フトマニ『フトマニ』は、ホツマツタヱと同様の文字ヲシテで書かれた古文書である。 概要『ホツマツタヱ』『ミカサフミ』が「歴史書」であるのに対し、『フトマニ』は占術と関係の深い歌集である。『フトマニ』によれば編集者はアマテルカミ(天照大神)である。『ホツマツタヱ』『ミカサフミ』と同様に、確実に遡ることができるのは江戸時代までである。「太占」と漢字表記することもあるが、「太占」は亀の甲羅をつかった占いであり、ヲシテで書かれた『フトマニ』とは別のものである。 伝承『フトマニ』によると、成立は『ホツマツタヱ』『ミカサフミ』と同様に漢字伝来以前であるが、現在発見されている最古の写本は江戸時代のもので、確実に遡ることができるのもそこまでである。1967年、松本善之助が再発見した。 2023年に江戸時代中期の和仁估安聡写本が発見された。宇和島市の小笠原家所蔵本である。 構成冒頭にミワノスヱトシ(三輪大臣季聰)の序文の「フトマニをノブ」があり、続いて「モトアケ」(後述)、そして128首のワカ(和歌)が載せられている。 池田満・著『ホツマ 日本の歴史物語3 フトマニの真実』展望社(ヲシテ研究所)令和6年[1]によれば、序文に当たる「フトマニをノブ」の文章も伝承時代に付加されたとみられる。このため、本来の成立時代での『フトマニ』の本文は128首のワカだけだったとする説もある。 モトアケフトマニによれば、「モトアケ」とは、古代人の宇宙観の象徴である。同心円を中心から放射状に配された線分で区切ったものに、文字を一文字ずつを配したものである。 漢字以前の時代においてインド的なマンダラ風の円形表示がわが国に有ったのかどうか? 疑問を呈する考えが、池田 満によって提唱された。池田満・著『ホツマ 日本の歴史物語3 フトマニの真実』展望社(ヲシテ研究所)令和6年[1] フトマニの構造フトマニは、「モトアケ」と呼ばれる図をもとに占うものである。「モトアケ」は大宇宙をかたどったものとされる。具体的には、アワウタの48音と「アウワ」が円形に並べられたものである。
という構造になっている。ミソフカミとは、アワウタの48音から、トホカミヱヒタメとアイフヘモヲスシの16音を除いた32音のことである。 「モトアケ」図の配列は、『ある法則』に基づいている。その法則とは、「モトアケ」図の文字の「記載順」と「読み方順」が違うことである。例えば「モトアケ」図の内側の2番目の円が、右回りに「ア」から「アヘスイモシフヲ」の順に右回りに記載されている。それに対し「モトアケ」図の読み方は、「アイフヘモヲスシ」の順である。「モトアケ(フトマニ)図の配列の『ある法則』に付いての表現は、吉田六雄の命名。根拠は「検証ホツマツタヱ 32号(2007年8月)」にて、公にされている。
出典参考文献フトマニの原文を開示した資料
フトマニの解釈を試みた資料
フトマニの解説を現代語訳で開示した資料
外部リンク
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