遅れて、1858年にアマチュア競馬の場としてコーフィールド競馬場 が拓かれ、1898年からフューチュリティステークスが始まった。オーストラリアはもともとギャンブルに対する嗜好が強く、競馬はもっぱらギャンブルとして行われ、種牡馬はもっぱら本場イギリスからの輸入に依存していた[ 18] [ 19] [ 20] 。
コーフィールド競馬場は主にビクトリアアマチュア競馬会(Victoria Amateur Turf Club、VATC)が運営してきたが、2002年からはメルボルン競馬会が運営するようになった[ 20] 。
歴代優勝馬
回数
施行日
優勝馬
性齢
タイム
優勝騎手
管理調教師
第1回
1898年
Resolute
牡4
第2回
1899年
Bobadil
牡3
第3回
1900年
Palmer
牡2
第4回
1901年
Aurous
牝3
第5回
1902年
Sir Foote
牡3
第6回
1903年
Sir Leonard
牡4
第7回
1904年
Playaway
牝3
第8回
1905年
Gladsome
牝4
第9回
1906年
Gladsome
牝5
第10回
1907年
Corroboree
牡
第11回
1908年
Antonio
牡6
第12回
1909年
Soultline
牡
第13回
1910年
Comedy King
牡6
第14回
1911年
Blairgour
牡3
第15回
1912年
Popinjay
牡3
第16回
1913年
Eudorus
牡6
第17回
1914年
Brattle
牝3
第18回
1915年
Flash Of Steel
牡
第19回
1916年
Maharajah
牡
第20回
1917年
Balarang
牡5
第21回
1918年
Wedge
牡4
第22回
1919年
Lucknow
牡4
第23回
1920年
Gold Tie
牡5
第24回
1922年
Eurythmic
牡5
第25回
1923年
Salatis
牡4
第26回
1924年
The Hawk
牡5
第27回
1925年
Father's Voice
牡
第28回
1926年
Top Gallant
牡5
第29回
1927年
Waranton
騸8
第30回
1928年
Gothic
牡4
第31回
1929年
Mollison
牡3
第32回
1930年
Amounis
牡4
第33回
1931年
Phar Lap
牡5
第34回
1932年
Ammon Ra
牡3
第35回
1933年
Winooka
牡4
第36回
1934年
Waltzing Lily
牝4
第37回
1935年
Heros
牡6
Synagogue
牡3
第38回
1936年
Regular Bachelor
牡4
第39回
1937年
Gold Rod
牡3
第40回
1938年
Ajax
牡3
第41回
1939年
Ajax
牡4
第42回
1940年
Ajax
牡5
第43回
1941年
High Caste
牡4
第44回
1942年
Burrabil
騸
第45回
1943年
Zonda
牝6
第46回
1944年
Counsel
牡6
第47回
1945年
Drum Net
牡3
第48回
1946年
Bernborough
牡3
第49回
1947年
Attley
牡3
第50回
1948年
Royal Gem
牝3
第51回
1949年
St. Razzle
牡5
第52回
1950年
St. Razzle
牡6
第53回
1951年
Iron Duke
牡4
第54回
1952年
San Domenico
騸6
第55回
1953年
Bob Cherry
牡5
第56回
1954年
Sir Isfahan
牡
第57回
1955年
Prince Cortauld
牡4
第58回
1956年
The Orb
騸4
第59回
1957年
Parvo
騸
第60回
1958年
Zariba
牡5
第61回
1959年
Lord
騸5
第62回
1960年
Todman
牡5
第63回
1961年
Sky High
牡3
第64回
1962年
Aquanita
牡5
第65回
1963年
Wenona Girl
牝5
第66回
1964年
Future
騸
第67回
1965年
Sir Dane
牡4
第68回
1966年
*Star Affair
牡3
第69回
1967年
Cendrillon
牝3
第70回
1968年
Prince Romantic
牡3
第71回
1969年
Magic Rule
騸5
第72回
1970年
Crewman
牡4
第73回
1971年
Silver Spade
騸
第74回
1972年
Gunsynd
牡4
第75回
1973年
Idolou
騸3
第76回
1974年
Idolou
騸4
第77回
1975年
Martindale
牡4
第78回
1976年
King's Helmet
牡5
1:23.0
J.Letts
R.Hawks
第79回
1977年
Bonfield
牡4
1:24.3
M.Goreham
L.Patterson
第80回
1978年
Always Welcome
牡4
1:24.8
J.Stocker
B.Burns
第81回
1979年
Manikato
騸3
1:23.7
G.Willetts
R.Hoysted
第82回
1980年
Manikato
騸4
1:23.1
R.Higgins
R.Hoysted
第83回
1981年
Manikato
騸5
1:23.8
G.Willetts
R.Hoysted
第84回
1982年
Galleon
牡3
1:22.4
C.Hayes
B.Thomson
第85回
1983年
Manikato
騸7
1:24.2
G.Willetts
R.Hoysted
第86回
1984年
Red Tempo
牡4
1:23.4
B.Thomson
C.Hayes
第87回
1985年
Vite Cheval
牡4
1:24.0
K.Mitchell
I.Saunders
第88回
1986年
Campaign King
牡3
1:22.2
H.White
L.Theodore
第89回
1987年 2月28日
Rubiton
牡3
1:23.5
H.White
P.Barns
第90回
1988年
Vo Rogue
騸4
1:24.0
C.Small
V.Rail
第91回
1989年
Zeditave
牡3
1:22.4
G.Hall
A.Armanasco
第92回
1990年
Ark Regal
牡3
1:22.4
G.Hall
S.Richards
第93回
1991年
Redelva
牡7
1:22.6
N.Wilson
第94回
1992年
Mannerism
牝4
1:23.9
D.Oliver
L.Freedman
第95回
1993年
Schillaci
騸4
1:23.2
S.King
L.Freedman
第96回
1994年
Primacy
騸4
1:22.0
L.Dittman
D.Hayes
第97回
1995年
Schillaci
騸6
1:23.8
R.Griffith
L.Freedman
第98回
1996年
Star Dancer
騸5
1:24.0
D.Beadman
B.Wallace
第99回
1997年 3月1日
Mouawad
牡3
1:23.1
G.Cooksley
C.Conners
第100回
1998年 2月28日
Encounter
牡3
1:23.51
S.Dye
C.Conners
第101回
1999年 2月27日
Rustic Dream
騸5
1:22.19
P.Mertens
M.Price
第102回
2000年 3月4日
*Testa Rossa
牡3
1:23.73
D.Oliver
D.Lawson
第103回
2001年 2月24日
Mr. Murphy
牡3
1:22.80
D.Oliver
L.Freedman
Desert Sky
牡3
D.Gauci
M.Ellerton
第104回
2002年 3月2日
Dash for Cash
牡3
1:23.02
K.McEvoy
R.Hore-Lacy
第105回
2003年 3月1日
Yell
騸3
1:21.90
D.Gauci
J.Hawkes
第106回
2004年 2月28日
Reset
牡3
1:23.79
D.Nikolic
G.Rogerson
第107回
2005年 3月5日
Regal Roller
騸5
1:24.67
M.Flaherty
C.McDonald
第108回
2006年 3月4日
Fields Of Omagh
騸8
1:34.28
S.King
D.Hayes
第109回
2007年 3月3日
Aqua D'Amore
牝5
1:35.71
S.Baster
G.Waterhouse
第110回
2008年 3月1日
Niconero
騸7
1:34.77
C.Williams
D.Hayes
第111回
2009年 2月28日
Niconero
騸8
1:36.40
C.Williams
D.Hayes
第112回
2010年 2月27日
Typhoon Tracy
牝5
1:34.43
L.Nolen
P.Moody
第113回
2011年 2月26日
More Joyous
牝4
1:21.79
N.Rawiller
G.Waterhouse
第114回
2012年 2月25日
King Mufhasa
騸7
1:23.82
N.Rawiller
S.McKee
第115回
2013年 2月24日
All Too Hard
牡4
1:23.03
D.Dunn
M. & W. & J.Hawkes
第116回
2014年 2月22日
Moment Of Change
騸6
1:23.44
L.Nolen
P.Moody
第117回[ 21]
2015年 2月28日
Suavito
牝5
1:23.05
D.Oliver
N.Blackiston
第118回[ 22]
2016年 2月27日
Turn Me Loose
牡4
1:22.21
O.Bosson
M.Baker
第119回[ 23]
2017年 2月25日
Black Heart Bart
騸6
1:22.96
B.Rawiller
D.Weir
第120回[ 24]
2018年 2月24日
Brave Smash
牡5
1:23.16
C.Williams
D.Weir
第121回[ 25]
2019年 2月23日
Alizee
牝4
1:22.48
J.Bowman
J.Cummings
第122回[ 26]
2020年 2月22日
Streets Of Avalon
騸5
1:21.90
B.Melham
S.Nichols
第123回[ 27]
2021年 2月20日
Probabeel
牝4
1:22.76
D.Lane
J.Richards
第124回[ 28]
2022年 2月26日
Sierra Sue
牝5
1:22.36
J.Allen
T.Busuttin & N.Young
第125回[ 29]
2023年 2月25日
Alligator Blood
騸6
1:23.13
B.Shinn
G.Waterhouse & A.Bott
第126回[ 30]
2024年 2月24日
Mr Brightside
騸6
1:22.54
C.Williams
B. & W. & JD.Hayes
脚注
参考文献
『世界の競馬場2オーストラリア/ニュージーランド/香港/マカオ』ハイランド真理子著、中央競馬ピーアール・センター刊、1994
『競馬の世界史』ロジャー・ロングリグ・著、原田俊治・訳、日本中央競馬会弘済会・刊、1976
『サラブレッド』ピーター・ウィレット著、日本中央競馬会・刊、1978
『海外競馬完全読本』海外競馬編集部・編、東邦出版・刊、2006、ISBN 978-4809405242
『サラブレッド種牡馬銘鑑』第2巻、日本中央競馬会・刊、1972
『サラブレッド種牡馬銘鑑』第10巻、日本中央競馬会・刊、1989
『日本の種牡馬録3』白井透・著、サラブレッド血統センター・刊、1977
『Register of Throughbred Stallions of New Zealand Vol.IX』,The New Zealand Throughbred Breeder's Association(Inc),New Zealand Blood-Horse Ltd.,1976
『Register of Throughbred Stallions of New Zealand Vol.XI』,The New Zealand Throughbred Breeder's Association(Inc),1980
Horse Racing Info Futurity Stakes
注釈
^ オーストラリアは南半球なので、「秋」は北半球で言う春の時期に相当する。フューチュリティステークスはオーストラリアの秋競馬シーズンの2 - 3月に行われている。
^ 海外では、スポンサーが資金を提供する代わりに、レース名を呼ぶ際は必ずスポンサー名をつけなければいけない、という契約がしばしば行われている。この場合でも、血統書やセリ名簿などの記録にはスポンサー名をつけずに記録されるのが通例である。
^ 1921年の秋開催は、初日の開催が行われたところで、それ以降が中止になった。その原因は石油不足によりビクトリア州政府が競馬開催の中止を要請したためである[ 15] 。
^ この頃、最終的には1歳馬による競走も試みられたが、まもなく禁止された。
出典